羽生名人は松花堂弁当をよく注文する。写真は2011年名人戦第5局での昼食。
2016年3月。「週刊将棋」が、多くの将棋ファンに惜しまれつつ、休刊した。
「週刊将棋」、略して「週将」(しゅうしょう)は、毎日コミュニケーションズ(現・マイナビ)が発行していた、将棋界唯一の週刊新聞。タブロイド版の全24面で、情報量が多い上に、ネットのない時代、月刊誌に比べて速報性に優れていた。また、月刊誌の格調の高さに比べると、どちらかといえばくだけた紙面で、バラエティに富んでいた。
「週刊将棋」ではタイトル戦の対局の際、「タイムテーブル」という欄で、盤外の様子を、事細かに伝えていた。本稿では当時の記事を参考にしながら、前回に補足する形で、米長邦雄名人(50)に羽生善治四冠(23)が挑戦した、1994年の名人戦七番勝負の食の情報について、たどってみたい。
ところでタイトル戦の前夜祭は、地元の将棋ファンを集め、ホテルなどで盛大におこなわれる。主催者や棋士のあいさつ、花束贈呈などのセレモニーがひとしきり終わった後は、乾杯、会食という流れになる。その際、棋士はほとんど、料理に手をつける暇がない。多くのファンと歓談するのが、仕事の一つでもあるからだ。
そもそも立食パーティーは、人と会うのが目的であって、基本的に食事を取らない、という人もいる。スタイリッシュな芸能人だけではなく、棋士の米長もその一人であった。
1994年の名人戦第1局(倉敷)、前夜祭が終わった後、両対局者は改めて食事を取った。米長名人は、関係者とともにさぬきうどん。羽生挑戦者はイカスミのスパゲティ、というメニューだった。以下、食に関する情報をリストアップしてみる。
第5局の昼食に関する記述を見つけられなかったが、もし麺類であれば、米長は第1局から第6局まで、1日目は麺類で通したことになる。ちなみに米長は第5局が終わった後、水沢うどんを食べている。
一方の羽生は、第1局2日目夕方は、寿司にサラダ。第4局2日目昼は、きつねうどんにサラダ。やや意外な組み合わせで、サラダを頼んでいることがわかる。
札幌でおこなわれた第4局の2日目。16時15分に、担当記者から夕食の注文を聞かれた際、米長は変わった応じ方をした。
<米長「ちょっと書くものを貸して、書くから」。事前の準備は怠りない米長「とっておきのものがあるんだ」と言って「ウニイクラ弁3500円」と書いた。羽生は静かな声で「幕の内弁当を> (山村英樹『週刊将棋』1994年5月25日号)
米長が、なぜわざわざ注文を紙に書いたのかは、よくわからない。この時代にニコニコ生放送があって、その模様が中継されていたら、観戦者にはずいぶんと受けたことだろう。
地元の名物を注文するのは、いかにも米長らしい。それ以前に北海道でおこなわれた対局で、米長はとうもろこしが食べたいと言った。そして午後の対局室には、とうもろこしが山と積まれたという。
群馬県の伊香保温泉でおこなわれた第5局の1日目、米長が朴(ほお)の花を取ってきてほしいと注文したのは前回書いた。これには、ある意図もあったようだ。
<12・30 昼食休憩。米長は「3時のおやつは、田中屋のまんじゅうをあそこに見えるホオの花に乗せて食べたい」。あそことは対局室から見える小山。確かに白い花がきれいだ。> (山村英樹『週刊将棋』1994年6月8日号)
平安貴族ならいざしらず、現代の棋士でこういう注文をするのは、米長が空前にして、絶後だろう。
その注文に対して、「いやいや先生、さすがにそれは」と、米長の注文を一笑に付すこともできただろうが、山村記者は律儀に、探検に出かけていく。勝負が決まるわけではなく、また中盤に差し掛かって流れがゆっくりする1日目の午後、関係者は比較的時間に余裕がある。
<13・30 再開、米長△9三香。そのころ「ホオの花探検隊」が出発。
14・30 「ホオの花探検隊」戻る。捜したが、ホオの木はやたらに高く、幹の表面はつるっとしていて木登りができそうにない。代わりに花をいくつかと、ホオの葉を持ち帰る。
15・00 まんじゅうが出る>
残念ながら、朴の花に乗せられることはなかったが、田中屋の饅頭は出された。伊香保温泉は温泉饅頭発祥の地と言われ、田中屋は江戸時代創業の老舗である。
以前私も、初夏の季節、伊香保温泉でおこなわれた名人戦の中継を担当したことがあった。山村さんの苦労話を聞いていたので、米長名人が果たせなかった夢を実現させてみようとは、あまり真剣に考えなかった。もしやる気にあふれた若き中継記者が、機会を得た際には、ぜひともチャレンジしてもらいたい。
対局の方は、2日目、米長名人の提案で夕食抜きでおこなわれた。残り時間が少なく、優勢の側が夕食抜きを提案するのは、異例のことである。結果は米長の勝ち。対局後の深夜1時、羽生挑戦者は娯楽室を訪れ、「おなかが空きました」と言って、おにぎりを4~5個食べていたという。
米長名人2勝、羽生挑戦者3勝で迎えた第6局(北九州)。2日目の夕方に入って、羽生の優勢がはっきりしてきた。
夕食は、米長は焼き魚定食。これは第1局2日目と同じである。
対して羽生は、松花堂弁当。山村記者の記述によれば、羽生はこのとき、ほとんど箸をつけていなかった。
最後は羽生が勝って、名人位に就いたのは、前回書いた通りである。
『週刊将棋』6月15日号の1面には、打ち上げの終わりに、羽生新名人を讃えて、原田泰夫九段や佐藤康光竜王とともに、米長前名人が万歳をしている写真が掲載されている。
<全員で「毎日新聞社バンザイ」の合唱> (山村英樹『週刊将棋』1994年6月15日号)
とあるが、その音頭はきっと、米長が取ったのだろう。
特集記事を担当していた斎藤哲男記者は、さりげなく、こう書き残している。
<宴席で米長の隣は独身女性だった。米長は、負けると女性の肌が恋しくなるんだ、と言っていた。> (斎藤哲男『週刊将棋』1994年6月15日号)
この後もう少し、きわどい話が続くが、ここでは割愛する。以上の記述だけでも、かつての勝負の場の雰囲気と、その時代に生きた米長の人となりを感じさせられる。そしてこういう味は、よくもわるくも、棋士にも書き手にも、現在の将棋界にはないものだろう。
(第3回は5月31日掲載予定です)