アピタル・大野智
2016年4月12日07時00分
前回のコラムで、ごくわずかな確率で起こる医薬品の副作用を過大評価してしまうことの問題点について、取り上げました。
また、医薬品の副作用が起こる確率が「ほぼゼロ」の場合でも、それでも不安を拭い切れない人についても言及しました。
■「0.000003%のリスク」について考えてみた(http://www.asahi.com/articles/SDI201604043006.html)
日本で義務教育を受けた人であれば、算数や数学の知識はあるわけですから、「0.000003%」という数値がどれくらい小さいものなのかは頭では理解できているはずです。それでも「0.000003%はゼロではない!」「ゼロでなければ安心できない!」といったゼロリスク思考の方が後を絶ちません。
では、なぜ、頭ではわかっていても、無理難題を押し通すかのように「ゼロリスク」を主張するようなことが起こるのでしょうか。
今回は、このゼロリスク思考の背景や問題点について、考えてみたいと思います。なお、個人的見解でもありますので異論反論はあるかとは思いますが、その点お含みおきください。
一般的に、リスクは「発生確率」と「影響の大きさ」の掛け算(乗法)で評価されます。
前回のコラムでは「発生確率」について、普段何となく感じているイメージではなく具体的な数字で考えることの重要性を指摘しました。またその数字についても、違う原因による発生確率と比較検討して、相対的に評価することの有用性についても紹介しました。
(※厳密には、発生確率は、危険事象が起こる確率のほかに、危険源への暴露の頻度や時間、回避または制限できる可能性なども考慮しますが、シンプルに危険事象が起こる確率のみをとりあげています)
リスク評価は、「発生確率」と「影響の大きさ」の『掛け算』で算出されますから、仮に発生確率が「0(ゼロ)」であれば、影響の大きさがどれだけ大きくてもリスクは「0(ゼロ)」ということになります。
問題は、リスク評価における「影響の大きさ」にありそうです。
解熱鎮痛剤であるロキソニンの副作用による影響は「腸閉塞(へいそく)」でした。下剤である酸化マグネシウムの副作用による影響は「死亡」でした。
どちらも、影響は大きいです。
ただ、「腸閉塞」や「死亡」の影響の大きさを具体的な数字で表すことはなかなか難しいかと思います。
例えば、『副作用の前後で身体的に受けた影響は約1000』とか『「死亡」は「腸閉塞」より10倍影響が大きい』などと説明することはできません。
ですが、リスクを評価する際には『「発生確率」×「影響の大きさ」』の掛け算(乗法)で考えるわけですから、仮に「影響の大きさ」が大きかったとしても、「発生確率」がものすごく小さければ全体としてのリスクの数値は小さくなるということは、小学校で習う掛け算(乗法)の知識があれば理解できると思います。
しかし、「ゼロリスク思考」の人はこれでは納得してくれません。おそらく、頭では分かっている(四則計算は理解できている)のだと思います。
では、なぜ、どうして、そのようなことが起こるのでしょうか。
その理由として、「一般的なリスク評価の方法」と「人がリスクをどう感じるか(リスク認知)」とに違いがあることが指摘されています。
たとえば、リスク評価が「掛け算(乗法)」であるところを、リスク認知では「足し算(加法)」になってしまっている、などが考えられています。
一般的なリスク評価の方法である「掛け算(乗法)」で計算すると、「影響の大きさ」が大きくても「発生確率」が小さければリスクは全体的に小さくなることは説明したとおりです。
しかし、「足し算(加法)」で計算すると、いくら「発生確率」が小さくても、「影響の大きさ」がそのまま全体のリスク評価に直結してしまいます。そのため、人は「影響の大きさ」の分だけリスクを大きく感じてしまうことになります 。
たとえば「飛行機事故」。万が一遭遇してしまえば命に直結するため、「影響の大きさ」は非常に大きい一方、「発生確率」は非常に小さいこともわかっています。
多くの人は「掛け算」で考えるため、「事故にあうのは嫌だけど、まず起きないと考えれば、速く移動できるメリットは捨てがたい」などと考え、飛行機に乗るかどうかを選択していると思います。
一方、「足し算」で考えてしまう人の場合、命に直結するという「影響の大きさが大きいこと」ばかりがクローズアップされ、「発生確率が小さいこと」は無視されてしまいます。その結果「何が何でも飛行機だけは乗らない」といった思考に陥りがちになってしまうのです。
