本文庫には蔵書のほかに、「手稿ノート」、来信書簡、写真、手帳、新聞切り抜きや地図など資料類が収められる。「手稿ノート」は、少数の冊子型ノートと多数のルーズリーフ型ノートに分かれるが、その総頁数は10,000頁を超える。ルーズリーフ型ノートの大半は、加藤自身によって主題別にファイリングされ、そのファイル数は1,000を超す。これらの「手稿ノート」は主として執筆の準備のために取られたものであり、加藤の著作や思想を精しく分析するための重要な資料となるものである。これらの「手稿ノート」は、現在、立命館大学図書館および同大学加藤周一現代思想研究センターを中心に整理が進められており、整理作業が完了し次第、デジタルアーカイブ化し、公開する予定である(ただし一部非公開のものを含む)。
「手稿ノート」には、加藤が1937年から1942年5月にかけて、すなわち17歳から22歳にかけて書き綴った8冊の冊子型ノートがある。われわれはこれを「青春ノート」と名づけて、最初に公開できるよう準備を進めてきた。この「青春ノート」から、青年時代の加藤の生き方と、その後の加藤の思想と行動の原点を知ることができる、と考えたからである。
「青春ノート」には、短編小説、詩歌、評論、随想、日記、警句などが綴られる。加藤が思索したことが記されるが、そのいくつかはのちの加藤の著作に発展継承されていく。
たとえば「一九四一年十二月八日」という表題の日記がある。そこには太平洋戦争が始まった日の大学内の様子や、教授陣の態度や、加藤が考え感じたことが述べられており、これは加藤を知る上で重要であるばかりではなく、歴史的な資料としても貴重である。