サンダース・パラドックス
2016年の大統領選ではいろいろと不思議な現象が起きている。
ひとつは、民主党候補の「バーニー・サンダース・パラドックス」だ。
サンダースのスタンスは基本的にアンチ大企業・富裕層だ。
たとえば、現在の選挙システムでは、大金を使ってコマーシャルを流せる候補しか勝てない。それだけの大金を得られるのは、特殊権益を持つ企業から寄付を受ける候補だけ。つまり「現存の選挙制度では、一握りの裕福な人々と特殊権益を持つ企業が、選挙の勝者を決めてしまう」として、選挙制度改革を公約している。
ヒラリーも制度改革には賛成の立場だが、キャンペーンでプライオリティの上位に掲げているのはサンダースだ。
サンダースの主張が正しいとすれば「裕福な層と企業からの献金を受けた候補しか勝てない」ことになる。だから、もし勝ったら彼の主張が間違っていたことを証明することになる。でも、サンダースは勝つつもりで戦っている。それが「サンダース・パラドックス」と呼ばれているのだ。
さらに「サンダース・パラドックス」な数字がある。
最近の予備選で、サンダースとヒラリーの陣営が使ったコマーシャル代(テレビやラジオ)と結果を比較してみよう(四捨五入)。
両陣営が3月22日までにテレビやラジオのコマーシャルに使った広告費の総計を比較すると、サンダースが4200万ドルで、ヒラリーの3600万ドルより600万ドル(約70億円)も多く使っている。
だが、22日までの選挙では、前号で書いたように、ヒラリーがサンダースに差をつけて勝っている。つまり、ここまでの状況では、バーニー・サンダース自身が「金で選挙は買えない」ことを証明したことになる。
もっとややこしいのは、22日のアイダホとユタ、26日のハワイ、ワシントンだ(アラスカは数字が見つからなかった)。
サンダースはこの4州で圧勝したが、ヒラリーはそれらの州ではまったくコマーシャル代を使っていない。これらの州では、サンダースは忌み嫌う「金で選挙を買う」行動を率先して行ったことになる。
彼の政治資金のほぼ全額がふつうの支持者からの少額の積み重ねだというのは紛れもない事実だ。公約どおり、特殊権益を持つ企業からの献金は受けていない。
だが、今回の大統領選挙で、共和党と民主党の両方をあわせて、コマーシャル代を最も多く使っているのはサンダースなのだ。
金をかけていないトランプが独走している
選挙と金に関するこれまでの常識が崩壊したのは、民主党側だけではない。
予備選が始まる1年前から外部政治団体(スーパーPAC)が1億ドル以上資金を集めたジェブ・ブッシュは、資金の上ではすべてのライバルを大きく引き離していたが、結局どの州でもぱっとしないままドロップアウトした。
フロリダ州出身の上院議員マルコ・ルビオも、2月の時点で1億ドル以上を集め、正念場のフロリダでは広告に820万ドルも使った。アンチ・トランプのスーパーPACがトランプを中傷するコマーシャルに740万ドル使って援護射撃したのだが、結局は、それよりも少ない220万ドルしか使わなかったトランプが圧勝したのだ。
現時点で集めた政治資金の額でも、残った3人の候補ではトランプの346万ドルが一番少ないのだが、ご存知のようにトップを走っているのはトランプだ。
そのからくりについては、「トランプの巧妙な選挙戦略、炎上ツイートと群がるメディア」という記事で説明した。
どうして金が効かないのか
テレビやラジオのコマーシャルの影響力が劇的に弱まっている理由は、国民の間に広まっている「懐疑心」と「反感」だと私は考える。アメリカ政府や議会に対する失望と不信感が、テレビコマーシャルを含め、これまで力を持っていたすべてのものに対する懐疑心と反感に繋がっている。現在は、既成のメディアに頼らなくても、ネットで簡単に情報が得られるし、専門家でなくてもソーシャルメディアで自由に発言でき、意見を広めることができる。そういったパワーシフトも関係あるだろう。
サンダース支持者である34歳のIT技術者は、ガーディアン紙の取材で「もしサンダースがヒラリーに負けたらトランプを応援することを考えている」と答えていた。
その理由のひとつが、「僕は何か新しいもの、規制の枠組みを超えた(outside the box)アイディアに前進したい」だった。こういった、「アンチ・エスタブリッシュメント(反体制)」はサンダースとトランプ、2人の候補の支持者に共通している部分だ。
ソーシャルメディアの活用で成功しているのも、サンダースとトランプ陣営だ。
この二つの支持層の共通点は、ヒラリーに対する「ウォール街に買われている」、「正直ではない。信頼できない」、といったネガティブな印象だ。
では、誰が正直で、誰がウソつきなのか?
