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くらむせかい

精神虚弱なぼっちヒキニート

本のカバーを外した事はあるでしょうか。

day book mental

ばっさあ、を繰り返していたらこんな文字数になった、のは、
おそらく、帯の呪い、でしょう。
以下、時間は返せないよ、です。

 

自分は諸事情により、本の触り方がとても下手です。
だから、というわけではないのですが、
本のカバーを外す、という事はした事がありませんでした。

(ここで言うカバーとは、wiki的に言うところの工場出荷時についているカバー、
の事です。
 余談ですが、自分はこれを表紙だと思っていました。で、表紙を、表紙の中身、
だと思っていました。
 違うみたい。見えないのが表紙で、見えてるのがカバーだそうです)

 

本の部位名称 http://www.shinchosha.co.jp/tosho/book_basic.html


漫画、グラフィックノベル、でもいいですが、それらの中にはカバー下の表紙に、印刷が施されている物があります。
それは、カバーのデザインのモノクロだったり、
ふざけ度100%の番外編一コマだったり、
未発表のラフ画だったり。
どのような仕組みや意図で、このように、
漫画の表紙に印刷があるものと、ないものが、混在しているのか、
無知な自分にはよく分かりませんが、せっかくだから見ておこうかねえ、といつも、
カバーをめくって、表紙を確認、見てしまいます。


漫画では、そのように、表紙に印刷があることが稀ではないので、その事を知っていて、めくる人も多いかと思いますが、
本なら、どうでしょうか。


昔、聞いた事があります。
本を読んでいると、指がゆるんだ瞬間に、ばっさあ、とカバーが暴れて、
それに慌てた瞬間に、今読んでいたページが分からなくなる。
そうならないために必死に表紙のカバーを、また後半になると、裏表紙のカバーを、指で押さえる事に集中して、本を読まなければならない。
それがいやだから、表紙のカバーは”初めから外して”本を読む、と。


信じられない、と思いました。
指がんばれよ、と思いました。
重ねて、自分は本の触り方が下手なので、
カバーを外すのも、本を読み終えた後、再装着するのも、一苦労。
そんなことなら、指がんばる方がずっとまし。
そう、思っていました。


ですが、思っている通りにはならないのが、ああ、人生、なんですねえ。

カバーを外さずに本を読みます。
指のがんばりにも、
自分の集中にも、
限界が来るのです。
幾度となく、
ばっさあ、となりました。
この、ばっさあ、の瞬間、自分の顔に風が当たるのが、だいきらいでした。
自分としては、ばっさあ、よりも、
その風を合図に、嫌な事全部が始まる気がして、嫌でした。
ばっさあ、風が当たる、カバーが外れる、頁が分からなくなる、
しおりが飛ぶ、表紙が折れる。
一度、ばっさあ、となると、もう最後、止まりません。

しかし仕方ない、起こってしまった事は仕方ない、と、黙って、
外れたカバーを元に戻します。
本に触れる中で、それが一番、下手なのに。


しかし、
そのうち、
本を読む前に、
本の帯を、
かなぐり捨てるようになりました。
いえ、本を読む前、どころか、
買って来たなら、その本を、自分の部屋に招いたその瞬間に、
帯をもぎ取り、かなぐり捨てました。
もみくちゃにして、捨てました。

本文抜粋として好きそうな言葉が取り上げられていても、
知っている作家さんのキレのある読後の一言が載っていても、
線引きするのはこれまた苦手なので、
いっそ、全部、
かなぐり捨てました。


あ、やっちゃいけないことでしょうか。
だとしたら、ごめんなさい。
一応、
買う前には、
ちゃんと帯、読んでいます。
かるく、
ちらっ、と、
うん、
ちらっ、と、だけ、だけれど、でも、まあ、
読んでいます。
誰かが作ったのだからね。
でも自分的には、
本と帯、は、一体としては考えていません。
商業と創作、を、一体としては考えたくないのと同じです。


帯の分、
少しは、ばっさあ、の原因は減ったかと思いますが、
それでも日々、ばっさあ、となりました。

最悪(あまり好きな言葉ではないですが)なのは、
仰向けになって読んでいる時です。
ばっさあ、風、即、本が重力。


恐ろしい事に、顔面に本が落ちて来ます。
おかしいなあ、自分の両手はこの瞬間、いったい何をしているのでしょう。
手放しですかい。
ちょっと、それは、自分にもよく、分かりません。
でも、たぶんですが、
ばっさあ、の、ばっ、くらいの時点でもう、その衝撃に驚き、
かつ今後起こりうる嫌な事全部が記憶から推測され、
そしてその推測結果により、
両手は任務を放棄して、脱力してしまう、のだと、思います。
たぶん、ですが。


重力がこんなにも、鋭敏でなければ、
本が顔面に当たる前に、顔を背ける事も出来るのでしょうが、
これも、たぶん、ですが、
両手よりも顔の方が、危機に対して無意識の回避に長けていると思いますので、
放棄せず、回避行動をとれるはずなのです。
精神ではなくて肉体にそのまま反射として直結して、防御を放棄する、
という意識を通らずに。
でも、現実は、
自分の両手よりも、顔よりも、
重力の方が鋭敏であり強力であり、絶対であるのです。


