前回の記事で読書について取り上げてみますと書きました。
皆さん大人であれば読むという行為は意識せず行っていることが多いと思われます。新聞を読む、Webで記事を読む、本を読む、メールをチェックする、街頭で広告や電光掲示板を眺めるなど。
タイトルにはいろんな読を並べてみました。自分以外の人はどうなのだろうと不思議に思う事のある読書について触れてみたいと思います。
音読と黙読
タイトル通り読書と言っても、一人一人多様な読書方法があり、且つ一般的には黙読といって口を噤み心の中で言葉を音にして書いている文字を読み上げていくのが普通ではないかと思っています。どうでしょうか?まだ数行目ですが、黙読してはいないでしょうか。もちろん私も心の中で読み上げています。
幼少の頃からの音読を経て黙読となるというのが現代では定番のようです。識字率なども関係してくるのでしょうが、日本での黙読は明治期前後に発達したものとされています。つまり世間一般に黙読が行われるようになったのはここ200年ぐらい程であることとなります。こちらで詳しいようです。
黙読への移行期には声に出して読むことを禁じたようです。
図書館では静かにという文化はこうして形成された処が大きいように感じます。
しかし、江戸時代から続くこうした声の文化にくさびを打つように、声を禁止する公共スペースが登場した。我が国最初の官立図書館として明治五年に湯島聖堂内に開設された書籍館では、雑談と音読が禁止された。開設当初からの「書籍館書冊借覧人規則」には「館内ニ於テ高声雑談不相成者無論看書中発声誦読スルヲ禁ズ」とある。そして、その後に開館したすべての図書館に音読禁止の規則は受けつがれていった。
また各国の図書館事情と我が国は異なるようです。(これは一例のようですのでその国の全ての図書館がそうであるわけではないようです)
米国やヨーロッパ圏では、騒音は関係ない。ノートブックでタイプしても、マウスでクリックしても、食べて寝ても、電話を受けても。誰も気にしない。短所は騒々しく、食べ物の臭いがすること。一方、イスラエルは図書館で思う存分騒いでもいい。各種の学問的な討論が行き来する。短所は静かに勉強できない。イスラエルは行ってみたことはないけど、ドキュメンタリーでユダヤ人の図書館の文化を見たとき、図書館に対する概念自体が違ったので驚いた。
さて、この音読から黙読への移行という所は重要視せねばならない点であるようです。
私も含めあまり深く考えたことはないという人が多いのではないでしょうか。
自然と身に付いているように感じるのですが、子供の時の親の読み聞かせから始まり、小学生低学年などでは、教科書の文字を声を出して読むという行為などからまずは音読する能力が発達します。
心理学の領域になりますが、言葉を発することを外言、頭の中での言葉を内言と定義しています。この言語発達に関して二人の学者の考えは全く逆のことを主張しています。
ピアジェは内言 → 外言
ヴィゴツキーは外言 → 内言
現在は「幼少期にまず言葉を発して(外言)、徐々に思考を内言化出来るようになる」すなわちヴィゴツキーの理論が正しいのではというのが主流になっているようです。
また人はウェルニッケ野(知覚性言語中枢)という脳の一部で音声化された文字を認識して思考や理解を行っています。黙読は音読を繰り返した結果、頭の中で音声化するという技術を身に付けたことに相当することとなります。
黙読の方が音読に比べ利点が多いのは言わずもがなということです。簡単に列挙しますと以下の通りです。
- いちいち声には出さないなので素早く読める
- 周囲の迷惑にならない
- 必要な内容を瞬時に獲得出来る
次に黙読のスピードを上げる話ですが、よくライフハックなどで目にするあの速読です。
速読
この文字自体がビジネス化されていることが一番気掛かりなのは私だけではないと思います。検索1ページ目でヒットするサイトは受講という文字が躍り、金銭を支払い身に付ける能力のような喧伝がされている所が多く感じられます。果たして速読とは可能なのか?それとも眉唾物程度でしかないのか?ネットに拡散されている情報と私の経験則でしかありませんが少し検証してみたいと思います。
以下は同一サイトの速読記事です。
ここのサイトに書いていることを端的にまとめますと
- 固視(まとめて数語見る)により人は平均1分間に200語~400語を読める
- 速く読もうとすれば内容理解が散漫になる
- 極論を言ってしまえば、内容理解につながらない読書は意味がない
- 斜め読み(飛ばしながら要点だけ読む)の方が効果的
あとは個人的な経験則ですが、
- 速く読めるかどうかは内容次第(精通分野であったり平易な文章であること)
