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10代の恋愛絡み事件で自分の10代に起こったことを考えるPart.1(日記ブログです)

kenzee「福岡の予備校生の刺殺事件あったじゃないですか。とにかく痛ましい事件で。亡くなった子は本当に無念だと思うのだけれども」

司会者「今のところだと、容疑者の少年(19歳)は両手に重傷を負っていて、やはり恋愛感情がこじれての事件だったみたいですな」

kenzee「ウチはあんまり時事的な話題を扱わない、を方針にやってきたのだけど、10年目にして時事ネタを取り上げようと思うのだ。10代の少年の恋愛、というテーマに」

司会者「「10代の恋愛っていうと、ユルフワ女子の恋ブログみたいだけども」

kenzee「もうちょっと暗い話です。福岡の事件とか、チャールズトーマスの事件とかニュースで見るたびにボクは凄く複雑な気持ちになるのだよ。ボクは今でこそ40のオッサンでウンコとかチンコとかホテヘルとか風俗の話ばかりしているが」

司会者「(エ? 音楽評論家は?)」

kenzee「ボクにもかつて高校生の頃があった。そして当時、お付き合いしていた彼女がいたのだ。同級生だ。その子を仮にモー子ちゃんとしよう。モー子ちゃんとは高2から高3にかけて約1年ほどおつきあいをした。いろいろデートとかもした。無論、田舎の高校生カップルなので「サーテ、今日はドコ行く? SMバーで縛られてみる?」などといった大人のデートではない。できたばかりの地下鉄中央線に乗って海遊館まで来てみたものの、休館日だった、というトホホな思い出がある。あと、京都の六地蔵という田舎に当時、巨大迷路があって、結構マジな迷路でホントに迷ってパニクった、という思い出もある」

司会者「ダメな彼氏だなア、オイ」

kenzee「最近は映画デートはあまり流行らないらしいが、当時はまだ定番だった。いくら空気の読めない17歳のボクでも「オ、午前10時の映画祭、ジョン・ウォーターズ特集かア、「ピンク・フラミンゴ」でも観ますか?」などといった空気読めない男になる以前の、少年時代の話なので逆にちゃんと織田裕二映画をセレクトしたのだった。「就職戦線異常なし」というものだ。エンディングテーマが槇原どんなときも。ではじめてこの映画で槇原曲に出会い、ドギモを向かれた記憶がある。細かい話すると、「どんなときも。」は基本、クリシェ(ベースラインが階段進行でおりてゆくベタは技法。フォークソングなどに多い)でできている一見、ベタベタなポップスなのだが、サビの直前に教授バリの複雑な不協和音でサビに突入するのだが、一応、幼少のミギリにピアノとか習ってたボクはアカデミック視点のフォーク、と感じて感心したんだ。そしてサビは何重にもコーラスを重ねたうえ、アー、アーという黒人みたいなコーラスも登場する。このすべての声がヴォーカルのナニ原ナニ之という読み方もよくわからないシンガーソングライターのものだということはすぐわかったので、ちょっとスゴイ曲なんではないかと思ったのをよく覚えている」

司会者「四半世紀も昔のおぼろげなデートの思い出なのに、音楽の印象はハッキリと記憶に残ってるモンだな、キミは」

kenzee「モー子は茶道部で週に一度、部活があって、(四半世紀も前の話だが、これもよく覚えている。水曜日だ)この日は一緒に学校から帰るのだ。ボクはチャリ通でモー子は電車バス通学だったので、バス停の近くの公園のベンチで遅くまでお喋りしたのさ。茶道部ではお茶菓子がでるので残り物のクズモチやおまんじゅうをモー子はよくゲットしていて、公園で二人で食べたものだ。そこではじめてチューをしたのだ。ところでチューをするとチンコがボッキンボッキンにボッキするのだった。ベンチに座ってチューをしていたので非常に立ち上がるのが困難なことになった。「大人の恋人たちはどうやっているのだろう」でも、たぶんモー子は気付いてたと思うな」

司会者「甘酸っぱいのか下品なのかわからない話です」

kenzee「それにしても一体、なんの話をしていたのだろう。別に共通の趣味があったわけでもないのだ。高2の夏休みにモー子の家に遊びに行ったことがある。はじめて女の子の部屋に入ったのだった。勉強机とベッドと小さい折りたたみ式のテーブルがあって、そこでトマトプリッツとかサイダーとか飲んだ」

司会者「そして、次の展開は、ナニー!」

kenzee「たぶん1万円ぐらいだと思う、安物のエレキギターが立てかけてあって、ボクは一応ギターのコード弾きぐらいはできたので適当に弦をチューニングしてジャンジャカ弾いた。ブルーハーツとか。モー子がまったくボクのギタープレイに興味を持っていなかったことが印象的であった」

