「隣人を殺人者にしないため」って自分がヘイトスピーチをしたり殺人者になったりする可能性を考えてないように見えて怖いんだが
「パニックを引き起こさないためにヘイトスピーチしそうな奴らを殺せ」って集団の同調圧力の中からは普通に出てくる発想なので排外主義者と反排外主義者は同様に危険
彼らとヘイトスピーカーの共通点である「自分は正義と良識の側」っていう自惚れ、歴史から学ぼうという意識が少しでもあれば最初に疑ってかかるべきことだろうに
どうも他人への批判は自由におこなえても自分自身への批判には聞く耳持たない危ない人が多すぎるように思う
それじゃ自分に酔ってるだけじゃないか
自分に気持ちのいい言説だけ仲間内で受け入れあって、仲間意識は高まるかもしれないけどそれがすでに分断と排他の入口だって自覚はあるのだろうか
ちょっとでも異を唱えるものがあらわれると仲間と共に一斉に「ネトウヨ」レッテル張りして意見を封じ込め見えなくして自分たちだけの「正義」のぬるま湯に引きこもる
反差別の闘いの歴史を少しでも知っていれば自分たちが何とそっくりかそれぞれのディケイドごとにひとつずつ実例を挙げられるはず