僕の尊敬してやまないけいろーさんのブログ。
けいろーさんのブログは空気が違う。毎日更新とかPVとか収益とかバズとかと完全に違う世界がある。いつもならババッと読んでしまう人のブログながら、けいろーさんのブログは読む時間もゆっくりになる。文章をあじわいたくなる。
といいつつ、読者さんは僕の軽く4倍ほどある大大大先輩尊敬ブロガーだ。
とりあえず↑この記事をゆっくり読んでみてくださいよ。ドキッとする部分があるかもしれないから。
1年前に僕がブログを書き始めた頃のタイトルと、ここ最近のブログのタイトルはものすごく違いがある。最近のブログは今風で「誰かに読まれたくなるような=検索されたそうな」タイトルと中身だ。もちろん、すべて文章はオリジナルだし自分の経験とか知識とかから生み出した文章だけど、僕じゃなくても書けそうだ。
でもだからこそ「誰かの欲しい知識、知りたい経験」なのかもしれないし、検索されることでPVも増えるだろう、PVが増えることで広告収入も増えるだろう。でもそれ、僕のブログを書き始めた目的だったっけと思うと全然そうじゃない。
ここ、僕にとってはまさに答えなんですよ。
多数派や流行に乗っかり、数字を重視したメディア運営をするのはおもしろいし、そちらのほうが大きな需要を抱えていることは間違いない。しかし一方では、もともとのブログの一要素でもあった、「個人的な話」にもニッチながら需要があり、全くの無価値だとは思わない。 結局のところ、これは「ブログ運営」における、方向性の違いの話でしかない。それゆえに――開き直りというか、言い訳がましくすらあるけれど――、たとえ、どっちつかずの脳内ダダ漏れ文章だって、必ずしも意味がないとは言い切れない。だから、好き勝手に書いてもいいと思うんだ。
自分の主張を持てない、独りよがりで“個人的”なブログ - ぐるりみち。
たとえば去年の5月といえばブログを始めて2-3ヶ月、書くことにも慣れてきたし書くことが楽しくなり始めた頃。5月1日から5月10日までに書いた記事のタイトルがね、
10日間でこんなことを書いてて、10月の58記事/月まで毎月50記事くら位書いてたんですよね。
ブロガーとして無知だったといえばそれまでだし、ネタが一杯あったんだろと言われたら今が「ちょっと知恵がついてネタが尽きてきた」と言えばそれまでかもしれないけど、この頃ってもっと言葉が生きてた気がするし、指がもっと踊ってた気がする(いや、今でも十分指と脳は直結して文章は書いてるんだけど)。
面白い記事を書きたいと思うし、勉強になるなあと思われる記事も書きたいし、「そうだよ!同感!」と言われるような記事を書きたいという気持ちもあるし、収益が多いほうがお小遣い増えるし万々歳なんだけど、あまりにそれらが強すぎると、どこをきっても同じ金太郎飴のような「金太郎ブログ」のようになってしまうような気がする。
でもやっぱりそれを僕は目指してない。僕は僕の感性で僕の文章を書いていきたい。書くのは僕だ。お願いですから見て下さい検索して下さい、のような文章はやめよう。
それにもうネガコメ見て凹むほどピュアじゃないんですよ(笑)