さらに厄介なことに、「影響の大きさ」は前述のとおり具体的な数字として客観的に表せません。それは、裏を返せば主観的な評価にならざるを得ないことを意味します。
主観的な評価ということは、その人が持つ価値観や好みの影響を少なからず受けるということになります。また、そのときどきの感情の状態による影響も無視できません。
医薬品による副作用、特に命にかかわるような重大なものであれば、どんな人でも、不安になったり、心配したりするのはあたりまえです。心配性な人であれば、なおさらなことだと思います。
ですが、心配性の程度を含め、価値観や好みには個人差があります。つまり、「腸閉塞」「死亡」による「影響の大きさ」の感じ方(認知)には、個人差があるということになります。
そうなると、「掛け算(乗法)」でリスク評価をおこなったとしても、その結果には個人差がでてきてしまいます。
前回のコラムと同様に、違ったたとえで考えてみます。
好感度1位の女性タレントの「綾瀬はるか」さんが、日本人男性(20~59歳)の中から好きな男性として著者を選ぶ確率は、わずか0.000003%(酸化マグネシウムの副作用による死亡リスクと同じ)という非常に小さいものであることを前回のコラムで算出しました(発生確率)。
同じテーマを元に、今回は「影響の大きさ」について考えてみます。
もし、著者が「綾瀬はるか」さんの好きな人として選ばれた場合、(著者にとっての)「影響の大きさ」はそれこそ計り知れないものがあります。
ただ、その「影響の大きさ」だけにとらわれ、そもそも「発生確率がきわめて低い」ことを忘れて勝手な思い込みで正常な判断ができなくなってしまったら……恋愛妄想の状態になりかねません。ありもしないことをいろいろと心配しすぎる「杞憂(きゆう)」という中国の故事にちなんだ言葉もあります。
一方、「綾瀬はるか」さんに興味・関心のない人にとっては、(「綾瀬はるか」さんのファンの方には申し訳ないのですが……)「影響の大きさ」はほとんどありません。
このように、いくら発生確率が「ほぼゼロ」でも、影響の大きさが限りなく大きければ、リスクは大きく感じてしまう可能性があります。一般的なリスク評価である『「発生確率」×「影響の大きさ」』の掛け算(乗法)ではなく、『「発生確率」+「影響の大きさ」』の足し算(加法)で考えるとなおさらです。
さらに、そもそも「影響の大きさ」の評価自体が、人によって大きく異なる場合も少なくありません。ここまで両極端ではないにしろ、身の回りで起きている事象に対して、人は、多かれ少なかれ、それぞれの個人が持つ価値観や好みで「影響の大きさ」を判断しています。
ここで、ぜひ皆さんに知っておいてもらいたいことがあります。
それは、人は自分の価値観が正しいと思い込みがちだということです。そして、ともすると自分とは異なる価値観を間違いだと決めつけがちにもなります。
しかし、万人にとって絶対的に正しい価値観というようなものは存在しません。ですから、価値観や好みについて、「正しい/間違い」「正義/悪」といった決め付けをすることは、信念対立に陥るだけで意味がありません。
ましてや、自分の価値観が正しいと妄信し、他人に自分の価値観を押し付けたり、自分とは異なる価値観を非難したりすることは慎むべきです。
リスク評価においては、多様な価値観の存在を認めることが重要なのではないかと考えます。
それと、もうひとつ。
「腸閉塞」「死亡」による「影響の大きさ」は、感じ方に個人差はあれ、どの人にとっても大きなものになることは確かです。だからといって、その副作用を引き起こす薬までもが「間違っている」「悪である」という拡大解釈をしてしまうと、正確なリスク評価ができなくなってしまいます。
交通事故による死亡というリスクを考えるとき、「車の存在は間違っている」「車は悪である」などと言い出したら、それこそ、ますますゼロリスク思考に陥りかねません。
ゼロリスク思考の落とし穴は、案外、このようなところにあるのではないかと個人的には感じています。
<アピタル:これって効きますか?>
大阪大学大学院医学系研究科統合医療学寄附講座 准教授/早稲田大学ナノ・ライフ創新研究機構 客員准教授。1971年浜松市生まれ。98年島根医科大学(現・島根大医学部)卒。主な研究テーマは腫瘍免疫学、がん免疫療法。補完代替医療や健康食品にも詳しく、厚労省『「統合医療」情報発信サイト』の作成に取り組む。
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