司会者「そのシチュエーションで弾くべきはギターじゃなかったからだよ!」

kenzee「そしてなにもせずに終電が近づいたので近鉄奈良駅まで送ってもらった。バイバーイって」

司会者「なんか、だんだんわかってきたよ。オマエが作家としてもパッとしないワケが」

kenzee「そもそもボクはモー子に告白されたのだった。共通の知人を介して。モー子は英語が得意でなんか、英語の弁論大会みたいなところでナントカ賞みたいなのをとったりしている子で、大学に行ったらアメリカに留学したいとか目標をもったキチンとした人だった」

司会者「アー、でも田舎の進学校にイガチなタイプでもあるがナ」

kenzee「将来は中学か高校の英語の教員になろうと考えていたようだ。実際には我々の世代で教員志望というのは、どこの地方でも絶望的な高倍率で現実には早々に諦めざるをえない状況だったようだ。これは現在、中学校の教員を勤める同世代の1974年生まれの小説家、瀬尾まいこさんのエッセイなどにもでてくる我々世代あるあるエピソードのようだ。(10年ほど前、私は瀬尾さんの小説の熱心な読者だった時期がある。それは瀬尾さんの小説の素晴らしさもさることながら、そこにモー子の影を見ていたのである)ボクはなにも考えていなかった。オレはアホなのか。本当になにも考えていなかった。物書きになりたいとも思っていなかった。今もあまり物書きだと思っていない。ボクは自分から原稿を売り込んだことは一度もない。商業原稿、出版物はすべて、依頼があって、引き受けたものである」

司会者「今年は作家らしく、ちゃんと営業とかしようと思ってます」

kenzee「お正月の3が日が明けてすぐ、モー子のお誕生日がやってきた。モー子は早生まれなので年が明けてようやく17歳となった。お誕生日にはやはりデートした。生駒山上遊園地にある、スケートリンクである。で、スケートを滑ったり、タコ焼きを食べたりしたのだ。有線の音楽が流れていたのだが、その前年にでたフリッパーズギターのアルバムから「世界塔よ永遠に」が流れたのを妙に覚えている。カップル向けのスケートリンクにはあまりに不釣合いな前衛的な音楽だったからだ。作者の小沢健二さんの自己顕示欲っぷりがよく表れた異色作だ。この音楽の作曲者は数年後に独創的なラブソングの王子様となる。そしてケーブルカーに乗って帰ってきた。そういえば生駒山上のケーブルカーなど、あれ以来、四半世紀乗っていない。しかし、四半世紀も脳内の底に沈殿していた記憶がこれほど鮮やかにポロポロ蘇るとは。先月のことすらほとんど思い出せないのに。また、その後の付き合った人の記憶もこれほど鮮明ではない。やはり10代の異性との記憶というものはなにか特別なフォルダに保管されるようだ。たとえば、当時どんな話をしたのか。その断片も拾い上げることができた。モー子は両目の視力に極端に差がある。片方が1.0で片方が0.5とかそんな感じだ。なのでコンタクトもそれぞれ全然違う度のものだ。ナゼ、そんなことになったか。モー子はテレビを観るとき、こう、ナナメに流し目みたいな感じで観るのだ。子供の頃からそうだったらしい。そんなテレビ視聴を10年以上続けるとそうなったようだ」

司会者「なんか、カップルらしいヘンテコエピソードだな」

kenzee「モー子はTMネットワークのファンであった。TMファンといえば、FANKSであって、いかに古いファンかを競い合う世界だが、モー子はTMが迷走し始めたTMNになってからのファンというドンくさいにも程があるタイミングでのファンであった。そこで木根さんのファンになったのならなかなか先見の明があることになるが、小室のファンであった。そのままだ。今のモー子から小室論を聞いてみたいところだが、ボクはモー子の現在の消息を知らない。なにしろボクは同窓会とか一切でない性分なのでね」

司会者「待てよ、モー子さんは今もどこかで生きているワケだろ? たぶん、当時の同級生とかはモー子が誰か特定できちゃうと思うけど、大丈夫なのか。ホレ、きっと結婚とかしてるだろうし」

