下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)
- 作者: 内田樹
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/07/15
- メディア: 文庫
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こんばんは。
最近内田樹さんの『下流志向』を読んだんですが面白かったのでその内容踏まえて色々書いてみようと思います。
2009年に書かれた本なんですが、「最近の子供はなぜ勉強しないのか」「なぜ若者は働かないのか。ニートが発生するのか」という問いについての考えがまとめてあります。
いわゆる「最近の若者は~」的老害思考ではなく社会の構造の変化といった角度から鋭い考察が向けられています。
僕自身、この本の中で言う「勉強しない子供」の世代で自分自身にあてはまることや自分が身の回りで見てきた景色のメカニズムが解明されたような気分になって面白かったです。
本の内容
労働は置いておいて勉強の部分だけざくっと。説明不足なところが多々あると思いますが(^^;
僕も「勉強しない子供」の世代なのでよくわかるのですが、授業中の私語がひどいとか授業中に出歩く生徒がいるとかそういうのが普通になってきているらしいです。
その現状に触れつつ、その原理や原因について触れられています。
勉強というものは本来自分でも想像できなかった何かを得ること、そういう風に自分が変わることに価値があるもので事前にその価値や意味について学ぶことはナンセンスだとされています。
日本人は生まれると、「日本語を学んで何かいいことあるの?」なんてことを考えることなく自然と日本語を学びます。
それが人間の本来の性であって、学びというのもそういうもので学ぶ以前にそのものの価値について考えるのは間違っている、と。
僕自身が過去に考えたこともある「なんで勉強しないと行けないの?」という問いはその原則に反していますし、もう少し言うとこの問いは消費者目線での等価交換の原理から生まれた問いだとされます。
もう少しいうと、この問いは「勉強することによって得られるメリットは何か?自分が時間を使ったり大変な思いをするのに値するものなのか?」と言い換えられます。
小学校の授業時間は50分だったと思いますが、外で遊んだり友達と話すことを我慢してまでその授業を聞く価値があるか、という等価交換のことをこれは指していて我慢してまで聞く価値がないと判断するとその生徒は勉強をしないということになる、と。
これは買い物と同じような思考回路ですよね
これに対して内田さんは、そもそもこういう問いかけが出てくること自体がおかしいということと同時に勉強をする本当の理由は子供にはわからないところにあるからわからなくて当然だ、と指摘してこうなっている原因に自己決定・自己責任論や市場原理・経済原理の浸透を上げています。
この問いにどう対応していくか
勉強はちゃんとしておいた方がいいと思いますが、とはいえ子供でもわかるような「将来良い大学に行って良い会社に入っていい人と結婚して裕福な暮らしをするため」みたいなものをモチベーションの源に持ってくるのもなんか違うな、と。
そういう人生を送ることが必ずしも幸せとは限らないし別に高学歴高収入でなくても幸せな人生もあるわけで。
もう少しいうと、そういう打算的な姿勢で勉強含めた色んな物事に臨むというのはなんとなく人として寂しい気もします。損得関係無しに好きなことをしているときこそ意外と幸福度高かったりすると思いますし。
そういえば、僕自身は親から勉強しないといけない理由についてとやかく言われたことはありませんでした。
なんでかよくわからないけども「そういうものだから」で一蹴されていた気がします。何か意図があったかちゃんと答えてないだけかどちらかわかりませんが。
レベルはさほどでもないですが、自分は身の回りの中ではそれなりに勉強している方です。
けっこう汚い理由にはなりますが、そう思うようになったのは中学時代に同世代の不良を見ていたからだったと思います。
反面教師みたいなものですが、本当に一緒にいて恥ずかしくなるような人達で「こうなったら人生終わりだ」みたいな危機感というか嫌気みたいなものがあって自分はもっと全うに生きよう、と思い始めたのを覚えています。
あとはレベルの低い高校にいくとまた不良と一緒になるからましなところに行きたいと思ったとか(笑)
嫌いなものの逆位置で自分の方向性を見出すというのはちょっと寂しいな、と思いますが最近はそういうもの関係なく自分らしさみたいなのを見つけ始めたので良かったな、と。
あと「努力すれば報われるはずだ」みたいなことを考えるようになったのも大きかったかな、と思います。
あと、もうこの前辞めたんですが大学に入ってから4年間ずっと塾講師のバイトをしていました。
塾講師って、要するに生徒のテストの点数を上げるとか受験で合格させて上げるのが仕事なんですけども超進学校希望とかでない限り、授業内容に入る以前の問題の生徒がけっこういました。
「勉強だりい。親に塾に入れられてしまった。」みたいな。塾を刑務所扱いするんですよ。
こういう子はこの状態だと往々にして授業を聞かないので結局モチベの話からすることになります。
勉強の意義みたいなことを話したりするわけですが、僕は「勉強しなくてもそれなりに生きていけるけども、勉強をしておいた方がやりたいことを実現できる可能性が上がるし、勉強して幅が広がるとやりたいことも見つかりやすくなるかもよ」というようなことを言っていました。
これが良い理由なのかどうかわかりませんが、自分のモチベーションの理由の内の1つでもあります。
「ちゃんと勉強しなさい!」ととりあえず言うだけのいわゆるオカン的ケツ叩きよりかは多少は効果があったようで一応僕の生徒はそれなりに勉強をしてくれたんですけども、今思うとこの話をするのはけっこう重いことだったんじゃないかな、と。
細かい英単語とか微分積分の解き方なんかよりもこういうものの考え方、解釈の仕方みたいなものの方がずっと頭に残ったりするじゃないですか。
そういう意味で僕が言った勉強の理由が彼らの中にこれからも残っていく可能性を考えるとちょっと怖いな、と。良い方向に転んでくれるといいんですけども。
だらだらと、本のこととか自分のこととかを書いてきましたけどもこういう教育論みたいなのは曖昧かつ正解のない議論で難しいですよね。
みなさんが勉強してきた(してこなかった)理由とか「なんで勉強しないといけないの?」と子供に聞かれたときの答えってどういうものでしょう?
色々書いてるうちにすごく気になりました。