- 難解な専門書などは読んでいるうちに部分部分で理解出来ていない
- その為、頭に入って来なくなった時点で一度戻って再読する
- よってその都度、読む速さは自然と最適化される
というのが自分に合った読書法だと思っています。勿論速く読むということは意識付けしていますが、理解の伴わない読書は余りに勿体無いという点は上記記事と同じです。
それと速読の意味合いも多少個人差があるように思えます。多少読み飛ばしてもザザッと読んでしまって「はい読破」なのか、全ての内容が理解できた上にものスゴイスピードで読めて完璧な速読なのかと多くの人が疑問に思える部分を抱いている単語だと思えてなりません。
こちらのサイトはWeb上でトレーニングが行えます。
あと参考になりそうなYoutubeでの速読チャンネルがこちらです。
初めて観る方で一番参考になりそうな動画はこれ。
ここで推薦されているのが苫米地さんのこの本です。
このチャンネルのその他一部の動画
とにかく読む! 図解 実践 どんな本でも大量に読める速読の本 - YouTube
速読多読 質問 心の中の音読はしない方が良いでしょうか? - YouTube
速読のセミナーなどウン万円出して受講するぐらいならその分のお金をこれから読もうとしている本の購入に充てた方がいいよ!と言われており、速読の推奨本として他に以下2つを取り上げられています。
クロックサイクルの速め方 ~脳が2〜32倍速になる特殊音源トレーニングCD付~
結論ですが、先ほども書いたように速読の定義が曖昧なのとそのやり方(速読術)も色々あるので本当に人によりけり(個人差)というのが実際のところだと考えていますが、私からもお勧め出来るのはブロックごとに読み取るような固視や行視という訓練です。これを続けていけば、私自身読むスピードが飛躍的に上がっていることを実感しています。
速読のメリットは読書に掛かる時間の短縮です。これにつきます。少しずつでも意識してやってみると多少変わってくるかもしれませんよ。「内容が頭に入って来ない」「イライラする」「頭の中で音読しないと無理」という方はかえって読書嫌いになりかねないのであくまでマイペースという所も踏まえてのオススメです。強制されるようなものでもないでしょうし。
多読と乱読
ほぼ同じ意味合いだと思っています。
ジャンルなど気にせずとにかく沢山読む。
実用書、小説、雑誌など細かく分ければもっと色々なジャンルの棲み分けがありますが、自分が大事だと考えている点についていくつか挙げておきます。
- 手に取るのは必ず興味があり、面白いと思える本
- 全て読むかどうかは目次とランダムに開いたページで決める
- 読む労力を大事にする(面白くなければ見切りをつける)
- 何か一つでも得られれば斜め読みで部分部分を拾い上げてもOK
多くの本に触れるということはそれだけ残念な本に出くわすという確率も高くなります。全く持って1㎜たりとも自分の為にならないようでしたら、読む労力の方が勿体無いです。一冊の良書に触れることを失う機会損失でしかないので、金銭を支払って購入した本でも本棚の肥やしにしかなってない場合があります。そんな本を買うのがバカと思われるかもしれませんが、古本など安価で手に出来る場合は欲張ってしまいます。たまに「これは買うんじゃなかった」と後悔してしまうんですよね。
この多読や乱読について述べている記事について少し触れてみます。
まずは否定的な見解の方
ライフネット生命の岩瀬大輔さんですが、著者が掛けた何百時間、何千時間という労力に対して深く理解しようという姿勢は素晴らしいと思います。良書と言える本をチョイス出来る感覚を養われており、ある一冊を深く丹念に掘り下げる為に何度も読み返すということはある意味自らの血肉にする行為に思えてならないです。
この方の読書は狭く深く読み込む。トレードオフという言葉からも時間の有効活用を第一に置いているスタイルなのでしょう。現取締役社長様ですし。
肯定的な見解は二人のはてなブロガーから
冒頭で森博嗣さんのインタビューを紹介されており、小説家とは思えない読書ぶりが伺えますが、ご本人の思われている所を引用させてもらいます。
どうせ読んでも忘れるのだから、忘れてしまうことを承知のうえで、インプットの総量を増やすほうが、結果的に頭に遺るものは多い。僕の場合は「少数精読」に、向いていないのではないかと思います。
最後にユリシーズを例に「速読はしないだろ」という点は全くを持って「そうでね」と私も言いたい。丁度手を伸ばせば、ユリシーズⅠ(一応20世紀を代表する小説)に手が届いたのでめくりましたが、ページ下部にまあ何と注釈の多いこと!
