保育園が、地域社会の問題を解決するインフラになる
——今回は、松本さんが経営されている「まちの保育園」のひとつ、「まちの保育園 六本木」前で写真を撮影しました。通りかかった高齢の婦人が松本さんに「あなた、前に新聞に出ているの見たわよ。読んだら、この保育園うちのすぐ近くにあるわ! と思って」と話しかけてらっしゃいましたね。まさに「まちの人」と交流が始まる場面に遭遇できたな、と。
あはは、そうですね。近隣の方に話しかけていただくことは多いですが、本当にありがたいですね。今日はスーツを着ているので、「めずらしくスーツだね」なんて言われたりも。
——「まちの保育園 六本木」には「まちの本とサンドイッチ」という販売店も併設されていて、ビジネスマンもランチを買いに来ていました。まちに開かれた新しいタイプの保育園である、「まちの保育園」。どうして、まちぐるみの保育をおこなう保育園をつくろうと思ったんですか?
第一には、子どもたちの養育環境のためです。人間の脳は、6歳までに成人の90%ほどの大きさになると言われています。人格形成期である0歳から6歳までの時期に、たくさんの人や考え方、いろんな場面に出会うことが、成長やその後の人生に大きな影響を与える。そういう観点で子どもたちの学びや育ちの環境を見たとき、はたして子どもはダイバーシティの中にいるのかと、疑問に思いました。いま日本では、3歳以上の幼児の大半は、保育園か幼稚園にいます。そして、その保育園か幼稚園で働く人の9割が女性。しかも、平均年齢が30歳前半。つまり、女性によって保育、幼児教育は支えられています。
そして、家でも基本的には母親ばかりが子どもの相手をしている。6歳未満の子どもをもつ夫の育児時間は、1日平均約40分という調査結果もあります。
——そんなに短いんですか……。
少し前のデータだと、25分くらいなので、「イクメン」効果でこれでも少し延びたんですけどね(笑)。というわけで、0歳から6歳のあいだに出会う大人が限られてしまいがちなんです。そこで、子どもたちの生育環境の多様性、多面性を保証するためにも、地域に対して開いていくことが必要なのではないかと思いました。地域には老若男女いろいろな人がいますし、保育園・幼稚園や家庭だけでは遭遇しない、社会的な場面もたくさんあります。
——なるほど。
もうひとつの目的としては、保育園を地域に対して開くことで、まちづくりの機能を担えるのではないかと思ったんです。いま、地域社会では人のつながりが希薄化していて、それが防犯・防災や独居老人、孤立して子育てをする「孤育て」などの問題を生んでいます。これまでは、町内会などの自治組織が、地域交流や防犯・防災の役割を担っていました。でもいまや、町内会に属している人が全国平均で40%くらいになり、しかも高齢化が進んでいる。昔から地域を大事にしてきた人が高齢になっても町を守り続けている一方で、新規流入者が地域活動に参加できていない現状があるんです。若い人は、町内会に入るとめんどうな付き合いが増えそうとか、単純に仕事が忙しくて参加できないと思っている。でもインタビューしてみると、若い人も自分の町を好きになりたい、もっと知りたい、価値観が合う人と同じ町で出会いたい、といった気持ちをもっていることがわかりました。コミュニティやソーシャルということに関心が高い人も多い。
——若い人たちも、地域活動へのよい入り口があれば参加してくれそうですよね。
そこで、保育園なんです。保育園というのは、言うなれば若い世代が集まる場所ですから。しかも送り迎えがあるため、若い世代が毎日通う場所になっている。だから、長期的に関係性を築きやすいんですよね。若い世代のネットワークをつくる、いわば装置のような役割を果たせるんです。そこで私たちが、町内会との橋渡しをする。若い人の意見も取り入れながら、一緒に新しい町をつくるためのコーディネートをするんです。そうしたら、若い世代と高齢者がつながりあって、先ほどあげたような社会問題を、総合的、立体的に解決できるんじゃないかと思ったんです。
——実際に、なにか新しい動きが出てきましたか?
