読んだ。
読んだがいろいろと腑に落ちない。
元記事はオッサンの単なる愚痴っぽい。
ダブスタだというけれど「永遠普遍に変わらない感性」というものが肉体的なそれでなく、定量化できないのであれば、それは変わりやすくもあるということだろうが。
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一般の人から「ファッションは難しい」「ファッションは特殊」「ファッションは分かりにくい」と言われる所以は様々あるが、その中の一つの要因として「ダブルスタンダード」が挙げられるのではないか。
(中略)
知識があやふやで平気でダブルスタンダードな説明をするデザイナーや雑誌編集者、販売員が跳梁跋扈しているから、高い洋服が売れなくなったともいえる。ややもするとそういうブランドは経営者や幹部自体が同じレベルである場合も珍しくない。
そんなあやふやな経営者が、あやふやなスタッフを通じて服を作って、あやふやな販売員が販売して、あやふやな雑誌があやふやな内容の記事を掲載しているのだから、消費者から見放されて当たり前だろう。
幾つかの要因が考えられる。
順を追って。
店員
まずショップ店員。
過去にショップ店員をやった経験があるけれど、店員はファッションのプロではなく販売のプロでしかない。
ファッションが好きで薄給でもいいから店員として店頭に立ち、裏では品出ししてブラシを掛け掃除をし、嫌がられながらも声掛けして接客してレジを打つ。
店員が変われば言うことも変わる、シーズンが違えば言うことも違う。
店頭のモノを売るのが一番の使命。
「今シーズンのアイテムは個人的に今一つだから売らなくていいや」なんて店員はプロじゃない。
店員が「足が長く見える」はテンプレートでしか無く、デニムの股上が浅かろうが深かろうがその時店頭にあるものを「足が長く見える」というだけの話。
陳腐化
ハレとケ(非日常と日常)と言うが、ファッションにもハレとケがある。
「ファッションに興味が無い」というひとのファッションは主にハレのファッションを指す。
ケのファッションは言わば日常、普段着だからここにハレの要素を必要としない。
さてハレというのは滅多にない非日常だからこそ稀有であり価値がある。
仮にハレが常態化すれば、陳腐化する。
陳腐化とはハレの持っていた特殊性が時間や飽きなどによって価値を損なうことを指す。
つまりどれだけ気合の入った服でもそれが何年も経てば特殊ではなくなってしまう。
(個人的な思い入れなどがあるものは別)
だからこそファッションは循環する。
循環させることで喪失したハレの価値を取り戻し、価値を失ったハレをアーカイヴに押し戻す。
イケてるファッションを何年も何年も着続けても、周囲も「あの人のあの格好はずっとイケてる」と認識するならダブスタでなくてもいいと思いますが。
いつも同じ格好をしていれば「あの人っていつも同じ格好だよね」と思うだけじゃね?
イケてるファッションが仮にいつの時代もいつも常にイケてるなら、同じものを七着買って毎日着てればスーパーお洒落人ですけど。
それってファッション業界のせいなの??
流行と陳腐化
流行という漠然としたモノだけが存在し、しかし漠然としているから明確にコレだとも言えない。
しかもそれが普及すればするほど陳腐化する。
希少性があるからこそファッションはハレであって、周囲と差異がなくなれば陳腐化し効力を失う。
モードに関する文化がなく、モードから取捨選択された何かしらのバイアスが「流行」として提示されるのが日本のファッションの流れ。
トレンドセッター
日本においてファッションのバイアスを提示するのは果たして誰か。
海外であれば雑誌やモデルや、コレクション。
今やラッパーやファッションブロガーが力を持ちランウェイの脇の一等席に招待されたりもする。
しかし日本でその役割をはたすのはいわゆる「○文字系」と言われるファッション雑誌とモデルのブログ。
かつてはテレビドラマなどで「○○が着ていた」などの効力も強かった。
ヤフオクの「○○着」は未だに見かける常套句。
男性の場合、そういったファッション系ブロガーやカリスマモデルなどがなく(ごく一部いるが)雑誌の力が強い。
日本のファッションが特殊なのはそういったモデルがトレンドセッターを担うからだろう。
カリスマモデルがブログで「水素水最高!特に伊藤園のやつ★」なんて書いた日にはバカ売れ……書かなくても売れてるが。
いわゆるペニオク騒ぎもそういった「モデルのブログがファッションのトレンドセッター」という図式を象徴してる事件といえるか知れない。
で、モデルはモデルでファッションセンスがずば抜けてすばらしく感性が卓越しているわけでもない。
ただ人気があるモデルが「今は〇〇がすごくオシャレですよね」と書けばJKやJDがマルイに走りそのアイテムを買いたおす。
東京ガールズコレクションのランウェイなど、目の前で憧れのモデルが着ているアイテムをケータイで即買できるんだからそりゃあバカ売れする。若い子にしてみれば懐かしのMA-1だってケミカルウォッシュのジーンズだって一周回って新しい。
だから長生きしてればダブスタに見えても人生短ければそれが新しい。
最後に
いい加減なダブルスタンダードな体質を改めない限りは消費者がファッションを信用することはないのではないか。
とまれ「昔ダサいって言われてるアイテムが今オシャレだなんてダブスタだ」というのはよく意味がわからない。
つまりどうしろと言いたいんだろう??
時代と共にファッションが変わるのは当然のこと。
一周回ったことを「ダブスタ」と言ってしまうのはそれはそれでおかしな話。
もし「ひとつのものをいいと言い続けろ」が是であるなら、ファッションは常に何一つ変わらない。
同じものが素晴らしくいつもそれがもてはやされるし、何かしらは常にダサい。
それはハレではなくケだろう。
いつの時代もMA-1やケミカルウォッシュのジーンズはダサくて、スリムのボトムスもダサい。
イケてるのはいつもズートスーツやワイドパンツ、オーバーサイズのパーカーに夏は襟を立てたポロシャツ。
ダブスタはしないからいつも同じ、毎年毎年いつも同じ。
同じ感性と同じトレンドに則った同じ格好を売り続けるファション界。
それってデザイナーにとってどうなんですかね?
何が面白いの、それは???
だから元記事は、そもそもの前提がおかしい。
じゃあ全員、男も女も全く同じ人民服でいいよ。
ファッション業界は、ダブスタせず常に変わらない人民服を売れって書いてる??
昔であればハレとケの境は遠かったが、今やハレの閾値が低くなった。
ハレであれ価格や希少性などによって違う。
たとえばスーツのようにハレではなくケとして洗練されたモノに流行り廃りはない。
スーツをトリッキーに、エキセントリックなデザインにする(ケのスーツ→ハレのスーツ)と途端に陳腐化しやすくなる。
ドリスヴァンノッテンのモンロー柄のスーツはかなりいい感じだけれど、これを何年も着続けられるか?といえば果たしてどうか。
「また鈴木さん、同じスーツ着てるよー」
「あの人いつもアレだよねー」
「高いらしいよ」
「だから着まくってんの?」
どんなにイケてるスーツも陳腐化しやすい。
だからモッズなどコードに則ったファッションは陳腐化しづらい構造を持っているので、ダブスタが嫌ならそっちの方向に……というのはまた気が向いたらどこかで。
※注 ファッションには自と他の認識が存在するがこの記事では主に「他」について書いている
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