kenzee「昔の同級生で、ボクがヘンなブロガーで本とかだしてるとか誰も知らないから大丈夫だ。ところでここから本題に入る。ナゼ、四半世紀も脳内に沈めていた記憶を今、書きとめているのか。福岡の予備校生の事件のニュースを聞いて、急に当時のことがマザマザと思い出されてきたのだ。こんなリア充で(当時こんな言葉なかったけど)ラブラブなエピソードと福岡の事件となにも関係なさそうだが、どういうこか。まず、先のモー子の17歳誕生日デートのあと、モー子は急速に気持ちが冷めてきたようなのだった。事実、生駒山上スケート以来、モー子とはデートしていない。なんとなく、冷たい態度も感じられるようになった。加えて、3学期が終わり(40も過ぎて「学期」とかいうとは思わなかった)3年生になりクラスが異動となった。モー子とは別のクラスになった。偶然か? これは、学校の先生の間でもボクとモー子カップルについては知られており、意図的に離すことになったのだと思われる。しかし、この措置は結果的にボクとモー子の人生を救ったともいえる。新学期になり、顔を合わせにくくなったこともあり、いよいよモー子はハッキリとボクを避けるようになった。また、冷たい態度をとるようになった。今思えばモー子はボクに嫌われるようにあえて冷たくふるまっていたように思う。そこはモー子も未熟であった。(モー子もまた、17歳になったばかりだったのだ)人は一度、好きになった人をちょっと冷たくされたぐらいで嫌いになどならないのである。無論、そこで怒り出すタイプの男もいるだろう。だが、ボクは違った。自分に非があるのだと思った。かようにモー子はしっかりした子で、将来の目標もキチンと定めているようなタイプだ。翻ってボクは、そんなモー子に依存していた。一緒にいる相手はモー子しか考えられない。モー子はボクのことが負担になってきたのだろう」

司会者「マ、一言でいうと、あまえんぼ彼氏やね」

kenzee「新学期そうそうのある日のモー子の部活の帰り。いつものようにバス停近くの公園のベンチで話し合っていたのだが、意識的にであろう、いつになくモー子はつれない態度であった。ボクの怒りを買おうとしていたのかもしれない」

司会者「オメー、なんなんだヨ、その態度! チョームカツク。もうしらネーよ!バーカ」

kenzee「ボクが↑このような性格の男子だったら、むしろ問題は単純だったかもしれない。しかしボクはこの時点で振られるかもしれないと予感していたのだと思う。そしてボクはモー子に「そのように冷たくされるのは自分に非があるのに違いない。悪いところは直す。今は触られたくないのであれば許してくれるまで触らない。どうか捨てないでほしい」と懇願したのだった。命乞いだ。さすがにモー子も、このやり方は間違っていると悟ったのだろう。困った表情をしていた。そのあとも、「こっちは好きなのだから、そっちの気持ちが冷めていてもいい」とか「よく話し合えばやり直せるはずだ」とか煮え切らないことをグズグズとボクは言っていたと思う。結局、「今日は用事がある」とかウヤムヤにされて話は終わったのだ」

司会者「えーと、読者の人に註釈をしとくと、この時代、LINEとかSNSはおろか、携帯すら高校生は持っていない時代です。つまり彼らは連絡を取り合うとき、直接学校で会うか、自宅に電話をかけるか、という原始的な方法しか持たなかったのです。なにか意図を伝えるならば、「会って、話す」しか方法がない時代と考えてください」

kenzee「その時点でモー子は「ボクに嫌われるように仕向ける作戦」の変更を余儀なくされたのだと思う。数日後、校外模試というのがあった。日曜日だ。高3なのでその手のテストが頻繁に行われるのだった。テストを3教科受けるだけなので午前中には終わってしまう。確か11時前には終わったはずだ。珍しくモー子がボクのクラスまでやってきて、一緒に帰ろうというのだった」

司会者「これは振られるんじゃないかと思わなかったんですか」

kenzee「常識的に考えてこれは死亡フラグだ。今思えば思モー子も思いつめたような表情をしていたように思う。不思議なのはボクはその時、1ミリたりとも死亡フラグだと感じなかったということだ。「今日はモー子は機嫌がいいのかな」ぐらいにしか思わなかった。そして珍しく誘ってくれたことがとても嬉しかったのだ。モー子の心中はどのようなものだったか。コチラがまだなにか察知している様子なら切り出しやすかっただろう。ところがこのアホ男子高校生は「今日のモー子は機嫌がいい。つまり今までのことは単に機嫌が悪かっただけなのだ。女の子ってホント、難しいナア」ぐらいにしか思っていない。いつ悲劇が起こってもおかしくない状況が徐々に設定されつつあったのだ。いつものようにバス停へ向かったが、公園には足を向けず、モー子はスタスタとバス停へ向かう。無論、バス停は今しがたテストを終えたばかりの生徒達でいっぱいだ。モー子は口数も少なかった。バス停から少し離れた場所で「手紙を渡したい」という。そこでもあまり不思議に感じなかった。付き合い始めの頃はよく手紙をもらっていたのだ。雨の日は本を読んで過ごすのが好きなの。みたいな他愛もない内容だ。そこでも死亡フラグを感じなかったボクは高3にもなってちょっとどうかしている。自分はきっと人より成長が遅かったのであろう。ボクはそんな場面になってもクダラナイ世間話をしていた。話がブレイクしたタイミングでようやくモー子が切り出した。一言でいうと、もう終わりにしよう。これから一緒にいてももっと嫌な面を見せることになるだろうし。といった内容だった。ここでわたしは人生ではじめての経験をした。本当に目の前が真っ暗になったのだ。正確に言うなら頭の中がパニックになった。パニックというのは頭の中に蓄積してきた経験と実際の出来事にあまりに多きな不整合が起こったときに脳内で適切な調整が行われず、バグを起こすような状態のことだ。巨大な災害に見舞われたときなどにパニックに陥る者がいるのはこのためだ。おそらくボクは今までのいい思い出とモー子が言ってることがあまりに乖離していて現実を受け入れるとか受け入れないとかいう判断自体が不能な状態になっていた。モー子はやがて泣き出していた」

