2016-05-24

理系は分解し、文系は合成しようとする

日本の経済についてtwitterでこんなことを言ってる人がいた。いわく、偉い経済学者は日本は通貨発行権を持ってるので、財政赤字でも何の問題ないという。しかし国民生活の現状を見れば日本経済に何の問題もないとは思えない、と。

俺からすると、なんで財政の話に経済の話で反論するのだろう?という感覚なんだよね。財政というのは日本政府のお金の話、経済がなにかというのは難しいけど、国民生活についていえば、一人一人の家のお金の話。むろん無関係ではないけど、それぞれ別なものだ。

この件に限らず文系の人は少しでも関係ありそうなものは一緒に考えようとする。そういう思考も価値はあるけど、人間の思考力は無限ではないのだから一度にすべてのものは考えられない。1つ1つ分けて考え、その後両者の関係を考えるというステップを踏まないと。


文系はこれができない人が多いと思う。一方で文系からすると「分けて考える」という理系の考えが気に入らならしい。還元的な思考は物事を細分化し専門馬鹿を生む。誰も自分の小さな担当範囲のことばかり考えて、全体を俯瞰して考えられない、それこそが現代社会の問題なのだ、と。

まあ、一理あるのだが、やっぱ人間の思考力には限界が(ry。全体と局所をレンズの倍率を切り替えるがごとく交互に見なければならない。細部を無視して全体は考えられないし、全体を無視して細部ばかり考えても立ち位置を見失ってしまう。

思考力のある人はこれをパパッと瞬時に切り替えてるのだが、それについてこれない人も多い。さっきは○○の話をしてたのに、いまは○○の話をしてる!?と。ちょうど財政と経済の話のように、それぞれ個別のことを論じている文脈と、その関連性を論じている文脈が1つの文章の中に混在してるのに、それを読解できない。

読解力が自慢の文系のはずなのに(笑。まあ読解力というのは思考力そのものなわけで、思考力がない状態で国語の授業的な読解力をいくら上げてもむなしいと思う。


ソフトウェアの設計でも、設計が上手い人は細部と全体を同時に考えている。全体の視点からみて「ここはこうすべきではないか?」と反論しても、やたら「それだとこういうレアケースが対処できない」と細部の視点で再反論が返ってくるし、「これってこうすれば効率いいんじゃ?」と細部の視点で反論しても、「でもそうするとこっちのモジュールの担当が複雑になりすぎて」と全体の視点で再反論が返ってくる。

ついていくのが大変。というかなんかはぐらかされてる感じで、ムカつく(苦笑)。だから悔しくて一生懸命全体も部分も全部考えようとすると、結局その人と同じ結論になってしまって、う~む、その人は最初からここまで考えてたのか、と。思考力の速さの違いを認めざるを得ない。

やっぱ頭のいい人というのは、あたりまえだけど、思考してる絶対量が半端ない。でもそれは自分も同じだけ思考してみないと、どれだけの量だかわからない。もちろん思考の要領の良さ・悪さはある。要領がよければ同じ時間でたくさん思考できるわけで。


ちまたの「思考力を養う方法」みたいな本は、視点の斬新さばかり強調しているものが多い。コロンブスの卵的な話とか一休さんのトンチみたいな話とか。それはそれで重要なんだけど、それはスポーツで言えば「技」なんだよね。思考の速さや量という基礎体力が伴わないと、技を活かせない。

ビジネス書とかハウツー本ばっか読んでる人は(そういう本が無価値とはいわないけど)、机上で技ばかり暗記して、それを使いこなす思考の体力が伴わない人が多い。量をこなすトレーニングが必要。良い環境で過ごすとよい経験ができるというのは、自分より思考力の高い人間に囲まれてると、自然と日常が思考のトレーニングになるからだと思う。やっぱ人間って無意識に張り合おうとするからね。

  1. kakick3mechaagからリブログしました
  2. vxvxvmechaagからリブログしました
  3. warabizmechaagからリブログしました
  4. kennakatm09tdからリブログしました
  5. atm09tdmechaagからリブログしました
  6. mechaagの投稿です