中村真理
2016年3月17日16時19分
全国に伝わるカッパ伝説。三重県熊野市飛鳥町にも、300年以上にわたってカッパとの「約束」を守ってキュウリの栽培を禁じた集落がある。農業収入を得るため、栽培を解禁して35年が経った。カッパ伝説はどうなったのか。集落を訪ねた。
市中心から車で約30分走ると、大又川沿いに平(だいら)集落の田んぼが広がる。住民に道を聞きながら河原にたどりつく。「カッパ之碑」はひっそりとたっていた。
碑の横の説明によると、「三百年の伝統を重ねたキュウリ作らずの禁を解き、祈願の経本の代りとして此の碑を建てる」(原文ママ)。1983年3月にたてられたようだ。「碑の前は深いふちで、カッパがいたということだよ」。近所の人が教えてくれた。
「あの時、集落は大騒動だった」。住民の桑原清志さん(68)は振り返る。
当時の新聞や「熊野の文学と伝承」(みえ熊野学研究会編)によると、発端は80年秋、市農協から持ちかけられた採種用のキュウリ栽培の話だ。住民同士の話し合いが何度ももたれた。
「集落の長老はキュウリを作ったらバチが当たるって、うるそうてね」と桑原さん。「おはらいをちゃんとするから」と説得に当たった1人が桑原さんの祖父だった。
残り:588文字/全文:1096文字
おすすめコンテンツ
※Twitterのサービスが混み合っている時など、ツイートが表示されない場合もあります。
朝日新聞社会部
ここから広告です
広告終わり
ここから広告です
広告終わり
ここから広告です
広告終わり
PR比べてお得!