今日、ちょっと時間があったのでブログの過去記事を直してました。最近暇な時間ができると過去記事を直すかスマホゲームしてることが多いのです。
過去の記事を読むと、はてなプロにしてない頃だからキーワードリンクが生きてたり、訳のわからない強調文とか、リズム感の悪い強調文とか、意味のない強調文とか!
なんっだよ!ブログ初心者だった隊長は強調使いすぎ!!
これね、変に強調使うと流れが悪くなるから僕には合わない、僕向きの書き方じゃない。
そんな事を思いながら過去記事の修正してました。
君は何のために過去記事修正する?
今回はちょっとしたネタ記事を直してました。つまらない記事ですよ、つまらないけど僕は好きでね。
逆に、なんでこれでみんな喜んでくれなかったのかなとすら思った記事です。全然反響なかったさ。。。
で、そんな可哀想な記事にまた生命を宿すため、せっせと修正しておりました。
- 無駄な強調はやめる
- 無駄な空行は埋める
- 太文字乱立は避ける
意識したところはこのあたり。ネタ記事はリズムが大切。スラスラと読める文じゃないと勢いで攻める事ができない。つまりゴリ押し戦法ができないんですよ。
でもね、修正してから気づいたの。
読まれない文を直しても意味あるのかな?
こうしてせっせと修正加えても、検索で人が来るわけでもない、これまで全然読まれてこなかった、そんな記事を直す意味なんてあるのかな?
直すならもっと収益の高い記事をした方がいいのではないか?
それを考えるとすごく悲しくなってきて、あぁ自分はダメだと思えてきたんだ。
読まれない記事に命を吹き込んでもすぐ死ぬだけ。
この花を咲かせてやる事はできないのか。
- 収益にむけたリライト
- 面白さを追求したリライト
今回は後者を選んだ。いつか僕の記事が好きな人が現れた時のために、過去記事を読むにつれガッカリされないように。
でもわかってる、そんな人は現れない、そしてこの記事は読まれない。わかってるんだよ。
他のブロガーを尊敬している
嫌味ではなく、本当にみんなはいい記事を書くと思ってる。何か教えようとしてくれるよね、気づかせてくれたり問題提起してくれたり。
僕のブログは所詮SNSなんだよ、自分にあった出来事の話、観光した話、自己満足な世界。だけどみんなは違う、何かしら情報を与えてくれる。教えようとしてくれる。
僕もみんなのような精密に作られた記事を書きたいけど、スタート位置からしてズレている。書けないんだよ、そんな記事が。
「こんな事があるよ」
「これいい方法だよ」
そんな役立つ話を提供してくれて素晴らしいと思う反面自分の役に立たなさを悲観する。
あぁ、自分はみんなのレベルに達していない。
みんなのように輝きたいけど僕には難しいようだ。
でも、その現実を踏まえて僕はリライトする。
過去の駄文に少しでも生命を吹き込みたいと思う。また人に読まれて花咲かすチャンスを与えたい。また光を当ててあげたい。
公開直後の一瞬だけでなく、再び他人の目にふれ感動させれる文を育てたい。
それが能力がない僕の最後の願いです。
それでは、どうぞ。読んでください。
「ボーズ頭の捕まえ方」です。