読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ポジ熊の人生記

好きなことを、見てもらえる情報にして発信する、そんなブログを目指しています。

人の悪口や噂でしか盛り上がれない人たちを見ると虚しくなる

世間 世間-批判・疑問

悪口は災いの元

兎にも角にも悪口は言わないほうが良いという話。心の中で考えるのは自由だが、口に出してしまうと全ての物事が災いに転じる。

口を開けば悪評

狭い職場なので、どの上司がポンコツだとかあの後輩がろくでもない、という噂は瞬く間に広がるし、それが耳に入ってくるのはある程度仕方のないことだと思っている。しかし、飲み会の場にまでそれをわざわざ持ち出して、酒の肴にするのはいかがなものか。このような飲み会に臨席してしまった場合は、できることなら中座したくなる。

よくもまあ人の悪口でここまで盛り上がれるよ、理解の範疇を超えている。その場は下衆な笑いで一時的に盛り上がる(様に見える)かもしれないが、それを口に出したことで精神衛生上、害になっていることは明らか。もしそれが本人の耳に入りでもしたら、深く傷つくことは間違いないし、そうじゃなくともまだ接したことのない人にも不要なバイアスを与えることになる。

直接、接してみて「こりゃ駄目だ」って自分で判断するのならそれは何の問題もないが、悪評を鵜呑みにして「そうか、あいつはそういう奴か」と決めてかかり、最初に接する時点で既にマイナスの人間関係からスタートする恐れがある。なんとも馬鹿げた話だとは思わんかね。

 

誰かが聞き、評価を下げ、精神を貶める

上司の悪口を飲み会で何気なくしゃべったとして、いつの間にかそれが筒抜けになっていることもある。かなり前のことだが、上司の愚痴をそういう場で漏らしたら、どこから伝え聞いたのかさらに偉い人に呼び出されて「不遇を上司の責任にするな」と叱りつけられたことがある。この時、僕は思った。「自分の発した言葉は、誰かが聞いて広めるのだな」と。それ以来、愚痴を含めて他者の悪評を口に出すことはなくなった。

このような実害もさることながら、悪口というのは目に見えないデメリットが多数ある。まず、悪口を言う人の他者からの評価というのは、往々にしてマイナスになるということだ。少なくとも、プラスになることは無いだろう。いつも上司への罵詈雑言を口にしている同僚を見て、あなたならどう思うか。そのような人と長時間にわたり空間を共有したいと思うだろうか。思わないだろう。悪口を言うということは、常にマイナスの評価に晒されるということなのだ。

言霊という概念もある。ネガティブなことを思ったり、口に出したりする人には、良いことは訪れない。スピリチュアルで胡散臭く感じるかもしれないが、30数年間生きてきて後ろ向きなマインドで生活して良いことが訪れたことはほとんどない。逆に、開き直るくらいに前向きに物事を考えたほうが、何かとスムーズに事が運ぶことが多い。悪口を言うということは、それだけネガティブな言霊を口に出してしまうことであり、単純に運気が下がってしまうのだ。恐ろしいことに、他者からの評価のみならず、自己評価まで下げてしまう。

 

下衆の集まりからは遠ざかれ

若い頃よりもそのようなチームとはかなり縁遠くなり、負の力場には近寄らぬような生活スタイルを獲得しつつある。だが、現在進行形で誰かの悪口や噂でしか盛り上がれない場に巻き込まれて辟易している人が少なからずいるであろうことを想像すると、いたたまれない気持ちになるよ。

色々なしがらみもあって、なかなか疎遠になれない人もいるのだろうが、そういう場からはできるだけ離れていくような気持を持ったほうが良い。間違っても、そういう人間たちと一緒になって、下衆な盛り上がりに興じることのないように。

人間性が垣間見える。誰かの悪口をいって口角を上げるあの卑しい顔を思い浮かべるだけで虫唾が走る。なんという虚しい人生なのか。こういう人たちは自省する機会を見失ってしまったのだろうか。歳も40を超え、知性を伴った落ち着きを見せても良い頃合いの人が堕落する姿というのは、誠、見るに堪えぬものがある。

 

広告