ハードカバー、だった時。
経験ありますでしょうか。
鋼で出来たスマホよりは、成分は強度の高い紙、ですので、(ですかね‥?)
まだ、まし、かとは思いますが、
ばっさあ、風、即、本、顔面直撃。
お口の中、血の海になります。
自分の歯で、切れるのですね、口腔内が。


中には、表紙を、透明なカバー(頑丈)で覆っている本もあります。
スカイ・クロラ、には、皮膚を切り裂かれるかと思いました。


本は悪くありません。
気の緩みが、事故につながるのです。
本は悪くありません。
ただ、少しは、責任もあるかと思います。
9:1といったところでしょう。
本が面白くなければ、
読む事も、読み続ける事も、入り込む事も、時を忘れる事も、
なかったのですから。
少しは、責任もあります。


ですがそのような血にまみれた状況を経験しても、しかし、
本のカバーを外して読もう、とは一度も思いませんでした。
カバーを、
外す手間、再装着の手間、
なによりカバーは美しいから、カバーありきだから本は、
そう思っておりました。


しかし、
月日が流れ、
本の触り方の下手さが、
急速に加速し、もはや、触れない域に入ります。

まあ、それは主旨違うから割愛。


なんて、楽なの。

本を読む前に、
本のカバーを、
かなぐり外すようになりました。
いえ、本を読む前、どころか、
買って来たなら、その本を、自分の部屋に招いたその瞬間に、
かなぐり外しました。

意識に支配される前に、高速で無意識により外すように意識しました。‥わ?
好きそうなデザインの装丁であっても、
知っている画家さんの描き下ろしの作品が印刷されていても、
線引きするのは苦手なので、
いっそ、全て、
かなぐり外す事にしたのです。


あ、やっちゃいけないことでしょうか。
だとしたら、ごめんなさい。
一応、
買う前には、カバーを、
ちゃんと眺めています。
かるく、
ちらっ、と、
いえ、いえ、
じーーっ、と、とても、熱心に、二度と見る機会はないんだ、これで見納め、
とでもいうように、
しっかりと眺めています。
誰かが作ったのだからね。
それは、美しいです。


なんて、楽なの。


ばっさあ、が、一度もなくなった、とは言えません。
やはり、指ががんばれなくなったり、
意識が本の中か、或は、
本の、中でも、外でもない、ところに、
引きずり込まれると、
ばっさあ、となる事はあります。


しかし、その、ばっさあ、となっても、
所詮、それは、
カバー無し。
本体のみの裸の本。
ちょっと、実験してみてほしいところですが、
この、ばっさあ、自体が、
カバーがあると、無いとでは、速度が、振り幅が、違う気がするのです。
実験してみて、もし、気のせいだったら、ごめんなさい。
9:1で、ごめんなさい。
やってみよう、と思った1は、
少しは責任も、ありますよ。


思うに、カバーと表紙の隙間、がある事により、何か、
空気抵抗的なものが発生しており、
そのため、カバーをつけたまま、ばっさあ、となると、
破壊と落下に時間がかかるし、振り幅も大きい分、衝撃が大きい。


しかしカバーを外して、本の本体のみだった場合、
ばっさあ、が、
ばさ、
くらいの衝撃に、減ります。(くらむ比)
たしかに、風は吹く、頁は分からなくなる、しおりも飛ぶ。
打ち所が悪ければ即本の表紙は角を折るし、即お口の中血の海もあり得ます。


でも、ね。
なんでしょう、ね、この、
ふ、
って気持ち。


カバーをつけたままなら、
ふ、(ふざけんな、もう読んでやらんぞ!)
となるところを、
カバーを外していれば、
ふ、(はいはい、またですか、全く仕方のないやつめ)
で済む。(くらむ比)

広い心で、済む。
あたたかい気持ちで済む。

まあ、本当のところ、そこまでの達観は出来ていないかもしれないですが、
でも明らかに違うこの気持ちの差。


なんなら、
前者の時では、ばっさあ、となった本に与えられるのは、
本の帯と同じ運命を辿るまでのカウントダウンとも言えるくらいの、
憎悪感。
本の中身、と、この事象は、切り離して、考えるべきなのに、
もはや、本自体が憎くなってくる。

もう‥いったいどこ見てんだよ、その子猫みたいに可愛くて、
怪我を負ってでも正義感に駆られて、
痛む体に鞭打ちながら犯人探しを手伝ってくれてるその女こそが、
どっからどう見ても、主犯じゃないかあ!
と、叫びたくなる。
(世間で評価が高くても自分的には気に入らない作品もありますよねえ)
もはやそれは、カバーだけの問題じゃない。


一方、カバーを外してさえいれば、
ばっさあ、が、ばさ、で終ります。
ばさ、は、しかし起きてしまうけれども、
ばさ、から、
5秒間くらい、無心になってじっと動かないでいれば、
やがて、
さ、しおりはどこかな。
と起き上がれるのです。
さ、さっきの頁はどこかな。
と再び目の前にまで本を持ち上げて来れるのです。


なんだ、こういう事だったんだなあ、と思いました。
今までの、自分の良心をかけた本のカバーの存在保護、とは、
いったい何だったのでしょうか。
考えてみれば、文章を読む瞬間には、カバーなんて見ていないのだから、
外してもまったく構わないじゃないか。
スタバでこれ見よがしに、
誰々名言101みたいなのを、読むわけじゃないんだから。
わんちゃんかよ、と誰かが突っ込んでくれるわけじゃないんだから。
一人で勝手にお布団の中で読むんだから。
だから、カバーなんて、外しても、構わないじゃないか!!!


