(英フィナンシャル・タイムズ紙 2016年5月9日付)
トランプ氏の支持者たち。米ミズーリ州で。(c)AFP/Michael B. Thoma〔AFPBB News〕
1つの言葉にはどれほどの意味があるのだろうか。「メリトクラシー(実力主義)」という言葉ほど道徳的な熱意が込められている場合、その答えは「たくさん」となる。
もっぱら自分の実力でのし上がった人は、自分には才能があり努力もしたから成功できたと考えている。運は一切関係ないと信じている。そしてそういう見解を誰にでも、例えばのんびり屋だったり怠け者だったりするために自分の例にならえない人にも話す。問題が生じるのは、唯一、それに異を唱える人が出てくるときだけだ。
この構図を拡大して人口3億2000万人の国、それも実力主義社会であることを誇りにしている国に当てはめてみよう。質問の仕方にもよるが、国民の半分から3分の2に当たる人々が異を唱えたらどうなるか想像してみてほしい。この人々は、この国のシステムによる断絶は新たに断絶を作る仕組みを備えているから決してなくならない、と考えている。以前はそんな風には考えていなかった。
もう1つ、実力主義者たちは自分たちが正当な報酬を得ることに魅了されすぎていて、それが見えない想像してみてほしい。彼らが民主党と称する集団と共和党と称する集団とに分かれていることは、この際、どうでもいい。この2つの集団は、混ぜ物を増やして品位を落とした硬貨の裏表だ。遅かれ早かれ何かがダメになる。
誇張が過ぎるだろうか。本紙(フィナンシャル・タイムズ)の読者にはそう考える方が多いかもしれない。ドナルド・トランプ氏がこの集団の1つ――共和党――の敵対的買収を完了させたことは、誰にとってもショックだ。あの不動産王自身にとってもそうではないだろうか。だが、それ以外のことは意外でも何でもない。
1960年代の後半から民主・共和両党は、そのやり方こそ異なるものの、中間層の経済的利益について見て見ぬふりを決め込んできた。
民主党では、1968年にシカゴで開かれた党大会で大混乱が生じたことを受けて作られたマクガバン・フレーザー委員会が、1972年に大統領候補指名のルールを改訂した。これで同党の進路が変わった。新たなルールでは、指名候補を選ぶ代議員の一定の割合を女性や少数民族、若者に割り当てる一方で、働いている男性には割り当てをしなかったのだ。
「あのケネディ家みたいなハーバードやバークレーを出たような連中に我々の党を乗っ取られてなるものか」。米国最大の労働組合連合体AFL-CIO(米国労働総同盟産別会議)の当時のトップはそう言ったが、現実はその懸念の通りになった。