けいろー氏が読んだ本からの書評ですが、この本の著者は多読と乱読を分けて考えているようです。結びの部分から引用させてもらいます。
現代のような情報社会においては、「乱読」によって多様性を身に付け、自ら思考し、偶然性から「セレンディピティ」を獲得しようという読書法は有用なものなんじゃないかと思う。何より、純粋に“楽しい読書”ができそう。
ただ・・・と続きもあるので興味の沸く方はぐるりみち。へGo !
熟読と精読
この二つも同じ意味合いと捉えても良いかと思います。四字熟語でも
熟読玩味
という言葉が示すように文章を深く読み取り、味わい感じることを表しています。
熟読精読の際に気を付けている事は「とにかく取りこぼさない」という点です。難解で頭に入って来なかった場合は一旦戻って再読します。大切な箇所には線を引くという事を行っている方もいると思いますが、本の価値が下がるのを躊躇って私は付箋を貼るだけにしています。
その他、著述されている内容を知識として集約している部分(知る)と考察や思考といった自らの答えを反映させる部分(考える)の二つが行える読み方だと思います。
周囲の本棚を見回して「いやー、何度も読み返したわ」と覚えている本はこれです。
文庫になっていました。通称青アイラーと赤アイラーなどと呼ばれています。
東京大学のアルバート・アイラー―東大ジャズ講義録・歴史編 (文春文庫)
東京大学のアルバート・アイラー―東大ジャズ講義録・キーワード編 (文春文庫)
証拠はこんな感じで。小口の中央部分が薄汚れているのが分かるでしょうか。
「いや。おめー甘めーよ」と聞こえてきそうですが、実際かなり目立った汚れなんですよー。
査読
もうここまで来ると自らの読書という概念からかけ離れてきますが、研究論文などへのチェックシステムのようなものです。この言葉のみ知ってはいましたが、もちろん査読者に推認されるような経験はありませんので、詳しくはこちらで。
小保方さんのSTAP細胞の時に査読は機能しなかったのか多少疑問に思っていましたが、いずれの査読者も厳しいコメントを寄せていたとのこと。
積読
未読の本を積んだままにしている状態。明治期からあった言葉だそうです。ウチも積読状態の書籍がどれだけあることか・・・数える気にもなりません。
はてなブックマークやPocketも積読状態と言えなくないです。こっちはタグ整理しつつ読んでみるかーという気が多少あります。これ以外にもブラウザ上のお気に入りに入ったままの分もあるんですよね~。
どうしよう。
まとめ
私のスタイルですが、多読乱読によりしっかりと読み込むべき書籍なのかふるいにかけて、良書と判断した本のみ熟読精読を行うようにしています。
では良書という判断基準に及ばなかった場合はというと斜め読みです。雑誌などが多いです。特集の部分だけなど。単行本なども各章の一部だったり、自分に有益であると思える部分のみつまみ食いのみです。
まあ改めて知ってもらうようなことでないのは百も承知で本が好きな方は大体このような読み方をされているのではないかと想像しています。
小説はまた別物で知的好奇心よりも単純に面白い話であるかを重要視し、あらすじやプロットを参考にしています。一時期変な固定観念を持ってしまって「小説なんぞは単なる個人の妄想だ!」と距離を置いていたこともありましたが、映画との対比を考えたときに「私小説は映像のない物語」「映画や漫画以上に想像力が必要」と考えを改めました。(漫画を知らない世代が言うアレです)
小説 → 視覚的には文字のみ。文章からディティールを想像する力が必要。
漫画 → コマ割りだが絵があるので物語に入り込みやすい。読む必要がある。
映画 → 映像に音声、音楽が付いていてとってもゴージャス!!!
となると映画こそ至高なるエンタメとなりそうですが、逆に一番楽をして楽しめる代物なのかもしれません。「映画観んのも大変なの!」というご意見お待ちしております。
それはさておき、私も棚から本を引きずり出してきて書評に取り組んでみたいと思います。書評などとはおこがましく、感想文程度のレベルでしかないかもしれませんが、たまにでも覗いて頂けると嬉しく思います。それではまた。