(法律の話である。受験生や実務屋以外にとっては面白くも何ともない部類の話なので、「堅気の方」(笑)はスルーして下さい)
寝たり、起きたりしていて、頭がボーっとするので、面白い話はできそうにない。そこで、ちょっと気になっていたことをまとめようと思った。つまり、刑事訴訟法の「訴因の変更」において、「?」となりがちな個所に関して、俺の知る範囲で、書きなぐってみた。題して、「訴因変更の急所」という感じかな。
第一の疑問であるが、刑訴法は312条1項で「裁判所は~『公訴事実』の同一性を害しない限度において、~訴因~の変更を許さなければならない」と規定する。
然るに同法256条は①「公訴の提起は、起訴状を提出してこれをしなければならない」として、②「起訴状には~公訴事実(を記載しなければならない)」、③「公訴事実は、訴因を明示してこれを記載しなければならない」と規定する。
256条で起訴状の記載事項として出てくる「公訴事実」が、312条では、訴因を変更する概念として登場してくるわけで、思わず「??」となるわけだ。
その疑問はもっともであり、言うなれば256条でいうところの「公訴事実」と312条でいうところの「公訴事実」とは、その意義が一致しないということだ。つまり、256条の公訴事実は、検察官が主張する具体的な犯罪事実のことを指し、312条の公訴事実は、訴因変更を画する機能概念としての意義を有するものを指し、同じ「公訴事実」であっても、意義が違うのだ(身近な例を挙げれば、憲法の前文及び各条文で「主権」が色々な意味で用いられているのと同じ)。
言い方を変えれば、256条の公訴事実は、起訴状の上で視ることができる。しかし、312条の公訴事実は、機能概念なので視ることができないのだ。
例えば、「京都の神社仏閣」という絵画展のコンテストがあったとする。A君が清水寺の絵画を提出したが、後で気が変わって、受付期間内に金閣寺の絵画に差し替えてもらった。両方とも京都の神社仏閣なので、変更は可能だ。
しかし、平等院鳳凰堂の絵画を提出したB君が、法隆寺の絵画に差し替えてもらおうとしたところ、法隆寺は奈良の神社仏閣なので、変更は不可となる。「それならば」と京都タワーの絵画に差し替えてもらおうとしても、京都タワーは神社仏閣ではないので、変更は不可となる。
以上から明らかなとおり、ここでいう「京都の神社仏閣」はコンテストへの出展対象の変更を画する機能概念としての役割を果たす。しかし、「京都の神社仏閣」を視覚化することはできない。あるヒトは稲荷大社をイメージするだろうし、またあるヒトは銀閣寺をイメージするし、ヒトによって様々であり、万人共通のイメージを視覚化することは不可能だからだ。
312条で言うところの、機能概念としての「公訴事実」を「視ることができない」というのはこのような意味なのだ。
第二の疑問であるが、刑訴法312条1項で「公訴事実の同一性」は、訴因変更の範囲を画する概念である旨規定するが、その同一性(狭義)の判断基準として、判例は「基本的事実同一説」、つまり変更前の訴因と変更後の訴因を構成する事実関係の基本的部分が、社会通念上同一と認められる場合に、公訴事実の同一性を認め、変更を「可」とする。具体的には、犯罪の日時、場所の近接性、行為の方法、態様等の共通性を基準として、その同一性を判断するわけだ。
ここまでは良い。二つの訴因の共通性を基準とするわけだから、理解はできる。
問題は、その「同一性」の判断基準として、判例は、両訴因が「非両立ないし択一的関係にある」ことも基準としていることだ。つまり、判例が「公訴事実の同一性」の判断基準として「共通性」と「非両立性」という、一見、矛盾するような基準によって、当該「同一性」を認定していることが、「??」ポイントとなる。
以上の疑問点を前提として、表題の覚せい剤自己使用罪にかかる事件における訴因の変更について検討してみる。
「昭和60年10月26日、17時30分頃、栃木県芳賀郡~の自宅にて被告人は覚せい剤を自己使用したという」訴因を当初掲げた検察であるが、公判の進捗に伴い、「昭和60年10月26日、18時30分頃、茨城県下館市~のスナック店舗内にて被告人は覚せい剤を自己使用した」という訴因に変更した。
第一審は、公訴事実の同一性を欠くとして検察官の訴因変更請求を認めず被告人を無罪とした。
控訴審は、両訴因事実は「基本的事実関係を同じくする」として公訴事実の同一性を認め、原判決(第一審)を破棄差し戻した。
そこで被告人が上告したのである。
最高裁は、両訴因は「両立しない関係にあるので、基本的事実関係において同一であるということができる。従って、両訴因間に公訴事実の同一性を認めた原判決(控訴審)の判断は正当である」として、上告棄却した。
覚せい剤使用罪は、連続的な注射や吸引等によって全体が包括一罪と解されるような例外的な場合を除いて、原則として併合罪であるとするのが実務である。よって、覚せい剤を使用する毎に1個の犯罪が成立するのだ。
本件の場合は、被告人による覚せい剤の1回使用という自白に基づく公訴であり、コトは単純そうに見える。
しかし、その場合でもその1回使用が「最終使用」行為なのか、「最低1行為」なのかが争いとなるのだが、実務は「最終使用」説である。
よって、本件おいて検察は、被告人が最終的に覚せい剤を使用したのが、17:30での栃木県から、18:30での茨城県へと訴因を変更したのである。
このような背景がこの事件にある。
