2016.02.27 13:00
2月26日、虎ノ門ヒルズで行われた「SENSORS IGNITION 2016」の幕開けを飾るキーノート(基調講演)に登壇したクリエイティブディレクター、レイ・イナモト氏。世界の広告業界でその名を知らない人はいない、世界で最も有名なクリエイターであるイナモト氏は昨年秋に新会社「Inamoto & Co.」を設立。ポストAI以降のクリエイティブをいかに考えていけばいいのか?16歳で海外へ渡り、世界的なクリエイターになるまでの自身の人生を振り返りながら「未来の作り方(DESIGNING THE FUTURE)」を語った。
キーノートに登壇したクリエイティブ・ディレクター、レイ・イナモト氏はCreativity誌「世界の最も影響力のある50人」、Forbes誌「世界広告業界最もクリエーティブな25人」に選ばれるなど世界で最も注目される日本人の一人だ。
米・大手デジタルエージェンシーAKQA社に2004年から2015年までCCO(クリエイティブ最高責任者)として在籍し、Google、Nike、Audiといったグローバルブランドのデジタルマーケティング戦略の立案と実行をリードしてきた。
新会社Inamoto & Co.の創業メンバー。
昨年秋には新会社Inamoto & Co.を設立し、デザイン・データ・テクノロジーを組み合わせることで従来の枠組みを超えたビジネスを創造することを目指す。
「未来の作り方(Designing the Future)」と題された講演では自身の人生やテクノロジーの歴史を振り返りながら、ポストAI時代に人間がいかにクリエイティビティを発揮し、未来を創っていくことができるのか?象徴的なエピソードを交え、5つのエッセンスを聴衆に投げかけた。
テクノロジー・メディアの100年史を紐解くと、1910年代「ラジオ」、1950年代「テレビ」、1980年代「コンピューター」、2010年「モバイル」、そして現在2016年「AI(人工知能)」という変遷を辿ってきた。
のちにコンピューターサイエンスとアートを学び、クリエイティブの世界に飛び込んでいくイナモト氏のキャリアを振り返る上で、こうしたテクノロジーの進化は重要な布石となる。
キーノートのタイトルは「未来の作り方(DESIGNING THE FUTURE)」
父・稲本正氏が1974年に創設した「オークヴィレッジ」は、「100年かかって育った木は100年使えるものに」、「お椀から建物まで」、「子ども一人、ドングリ一粒」という3つのモットーを掲げる家具の会社。
一つ目のレッスンに合わせて、イナモト氏が引用した発明家トーマス・エジソンの名言。「失敗なんかしちゃいない。うまくいかない方法を一万通り見つけただけだ」
文学は芥川龍之介や夏目漱石。さらにはニーチェやバートランド・ラッセルらの哲学にも触れていたという。
15歳まで飛騨高山で過ごした後に、高校はスイスへ留学。アートとコンピューターサイエンスをミシガン大学で学んだ。
子供の頃『キャプテン翼』に憧れていたというイナモト氏。
90年代後半WEBデザイナー、デジタルプランナーとして活動していたイナモト氏に当時のトップエンジニアが投げかけた言葉。事実、現在は「Squarespace」などのサービスを使えば知識がなくとも誰でも簡単にサイトを立ち上げることができる。
スライド上で職業の右に示されたパーセンテージは、20年後にはなくなっているという予測数値を表している。
Amazonで商品を注文すれば即日配達され、Uberを使えばタクシーを簡単に配車でき、Airbnbを通じて空き部屋を共有できる。テクノロジーの進化は確実に我々の生活の利便性を日々高めているが、「最終的に人の心を感動させなくてはならない」とイナモト氏はいう。
講演のクロージングではオーディエンスにスマートフォンを取り出し、電源を入れた状態で宙に掲げることを求めた。そして、暗がりの会場は無数のキャンドルのごとき、綺麗で微弱な光に包まれた。その様子をiPhoneで撮影し、父親に送ったイナモト氏。メッセージには「遅れてハッピーバースデー」と添えられていた。
「人の心に触れること」講演〆の言葉はビジネス上はもちろん、日々の生活でも心がけることにより達成できるものではないか?と考えさせられる基調講演となった。
SENSORS Senior Editor
1990年生まれ。『SENSORS』や『WIRED.jp』などで編集者/ライター。これまで『週刊プレイボーイ』『GQ JAPAN』WEBなどで執筆。東京大学大学院学際情報学府にてメディア論を研究。最近は「人工知能」にアンテナを張っています。将来の夢は馬主になることです。
Twitter:@_ryh