地域広報誌をつくろうというプロジェクトが立ち上がったり、子どもと大人でつくるお祭りが始まったりと、自然発生的にいろいろなことが起こり始めています。お祭りをやるなら、神社を借りられるように調整すると町内会長さんが言ってくれたりもして。こうしたことを続けていけば、保育園の枠組みを超えて、地域社会、地域福祉のインフラになれる、まちづくりの拠点になれると、信じています。
教育への熱意が、最高のパンを引き寄せた
——保育園をまちに開いていくなかで、一番の課題はなんでしたか?
安心・安全をどう保証するかという部分ですね。安心・安全と、地域に開かれた保育園をどう両立するか。基本的に保育園の中には、見ず知らずの人がいつでも、誰でも入れないようにしました。教育的な観点からも、子どもたちが探求活動に集中できる環境は確保したいですし。ただ一方で、地域の方が気軽に訪れることができるスペースもほしかった。保育園と地域の中間領域的な場所を設計する必要があると思って、最初につくった「まちの保育園 小竹向原」にはカフェを併設することにしたんです。
——「まちの保育園 小竹向原」の「まちのパーラー」では、おいしいパンが食べられるんですよね。
いつでも誰でも来られる場所をつくっても、「行きたい」と思ってもらえなければ機能しない。ということで、カフェを思いつきました。豊かさや素敵さと同時に、持続可能性もなければいけない。だから、「いかにも保育園併設です」というふうにはしたくありませんでした。本当においしいものを提供する、本格的な飲食店があって、子どもに興味を持っていない人でさえ、そこのパンや料理が食べたいからくる。そして、だんだんと「ここは保育園もやってるんだ」と知ってもらう。そういう順序でもいいと思ったんです。
——まちのパーラーで取り扱っているのは、有名な「パーラー江古田」のパンだと聞いています。オーナーの原田さんは職人肌で、多店舗展開をしないことにこだわっていたと聞いたのですが、どうやって口説いたのでしょうか。
それは、私も聞いていたんです。原田さんのパンへの向き合い方はもはやアーティストの域ですし、ずっと尊敬していました。でも話を聞いていると、パンがおいしければいいというだけでなく、パン屋を通して文化を創造することを追求しているんだとわかりました。教育についての想いも熱く持っていた。そこで、保育園をつくる構想を打ち明けて、一緒になにかやれませんか? と持ちかけたんです。すると、やはり「俺は、2店舗目はつくらない」という答えが返ってきました(笑)。でも、そのあとに「保育園とともにある新しい店なら一緒につくってもいい」と言ってくださった。だから「まちの保育園 小竹向原」にあるのはパーラー江古田の2店舗目ではなく、「まちのパーラー」という新しい店なんです。本気でぶつかったこと、共感し合えたことがポイントだったんだと思います。
——そして、「まちの保育園 小竹向原」は、地域の人が自然に集まる場所になったんですね。
集まっていただいたあとは、具体的に人と人とをつないでいくことが必要になります。そこでまちの保育園には、全園にコミュニティコーディネーターという専任職員を配置しています。彼が、保育園と地域の橋渡しをしていく。地域の人がなにかイベントをしたいと思い立ったとき、保育園の施設をどう活かせるか企画する。子どもたちの学びをふくらませるために、地域の方に協力してもらう。そういったことを考える仕事です。
——保育園の経営とまちづくりは、意外と近いところにあるんですね。
教育とまちづくりって、同じようなことを目的にしていると思うんです。それはなにかというと、超長期的な便益。5年後、10年後どころではなく、そもそも人生をどう豊かに生きるか、この地域が今後どう持続的に発展していくか、といった視点に立っているんですよね。それって、答えがひとつに決まらない問いなんです。
例えば、町内会の皆さんと保育園で一緒にお祭りをしたとします。高齢者の方々も、子育て世代も、学生もみんな楽しんでくれて、お祭りは大成功。打ち上げをしているときに、すごくうれしいんだけど、涙が出てくる。これ、なぜなのかは答えがないですよね。こういうお互いの体験の共有を積み重ねた上に、教育やまちづくりの本質がある気がするんです。だから、答えを急がず、対話を続けていくことが大事。この人はこうと決めつけることなく、あなたはあなたでいいし、私は私でいい。そういう関係を、地域全体で普遍的につくっていきたいですね。
(次回へ続く)
構成:崎谷実穂
企画:早川書房