そんなこんな、というのは半分、後付けであり、
実際には下手が加速し過ぎて、
もうなにも触れないよ、となったのが原因なのですが、
まあそれはどうでもいい。

 

ここしばらくの間、自分は、
本のカバーを外して、本を読んでいます。

どんな本でも外します。
どれでもかんでも外します。
分厚かろうが薄かろうが、
文庫本であろうが、単行本であるが、新書であろうが、漫画であろうが、
なんでもかんでも外します。
外しに始まり外しに終わります。

え、ええ、じつのところ、
外したカバーの再装着問題が個人的にありますが、きゃつあい。
みんなは、カバーを外しも付けも、きっと、さっと、出来るでしょうから。


本のカバーを外すようになって、
いろんな事に気が付きました。
まず本の色。
カバーをつけていたら、本の”本体の色”は全く見えませんが、
ちょっと、良かったら、おひとつ、
外して、見てみて下さい。

これが、まあ、
いろんな色。
ちょっと情報が過多だな、と自分なら思うくらい、いろんな色。
出版社ごと、なのでしょうか。
なにせ無知なんでね、よく、分かりませんが、
とにかく、からふる。


そして本の表紙にも、デザインが存在しています。
これも、出版社ごと、なのかな、どうなのでしょう。
もっと細かい分類なのかもしれません。


初めは、でも、
カバーを外したからといって、表紙を、じっと見たりはしませんでした。
色も、デザインも、気にはしていませんでした。
ですが、読んだ本、或は、まだ読んでいない本が、徐々に積み重なると、
いろんな色が重なって、
自分は、名乗っていませんがほぼあれなので、あ、忘れたや、あの、
”物の少ない人”、なので、
部屋の中に、色も少ないのですが、

なんだかそこだけ、
本の積み重なりだけが、
色が鮮やかで、でも、
そんなにたくさんはないし、同じ作家さん(同じ出版社)のを、
続けて読んだりするので、

同じ色が重なって、
だから、色も多過ぎなくて、
それが、素敵なだって、
思ったんです。


色だけではありません。
作品名、著者名はじめとする肝心の情報、の並びも、
とても、洗練されたデザインなのです。
淡泊な文字メインもあれば、
主張の少ない装飾があったりもします。


カバーを外して、本を、
眺めていると、
これって、いつから、こうだったんだろうって、考えるんです。
きっと、ずっとずっと、前から、こうなんです。
自分が、カバーをめくらなかったから、
見つけられなかっただけで、カバーの下にはずっと、こうして、
この色とデザインを、
たずさえた表紙が、存在していたのです。

 

自分が探せば見つけられた世界が、歴史が、
こんなところにあったんだ、って、なんだかね、
なんだかさ、安心する。


変わらないものは、安心します。
終ったものも、安心します。


最近です、こうして、自分にとって安全なもの、安心と思うもの、
混乱しないもの、が、
なんなのか、少しずつ、分かってきました。


数日、渾身のルポを読んでいたのですが、
でもあのまた個人的な事情で、
文字を読めない時期に入っていまして、
今は読めなくなっちゃっていますが、
それでも、

 


一つだけ、
ある本を、このルポの次に読もうと、思い、
買って来ました。

 


こうして未来をひとつ買って、
自分が次の瞬間も生きる事を、
自分で自分に言い聞かせる。

 


買って来た本の、
帯を、
そっと外して捨てました。
意識に支配される前に、低速で外しました。

 

そしたら、ね、
見たことのない、
線画の鳥が、カバーの下、表紙に、現れたのです。


自分しかいない、
部屋の中に、
この淡泊な世界に、
突然こんなにも、きれいな鳥が、
現れて。

 

 

変わるものや変わらないものがあって、
変わりたい自分や変われない自分がいて、
ずっとあるのに見えていなかったものや、また、ふいに見えるものも、あって。

 


きれいなこの鳥、お腹には出版社名が、
埋め込まれているので、
きっとこの本だけじゃなくて、
この出版社から生まれた、たくさんの本の中に、
この鳥は、
生きているのでしょう。

 


こんなところにひっそりと、
存在し続けているのです。

 

もう何年も、これから先、きっと、何十年も。

 

 


見つけて、みませんか。
とっても、美しい鳥さんです。

 

 

生きてみませんか、この本を読むまで。

 

 

 

 

くらむ