こぐまです。
今日は、KHJつばめの会に参加されている、引きこもりのお子さんを持つ保護者の方お2人と、森かすがさんによるすまいるすごろくのコーチングセッションを受けてきました。
すまいるすごろくとは、アドラー心理学に基づいたコーチングセッションを簡単なゲーム形式で行うことができる、ひめさとこさんが開発されたツールです。
そのセッション終了後に、かすがさん、引きこもりのお子さんを持つ保護者の方2人とお話していて思ったことがあります。
主治医の一言
先日私は、月に1度通院している精神科で自立支援制度を利用したいと主治医に申し出ました。
(自立支援制度とは簡単に言ってしまえば、精神科に通院している人の医療費を国が援助してくれる制度です)
自立支援制度を申請するためには、精神科医による診断書が必要なのですが、書いてもらう際に主治医に言われたのが
「こぐまさんの症状は軽いほうですからね」
というものでした。
えっ!?と思いました。
私にとっては重大な問題である
私は、自分の症状が軽いなんて思ったことはありません。
実際、この貧弱な精神のせいでOLとして社会に出て働くことができないのですから非常に重大かつ重篤なものだと思ってきました。
しかし主治医は、それを認めてくれないのです。
たしかに私は、幻覚が見えたり、1ヶ月間毎日ずっとベッドから出られないほど辛いというような症状はありません。
それでも外に出るとぐったりしてパニックを起こすこともありますし、家ですごしていたってふとTVから流れてきた映像で気分が悪くなり寝こむこともあります。
1ヶ月スパンで見ると食事とトイレとお風呂以外、自室から出ない日のほうが多いです。
私は、主治医の言葉に憤りを感じました。
精神科医がマニュアルどおりに診断すれば重い症状ではないのかもしれません。
けれど実際問題として、私は半年近くメンタルの問題によりほぼ無職状態です。
それなのに「症状が軽い」と言われることには怒りしか感じませんでした。
メンタルの問題に重い軽いはない
「引きこもり」もそうです。
引きこもっている人の中には広汎性発達障害やうつ病と診断されて、精神障害者手帳を付与される人もいますがそれは決して多くはありません。
メンタルの問題の測りというのは難しいものです。
血糖値やコレステロール値のようにはっきり目で見える指標がないので、どうしても診断マニュアルどおりの問診を通して判断する、精神科医1人ひとりに頼らざるをえない状態です。
「引きこもりは病気ではない」と、KHJつばめの会に参加されている保護者の方はよくおっしゃります。
確かにそうなのです。
引きこもりは状態をさす言葉であり、病名ではありません。
それは、引きこもっている人が今後元気になって社会に出ていける可能性を示すとともに、引きこもっている限り公的支援を受けられないということを指します。
メンタルの問題に、重い軽いはないと私は考えています。
例えば誰もが知っているブラック企業で働いていても、心身共に元気な人はいます。
私だったらきっと、3日ももたないことでしょう。
人それぞれ、キャパシティは違います。
同じ10kgのおもりを持っても、軽いと思う人、重いと思う人がいるでしょう。
それでも生きていかなければならないから
私は、10kgのおもりを持ったらきっと重すぎてつらすぎて、かなりしんどいと思います。
それでも私は生きていかなければなりません。
私は身内を自死で亡くした経験があります。
残された人間は、生きている限りずっと自分の責任を追求してしまいます。
私は、両親にまたそんな想いをさせたくないのです。
だから何があったって、泣き叫びながらでも生きていかねばならないのです。
だから、そんな生きづらい私や引きこもりの人が生きやすい社会を作りたいのです。
生きづらさを感じる人が、少しでも肩の力を抜いて生きていけるような居場所を作りたいのです。
私がブログを通じて伝えたいこと
先日、とあるメディアから取材の依頼を頂きました。
「こぐまさんがブログを通じて伝えたいことについてお聞きしたいのですが」と言われてずっとずっと考えてきました。
私は、ブログを通して自分の生き様を発信することで、見てくださっている人に安心してもらいたいのです。
こんなクズな私でも生きているんだよ、毎日の楽しみを探しているんだよということを見せたいのです。
生きていていいんだ。
そんな許しを、読んでくださっている方に与えたいのです。
アラサーで3社を退職済み、現在の月収はおよそ2万円、ほぼ引きこもり状態。
そんな私が社会のためにできることといえば、それぐらいなのです。
生き恥を晒しているのかもしれません。
恥ずかしくてブログを全部消してしまいたくなる衝動に駆られたことは何度もあります。
けれどそれをグッとこらえて乗り越えた結果が、メディアからの取材依頼なのでしょう。
少しずつ、私の叫びが徳島に響いている実感を、日々感じています。
私は現在、自分の病名もわかりません。
自立支援制度を申請するために主治医に描いてもらった診断書は、厳重に封がされていて見ることができませんでした。
また、「症状が軽い」と言われたため精神障害者手帳ももちろん持っていません。
何の公的支援も受けることができず日々苦しんでいます。
きっと、そういう人って私以外にも少なくないはず。
そんな人たちが寄り添えるコミュニティがあればと思います。
コミュニティだけじゃなくてそれが会社だったりするとなおさら最高です。
かといって私は自分が会社を経営したりNPOを立ち上げたりする才能も気力もありません。
だからブログをやっています。
こうしてベッドからでも文字をつむぐことにより、何か心に刺さり支援のキッカケを与えてくれる人がいるかもしれません。
与えられることを待っているだけなのはいやだから、こうして自ら生き恥を晒しているのです。
支援のキッカケというのは、別に仕事をくれだとかお金をくれだとかそういうことではありません。
こんな人間がいると知ってもらえて、自分が辛くなったときに「こぐまみたいな奴でも生きてていいんだから自分も生きていよう」と思ってくれる人が増えるだけで私は嬉しいです。
ふとしたときに私や、私のような人がいるということを思い出してくれる人がいるということが、生きやすい社会を作る第一歩になると考えています。
私はそんな想いを抱えて今日も生きています。
辛いことはたくさんあって今すぐビルから飛び降りたい衝動にかられていますが、そんな気持ちと今日も戦っています。
病名も手帳もないあなたと、その想いを共有したいと思って文章を書いています。
これを読んで何でも良いから、否定でも良いから、何かを感じてくださる方が1人でもいらっしゃいますように。
そう願っています。