世間で面白おかしく血液型について遊ぶ光景は連日のように目にする。TV、書籍、インターネット。中には根拠もなく、さもそれが当たり前であるかのように取り扱っているものも少なくないが、今日はこれを否定したい。経験談。
A型
真面目、神経質、繊細、表面は良いけど腹の中は結構黒い。社交性が高く、団体を調律する上では欠かせない。日本人に多い。一度へそを曲げると長い。気を使い過ぎて自滅するタイプが多い。誰もそんなこと頼んでないのに「やってあげた」感を醸し出すお馬鹿さん多数。
B型
マイペース、づけづけ言う、好き嫌いがはっきりしている、毒を吐く。自分がこうと思ったら場の空気とか関係なく切り裂くような一言をボロンと出してA型が度肝を抜かれることが多々ある。「俺、周りに流されるんだよ、こう見えて」こういうやつは口だけだって、はっきりわかんだね。
O型
お祭り気質、騒ぎたい、踊りたい、だけど変なこだわりがあってそこは曲げてくれない。あとはA型に匹敵するくらいに、いちどへそを曲げたら修復に時間がかかる。さっきまで踊ってたじゃん、あんた。どうせなら最後まで馬鹿を貫き通したらいのに、へんなところでcoolぶるのは止めなさい、もう馬鹿だってバレてますよ。
AB型
謎オーラ満載。その中身を読むことは非常に難しい。ある時は繊細で気を遣うこともあるが、ある時は( ゚Д゚)ハァ?みたいな顔して平気で毒をぶちこんでくる。もうわけがわからない。たちが悪いのは自分でもそれを自覚していて、場に応じて上手に使い分けるところである。自分が好かれていることすら全て計算した天才的な狡猾さもちらほら。
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以上、偏見である。
血液型別の性格診断は幻想だと考える根拠
毎度のことながら非科学的だが、論拠は自分の体験談である。
言い当ててきたという「美化された過去」を捨てろ
何度かお会いした知り合いで、もうちょっとした「友人」と呼べる人に対して探るように「○型ですか?」とかカマをかけることは、少なからずあると思う。この時に「私って、人の血液型を当てちゃうんだよね~☆」という方、いますよね。
そんな方に聞きたい。
それは過去、血液型を聞いて当てた数の総数のうち過半に渡り言い当てたという統計上のデータに基づいて話しているのだろうか?
そんなことはあるまい。
人間というのは得てして都合よく過去を粉飾する。自分が血液型を言い当てた時のことをクローズアップして美化し、さも過去の全ての指摘が正解だったかのように錯覚している。つまり言い当てられなかった、ハズれたことも往々にしてあったのである、しかしそれを都合よく無きものとしているのだ。
自分が凄腕の超能力者などと勘違いするのはやめたまえ。しかも日本人なんてA型やO型が多いのだから、偶然にしたって言い当てる確率は低くない。
聞いた途端に自己診断を血液型にはめてるだけ
血液型を聞かずに親しくなって、それなりに期間を経てから血液型を聞いて「やっぱりね!」となる人は少ない。それどころか、聞いてから自分の好ましくない血液型だったら態度を変えたりする輩も少なくない。実に不毛であり愚かしい。
つまりは相手の血液型を聞いてしまうことで自己診断をそれに当てはめ、バイアスが介在してしまい、そこに余計な感情が入ってしまうのである。血液型に型があるというよりも自己診断を血液型にはめてしまっているだけなのである。
先入観が作り出した、何の益にもならないその自己診断を相手にはめるような無益な行為は、今後はしないほうが良いだろう。相手が何型であろうが、友人なのだろう?それとも、B型だったら縁を切るとでも言うのかい?(あ、B型disじゃないよ、たまたま例に挙げただけ、ごめん)
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ってなわけで血液型性格診断は嘘であるというのを体験談から語ってみた。
日本人は血液型性格診断大好き民族だから、相手の具体的な型を聞いてしまうと少なからずバイアスがかかっちゃうと思うんだよね、これについては全否定できない。それだったらあえて聞かないようにするだとか、何かのはずみで聞いちゃったとしても意識しないようにするだとかしたほうが良いんじゃないかなって思うね!以上!