芸能人というのは幻想が肥大していく存在だと思うんだが、私なんかは家にテレビがないから、余計にそうである。ものすごく勝手なイメージを作りあげて、そのまま頭のなかに放置されている。
私の頭のなかの木村拓哉なんか、ものすごいことになっている。ドラマの木村拓哉もバラエティの木村拓哉もほとんど知らないものだから、どこかで聞いた少数のエピソードから、すさまじいイメージが作り出されている。本当にこんな男がいるのか、こんなものは超人の域じゃないのか、というレベルにまで膨れあがっている。
今日は私の頭のなかの木村拓哉について書きたい。
私が思うに、この人は24時間、いかにカッコイイ状態でいられるかを探求するアスリートである。あらゆる状況において、「この状況でもっともカッコイイ振舞いは何か?」という問いを胸に行動している男である。そういうスポーツを一人でやっている。他に参加者はいない。競技人口は一人、木村拓哉のみである。
根拠となるエピソードを紹介したい。
まずは、ハンバーガーに関するエピソード。
木村拓哉はマクドナルドでは絶対に同じ注文をするらしい。ハンバーガー単品、テイクアウト。マクドナルドではそれ以外の注文はしない。そして、購入したハンバーガーを店の前でガードレールにもたれかかりながら食べる。なぜか? それが「マクドナルドという場における、もっともカッコイイ振舞い」だからだ。
十年前、この話を聞いて、なんだそれは、と思った。その徹底ぶりにおどろいた。フィレオフィッシュを食べたい時はどうするんだ。たまにはポテトも付けたくなるんじゃないのか。真冬は寒いし店内で食べたくなるんじゃないのか。一挙に膨大な疑問が湧いてきた。そういう諸々の欲望よりも、カッコよくあることを優先するのか? しかも舞台の上だけじゃなく、単なるマクドナルドでの注文で?
私の頭のなかの木村拓哉が、アイドルからアスリートに切り替わった瞬間だった。いわば、記念碑的エピソードである。
次に、ラスベガスのカジノでのエピソード。
木村拓哉と他の数人でラスベガスに遊びに行った。カジノでスロットマシンを見つけた。みんなでコインをいれてみる。しばらくすると、木村拓哉が大当りを出した。いわゆるジャックポットというやつだ。ジャラジャラ出てくるコインに周囲は興奮ぎみで、「すげえじゃん、やっぱ木村くん持ってんなあ!」などと盛り上がっている。しかし木村拓哉は表情ひとつ変えていなかった。そしてぽつりと一言、
「出ちった」
これには解説がついていた。
カジノで大当りを出すこともすごいんだが、もっとすごいのは、その状況にまったく浮かれず、あくまでも「大当りを引いた状況でできるいちばんカッコイイ振舞い」をしていることだ。誰だって運よく大当りを引くことはある。しかし凡人はそれに舞い上がり、「ウワーッ!」とか、「ヤッターうれしー!」とか、普通のリアクションをしてしまう。するとそれは「大当りに浮かれる普通の男」だ。別にカッコよくはない。だから木村拓哉はコインがジャラジャラ出ていようが、一言ぽつりと、
「出ちった」
これが「解答」なわけである。
マクドナルドにおけるカッコよさの最終解答、スロットマシンのジャックポットにおけるカッコよさの最終解答、すでに木村拓哉という男は二つもカッコよさの最終解答を提示している。あらゆる局面におけるカッコよさを追求するアスリートたるゆえんである。
まだ話はある。すべて書いておきたい。
スマップが駆け出しで、まだ一部のファンが注目している状態だったころ、握手会があった。CDを買ってもらい、握手する。新人アイドルの定番の仕事である。集まった女性ファンは、スマップのメンバーひとりひとりと握手し、すこしだけ会話をかわしていった。
握手会が終わったあと、ファンのみんなで集まって食事していたとき、「こんなことを言うのは恥ずかしいんだけれど」と前置きして、一人の女が切り出した。
「私ね、あの子のこと、好きにさせちゃったかもしれない」
すかさず別の一人が言った。
「わたしも! ひとりだけ、この子はわたしに気があるんじゃないかって思った!」
これを皮切りに、次々と同じ反応が出てきた。
「あの子、わたしのこと好きなんじゃないの?」
その場の誰もが思っていた。もちろん実際はそんなはずはない。しかし握手と数秒間の会話だけで、その場にいた全員に、「この子は仕事じゃなく、本気で私のことを好きなんだ」と錯覚させた男がいた。「あの子」の名前を同時に言ってみた。声は見事に重なった。
「木村くん!」
次の話で最後である。
これは伝聞じゃなく、私がネットでみた動画の話。
詳細は分からないが、九十年代、人気のピークにある木村拓哉が、ライブ中にひとりで弾き語りをしている。ライブのワンコーナーだろう。木村拓哉はひとりで舞台に立ち、『はじめてのチュウ』を弾き語っている。会場の女性ファンは最初から大興奮でキャーキャーいっている。「キャー!木村くーん!」そんな声があちこちから飛んでいる。
しかし、それで満足する木村拓哉ではない。
シーズン最多安打を達成した直後に次のヒットのことを考えていたイチローのように、女性ファンの盛り上がりが最高潮になっている瞬間にも、木村拓哉は次の一手を考えていた。なぜそんなことが言えるのか? 曲の中盤、「きみとチュウ」と歌う部分にさしかかったとき、木村拓哉はアドリブで、これを「みんなとチュウ」と言い換えて歌ったからである。
この瞬間、すでに限界に達していたはずの客席の興奮は別の次元に到達し、ひっ、ひっ、ひっ、
ヒィアァァァーーーーッッッ!
そんな反応が生まれていた。
私は酒を飲みながらその動画を見ていて、なんだかもう、爆笑していた。笑いがとまらなくなっていた。キャーなんて言われちゃダメなんだと思った。女にハヒフヘホを出させたとき、女の叫びをカキクケコからハヒフヘホに変化させたとき、はじめてそのアイドルは超一流だと言えるのだと思った。
大半のアイドルはカキクケコに留まる。そこが最終地点だと思い込んでいるからだ。木村拓哉だけが知っている。カキクケコは通過点にすぎないことを、その向こう側に、少数の人間だけが辿りつけるハヒフヘホの世界があることを!
凡庸なアイドルは、キャーキャー言われたら思うことだろう。
「俺スゲー、超売れてんじゃん!」
しかし木村拓哉は思うだろう。
「駄目だ、ハヒフヘホが聞こえない!」
これが、私の頭のなかの木村拓哉である。
長いことまともにテレビを見ていないから、こういう断片的なイメージが、どんどん頭のなかで純化されている。アスリートである。まさにアスリート。カッコよくあるというただそれだけのために、自分に与えられた全エネルギーを費す覚悟を決めた男だ。駆け出し時代の握手会から人気絶頂期のライブまで、マクドナルドでの日常的な注文からカジノでの突発的ジャックポットまで、木村拓哉に隙はない。
以上で話は終わりである。
余談だが、今日紹介したエピソードのなかでは、私はカジノの話がいちばん好きである。「出ちった」である。これは本当に良いと思う。私もぜひとも真似したい。まずは飲み会でさんざんビールを飲むところから。そしてトイレが間に合わず、女性陣の前で見事に放尿。
「出ちった」
これでいこう。