「引退後、社会に適応できなかった」
「野球だけで走り続け、引退後に社会に適応できなかった。寂しさや将来のことを考え、衝動的に使ってしまった」。甲子園やプロ野球で華々しく活躍した清原和博被告(48)は、東京地裁の初公判で覚醒剤に手を染めた時の気持ちを語った。「一日一日、覚醒剤と向き合い、寿命まで闘い続けたい」。薬物と決別すると語る姿を元プロ野球選手、佐々木主浩氏(48)らが法廷で見守った。
午後1時半過ぎ、清原被告は濃紺のスーツとネクタイ姿で東京地裁425号法廷に入廷した。白いひげは全てそられ、緊張した表情。裁判官に職業を問われると「無職です」と小さな声で答えた。
プロ野球選手として本格的なスタートを切ったのは1986年2月。ちょうど30年後に逮捕されたことを弁護人に告げられると「本当に情けない」。08年の引退後に覚醒剤に手を出した後、「やめるために命を絶つことも考えた。使うたびに後悔したがやめられなかった」と悔やんだ。
今年2月1日に覚醒剤を使用した経緯については「プロ野球選手にとって(キャンプが始まる)2月1日はお正月。自分の置かれている状況、弱さを考え、使ってしまった」と力なく語った。「プロ野球を目指す子どもたちや野球界に大変な裏切りをして、申し訳ない」とも述べた。
弁護側の情状証人として出廷した佐々木氏は「彼の苦しみをもっと聞けたんじゃないかと思う。今後は何かしら野球のことを彼と一緒にやりたい」と話し、今後も被告を支えると強調した。その感想を弁護人から聞かれると、清原被告はおえつを漏らし「更生のために向き合うのは野球に失礼。まず心と体を健康にしたい」と涙をぬぐいながら話した。
佐々木氏は閉廷後、報道陣の取材に応じ、証人出廷した理由を「親友だから」と説明した。法廷の姿を振り返り「悲しい気持ちになった。落ち着いたら2人きりでゆっくり話したい。仲間と一生懸命支えたい」と語った。【伊藤直孝、島田信幸】