そこで、POLITIFACTを見てみた。POLITIFACTは、政治における発言の信憑性を監視するサイトで、ピューリツァー賞も受賞している。
ここでは、各候補の発言のファクトチェックをし、「事実(true)」「ほぼ事実(mostly true)」「半分事実(half true)」「ほぼ間違い(mostly false)」「間違い(false)」「大嘘(Pants on Fire)」の6段階で評価している。
そのPOLITIFACTによると、共和党と民主党を含めた大統領候補のなかで、最も「正直」なのはヒラリーなのだ(3月27日時点)。
ヒラリーの発言の72%は「事実、あるいはほぼ事実」で、70%のサンダースが2位に続く。大統領選を戦っている候補にとって、まったく隙のない「事実」を伝えるのは、実は非常に難しいことである。事実は複雑なので、メッセージを有権者にシンプルに伝えるために誇張せねばならないこともある。そこで、基本的には正しいが詳細に問題がある「ほぼ事実」、大筋は正しいが誇張や過剰な約束がある「半分事実」の発言が起こる。とはいえ、ヒラリーの場合には24%が完璧な「事実」で、サンダースの15%よりずっと正確だと言える。
支持者の間で「事実を率直に伝える」と評価が高いトランプにいたっては、「事実」はたったの3%。そればかりか、77%が「ほぼ間違い、間違い、大嘘」、そのうち19%は事実無根の「大嘘(Liar Liar Pants On Fire!)」なのだ。
対抗馬のクルーズにしても正直さは6%とお粗末な数字だ。
ではなぜこういった「事実」が有権者に浸透しないのか?
それには、いろいろな理由がある。
まず、メディアにとって、まともな事実はおもしろくないのだ。
テレビの政治番組は、目新しく意外な候補(トランプやサンダース)が驚くようなことをしてくれるほうが、ストーリーになる。彼らに注目し、盛り上げ、それで選挙が泥沼化すれば、さらに視聴率は上がる。
2016年の大統領選は、アメリカのメディアにとっては夢のようなシナリオなのだ。共和党のケーシック候補は、まともな発言が多すぎて面白くないからテレビに出演させてもらう機会がこれまであまりなかった。また、ヒラリーに関しては、公平で好意的であるより、批判的であるほうが話題になる。特に保守的なFox Newsは長年にわたってヒラリー批判を伝えてきたので、共和党支持者のなかでは、真偽にかかわらず、それが「事実」として定着している。
こういう態度は、オバマ大統領に対する批判にも共通している。
オバマ大統領に対して「共和党や議会と妥協せず、溝を深めた」という批判がある。しかし、過去7年間、共和党議員たちは、「黒人差別者」と非難されても仕方がないほど、一貫してオバマ大統領に反発してきた。その行動をみれば、どちらに非があるかは明らかなはずだ。
だが、保守的なテレビ局は、「オバマ大統領はアメリカを弱くした」「アメリカは危機にさらされている」「違法移民がアメリカを乗っ取る」「政府も議会も崩壊している」「プロの政治家はもうだめだ」というメッセージを2008年から繰り返し流してきた。国民がそれを「事実」と信じこんでも不思議はない。
私は2008年の選挙ではオバマ候補の熱狂的支持者ではなかったし、彼の政策に賛成できないことはしばしばある。だが、過去の大統領と比較すれば、この逆風のなかでオバマ大統領は非常によくやっていると思っている。だが、「よくやった」という好意的な評価はニュースにはならない。好転しない状況とそれに対する批判のみが国民の心に強く残る。
カルト宗教でマインドコントロールされた人を見て、一般人は「なぜ、あんなにおかしなことを信じるのか?」と首を傾げる。そして、「自分なら絶対に騙されない」と思う。
だが、人は信じたいものを信じる。
そして、自分の信じていたことを覆す情報を読むと気分が悪くなったり、排除したくなったりするはずだ。そういった自分の脆弱さを自覚していないと、気づかないうちに自分も事実を見失ってしまう。
トランプは、アイオワのラリーで「僕が(マンハッタンの)5番街のど真ん中に立って人を撃っても、支持者は失わない」と自慢した。
人心掌握に長けたトランプは、いったん信じこんだら人はそこから抜け出せないという心理がわかっているのだ。イスラム教徒差別、女性蔑視、ライバルのこき下ろしなど、トランプが言いたい放題なのも当然だ。発言の77%が嘘でも、支持者は「正直だ」と言ってくれるのだから。
だが、私たちの心の中にも見たいものしか見ようとしないトランプの支持者が住んでいることは忘れてはならない。