司会者「辛い場面だけど、男が試される場面でもあるな」

kenzee「モー子はボクがまた、グズグズと引止めにかかると思っていたと思う。最低限、必要なことだけ言うと、ジっと黙っていた。ボクは自分が置かれている状態を未だよく把握できていなかった。数秒後にまず、認識できたのは「近くにいる、たくさんのバス待ちの生徒たちに今の自分たちが見つかるととても恥ずかしい」ということだった。結局、「そうか、わかった」とかゴニョゴニョ言って、チャリに乗って逃げるようにその場を離れたのだった。ボクは。モー子を置いて」

司会者「ヒドイ男だなあ。いろいろいい思い出とかあるんだろう? なんでもっといい終わり方ができなかったんだよ!」

kenzee「ヒドイのはそれからだ。ボクはモー子をその、「終わりにしたい」「ゴニョゴニョ」以来、モー子と話していない。卒業まで、とかじゃない。この四半世紀だ。それはしばらくボク自身、パニックみたいな状態が続いていたからでもある。あまりにも中途半端な終わり方である。ケンカ別れですらない。別れを切り出したモー子としてもこれは気持ち悪かったのだろう。ことあるごとに話しかけようとはしていたようなのだが、ボクは無視を続けた。そして卒業の日がやってきた。モー子はマジメな子だ。こんなヘンなワダカマリを残したまま卒業したくなかったのだろう。どうやらボクを待っていたようなのだった。ボクはそれも無視した。ボクの高校時代はそうして終わった。それから四半世紀経った」

司会者「実際にはなにも起こってはいないけど、なにかすごく陰惨な感じもするな」

kenzee「もしかして、今は卒業シーズンだったのではないだろうか。高校の卒業といえば普通は青春のイベントだ。元が根暗なボクはともかく、モー子に暗い記憶を刻んでしまったことが本当に申し訳ない。大変に気の毒なことをしたと思う。なにが恐ろしいかといって、今の今までそれほど気の毒なことをしたと思ってこなかったということだ。この四半世紀。なにが作家だ。アホなのかこの男は。むしろ「ボクはモー子の被害者」ぐらいに思っていたフシすらある。文章に起こすと本当に自分が許せなくなる。いくら10代の頃の話とはいえ」

司会者「でもなんで福岡予備校生事件のニュースでマザマザと蘇ったのだろう。アレは確かに大変な事件だけど、キミの話とはずいぶん遠い話だぞ」

kenzee「わからない。大体、恋愛のもつれで女子高生とかが刺殺される事件とかこの四半世紀の間にも結構あったはずだ。それでも今までボクななんとも思わず生きてきたのだ。どうして福岡事件でモー子のフォルダが開いたのかわからない。でも、この1週間ぐらい、夜中に汗だくで眼が覚めることが何度もあった。モー子の亡霊が追いかけているようだった」

司会者「イヤ、だからモー子さん、どこかで幸せに暮らしてるって。とっくに子供とかもいるだろう」

kenzee「本当にボクはウンコみたいなクズみたいな男だが、唯一、救いがあるのは一応、プロの評論家なので物事を多面的にみて、考える力は人よりあるということだ。そして文章化して書き残す能力が人よりはあるということだ。無論、いくら考えて、書き残したところでモー子への罪を償ったことにはならない。ただ、自分には自分にできることしかできない。とにかくこの一連の出来事を40のオッサンの視点でもうちょっと検証してみたい。もしかしたら10代の悲惨な事件へのなにかヒントが与えられるかもしれない。この年になったらなにか社会の役に立ちたいと思うのものなのだ。次回は「バス停の別れの現場」まで戻って、モー子の真意を検証しよう。なにしろ四半世紀ぶりに開けたフォルダだ。記憶は断片的なうえにイヤな思い出のため、多くは意識的に消去されている。しかし、このまま年を取ったら本当になにもかも忘れてしまうだろう。本来なら、こんな話、ネットに発表する類のものではないのだろう。今回と次回だけはそこらの日記ブログと思ってほしい」

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