こうして、最高裁による非両立性の基準→公訴事実の同一性あり→訴因の変更を認め→変更された訴因である茨城県での覚せい剤使用について被告人は科刑、このように裁判は流れるが、そもそも「非両立の基準」というのは一体何だろうか。
この非両立の基準とは、一方の犯罪が認められるときは、他方の犯罪が認められない関係にある場合に、公訴事実の同一性を認めるとするものである(同一性が認められれば訴因変更は可となるということが、認めることの効果となる)。
例えば17:30に栃木県で覚せい剤を使用した訴因から、同一時刻である17:30に茨城県で覚せい剤を使用した訴因に変更する場合なら判り易いだろう。同一時刻に栃木県と茨城県で同一人が犯罪行為を行うことはあり得ないからである。この場合は当然、両訴因は両立できない関係となる。
では、その反対に、両訴因が両立する場合はどういう場合であろうか。17:30に栃木県で覚せい剤を使用したという訴因から、22:30に茨城県で覚せい剤を使用したという訴因に変更しようとする場合なら、通常、両訴因は両立する。5時間もあれば、被告人が移動するのは可能だからである。
従って、それぞれの訴因は併合罪の関係にあり、それぞれを個々に処理すべきであるということになり、訴因の変更はできない。
仮に、訴因の変更を認めた場合であったとしても、審理の結果、両立し得る別の事実であることが判明した時は、訴因変更許可を取り消し、裁判所は当初の訴因について審理、判決することになる。そして検察官は、新訴因に基づき、改めて公訴の提起を行う他ないのだ。
以上のことから判るとおり、両訴因が「非両立」であるからこそ、事実は一つなので、変更が可能となるのである。
裏を返せば、事実が一つであることを、判例は「非両立」という言葉に置き換えて表現しているわけである。
。。。ちょっと気になることがあり、整理の為に書きなぐった次第である。
前回の続きを書く。
午前中で自宅に戻った。
実はその当日のことはあまり覚えていない。
なぜなら、翌日の出来事があまりに大きくて、ケンカした後に家に戻って何をしてたかという記憶が吹っ飛んでしまったからだ。
その翌日、いつものように登校し、教室に入る前に担任に呼び止められ、再び促されるままに、職員室に行き、職員室の奥まったソファーへと案内された。
それを待ち受けるかのように、生活指導の教員が俺の前に立ち、乾いた声で「無期停だ」と告げた。
俺はその言葉の意味が判らず、「はい?ムキテイ?」と訊き返した。
教員は苦虫を噛み潰したような表情で「無期停学だから、帰れ」と突き放すように告げたのだ。
頭の中が混乱した。
「俺に絡んできたのはアイツ達なのに、どうしてそんな処分を食らうのか」と思いながらも、この期に及んでも、言い訳とか弁解とか、そういう行為は何となく自分の美学に反するような気がして、カッコつけててクチには出せないでいた。
辛うじて、「あの二人の上級生はどうなったんですか?」と振り絞るように訊くと、教員は「普通に授業を受けているよ」と応答。
「いや、そうじゃなくて!」と思い、言葉をつなごうとした時、教員は「下級生が上級生を殴ったらダメだ」と冷たい笑みを浮かべ、背中を向けた。
もう、どうでもいいと思った。授業はつまらないし、経理科目には興味は持てないし、「却ってその方が都合がいい」と強がってさえいた。
俺は黙ってソファーから身を起こし、職員室を出た。
下駄箱で靴を履き替えながら、「インターハイに出るのはムリになっちゃったな…」と、それだけが残念だった。
実はブログを書いている中で、意識的に伏せている事柄があった。それは家族のことだ。イマイチ気が乗らなかったので書いていなかったのだが、親兄弟はとある新興宗教に入って、熱心に信仰している。
まぁ、それはそれで、本人が心のよりどころを得たり、幸せだと感じることができるのだから、全く以て結構なことだ。
ただ、俺は信仰を持たなかった。むしろ、宗教はキライだった。
従って、俺だけ、家の中では浮いていた。いわば「つまはじき」みたいな扱いで、弟位としか会話は無かった。そんな俺にとって、自宅は、残念ながら「心安らげる場所」ではなく、「本を読む場所、寝る場所、食事を摂る場所」だったに過ぎない。
だから、家にいるときよりも、学校にいる時の方が落ち着いた。。。しかし、ものの見事に、学校という居場所も無くすこととなった。
「確かに俺にも落ち度はある。しかし、原因を作ったのはアイツ等じゃないか。少なくとも、喧嘩両成敗だ。俺だけが処分されるのは納得できない」。。。頭の中で色々と考えたが、イライラが募るばかりだった。今でこそ、教育委員会に申し立てて、学校の下した処分が不当であるという審査請求とかする方法を知ってはいるが、当時の世間知らずのガキだった俺は、ただただイラつくことしかできなかった。
そのイライラのはけ口を、夜中、親が寝静まってた時、父の自動車を無免許でドライブすることに求めていた。まぁ、なんというガキだったんだろう。今となっては、我ながら呆れる(笑)。
。。。そして、悪いことは重なるもので、更なる事件が起きた。
深夜にドライブ中、ハンドル操作を誤り、ガード下で、車をぶつけてしまったのだ。
近隣の家のオヤジが「大丈夫か?怪我は無いか?」と駆け寄ってきてくれた。
俺は「大丈夫っす。スイマセン」とかぶりを振りながら、車を移動させよう悪戦苦闘していたが、オヤジの眼が「オマエ、ガキじゃないのか?」とあたかも言っているような視線を感じた。
程なく、パトランプが近付いてきた。
「万事休す」。。。俺は天を仰いだ。