左:伊藤さん。障害を身体論的にアプローチする美学研究者。一児のお母さんでもある。
右:難波さん。中途失明の全盲者で鍼灸師。薬膳研究や合気道など幅広く活動している。
下:モナミちゃん。難波さんのパートナーをつとめる盲導犬。治療院「るくぜん」看板娘。
名コンビ、結成前夜
—— この連載では、伊藤さんと難波さんのお二人が「身体」の問題について研究している人を訪ねて、わたしたちの「身体」について探検していくわけですが、お二人はいま、どういうふうに活動をしているんですか?
伊藤亜紗(以下、伊藤) 私は美学という、感覚やアートについて哲学的に考えていく学問が専門で、なるべく人と関わりながら研究するようにしているんですね。
—— 哲学、ですよね?
伊藤 はい。でも哲学って、本来は参加型の学問で「あーでもない、こーでもない」って、対話のなかで思考がすすんでいく楽しさにルーツがあるんですよね。
その一貫でいま月に一回、目の見える人・見えない人5名で研究会を開いていて……。
難波創太(以下、難波) 僕はそのメンバーなんです。
—— 難波さんは後天的に視覚を失われたんですよね。伊藤さんとはどういういきさつで出会ったんですか?
難波 伊藤先生が出された本『目の見えない人は世界をどう見ているのか』のつながりですね。
伊藤 2年ほど前から目の見えない人へのインタビュー調査をしていて、難波さんはそれに応じてくれた一人だったんです。私は話を聞いているあいだじゅう、何て面白い人なんだ…!と感動してましたね(笑)。
—— 最初はインタビュー相手だったんですね。
伊藤 はい。ただ、自分が研究者で、目の見えない人は被験者、みたいな関係にはしたくなくて。もっとナチュラルな友だちのように、同じテーマについて一緒に考えていく共同研究者みたいな関係でいたかったんです。
—— なるほど。
伊藤 難波さんは、そういう私のスタンスにとてもポジティブに乗ってくれたんですね。
難波 いつもネタの出しあいみたいなことをやってるんですよね。見つけた論文をメールで送るとか。僕としては、発見したおもしろい話を伊藤さん伝えて、反応を聞きたいんです。
伊藤 宿題がたまっています(笑)。私にとって研究は仕事ですけど、難波さんの話を聞いていると、難波さんは生活そのものが研究だなって思うんですよね。
難波 あはは、研究ってほどじゃないけど。
—— 「生活そのものが研究」ですか。
伊藤 難波さんは大人になってから視力を失っているので、見えないという新しい身体の使い方を、日々発見していっているかんじ。視覚を使わなくなったことで、それまで埋もれていた身体機能を掘り起こして使うようになるんじゃないかと思うんですけど。
難波さん、最近の新ネタはありますか?
難波 最近だと、こうやって手を横に動かすと(手のひらを地面と水平にして振る)、すごく風を感じることを発見しました。
難波さんが手のひらを水平にして横に振っている
(一同ぽかん)
難波 いや、手の周りに空気が渦巻いて、すごく風を感じるんですよ。それが手を縦にすると(手のひらと地面を垂直にして横に動かす)、あんまりわからないんです。
(一同やってみる)
—— おお……
伊藤 ほんとだ!
難波 手のひらを縦にするほうが風にぶち当たる手の面積が大きいから、空気を感じやすいと思うでしょう? それが逆なんです。
伊藤 たしかに。手の平を水平に動かすと、そこにある空気をしゅっと割っている感じですね。
難波 そうなんです。空気で満たされた空間に手を入れているという感じがして、空気の存在がわかる。そういう皮膚感覚っていうのを、自分で楽しんでいるんですけど。これ、知ってた?(ドヤァ)
伊藤 うれしそう(笑)。この傍から見ると「何の役に立つの?」みたいな発見をして楽しんでいるあたりが、まさに研究者だなあ(笑)。
難波さんの見えない世界は“フィクション”?
伊藤 でもときどき難波さんと話していると、もしかしたら私、かつがれているのかな……とか思っちゃいます。
難波 え?(笑)
伊藤 いや、なんとなくわかるような気もするけど、論理的に説明がつくのか疑わしい。でも、ただ自分の知覚が追いついてないだけかもしれない、という気分になって。これは信じていいのか?って。
難波 えー、なんだろう。
伊藤 前に難波さん、電車に乗っていると景色が見えてくるんだって言っていましたけど……。
—— 景色が「見えてくる」?
難波 ああ、電車で立っている時の話ですね。今日はどこもつかまらずにバランスをとって、揺れを楽しんでやろうと思うと、サーフィンみたいな気分になって。車両の上に乗って、ノッてるって感じ? そうすると電車の壁がなくなって、周りの景色がだあーって流れていくのが見えるようになるんですよ。
伊藤 それそれ!
難波 映画『暴走機関車』のラストで、ジョン・ヴォイドが機関車の上に乗って、雪原の中を爆走していくシーンがあるんですけど、そういう感じなの。
怪しいって言っているのは、こういうところね? 多少はリップサービスかもしれないです(笑)。
伊藤 でもそこが身体の面白いところだよね。論理的にはおかしくても、感覚的には伝わるという次元がある。よくよく考えると、「いったい何が伝わったんだ!?」みたいな気になっちゃうんだけど。
難波 なんなんだって!?ってね(笑)。
伊藤 そうするとだんだん、言語が破綻していくんですよね。
—— 言語が破綻するというと?
伊藤 例えば「手で視る」とか「耳で眺める」とか。
難波 ははは。
伊藤 それは考えてみれば当然のことなんです。見えない人たちの生活は、見える世界の論理のもとでは、フィクションと言ってもいいくらい、ちょっとあり得ないようなことが起きている世界なわけですから。しかもそれを“普通”に生きている。
—— はい。
伊藤 難波さんへのインタビューは、その全然違う世界の経験をこっちの見える世界の言葉に翻訳する作業をしているかんじですよね。
もちろん見えない人の日々の苦労を軽んじるつもりはないのですが、「違い」を知的におもしろがる視点も大事じゃないかと思っています。自分が常識だと思っていた「正しさ」がなくなっていく感じには、すごくゾクゾクしますね。
難波 ゾクゾク(笑)。僕は身体論についてはよくわからないですが、伊藤さんと話していると、自分の発見を共有できるのが楽しいですね。
バイク事故を起こして目が見えなくなってから8年経ちますが、一番さいしょは何もできない人間だったんですよね。ベッドの上で寝ているだけで。でもそこから起き上がってベッドから出て、トイレに行かせてもらえるようになって、今度は一人で行けるようになって。自分の生活を広げていくことが楽しくて、こう工夫してクリアしたとか、本当は誰かと「できたよね」って分かち合いたかったんですけど、視覚障害者の人たちは、僕ができるようになったことがすでに当たり前の世界にいるし。見える家族とかも、「よかったね」とは言ってくれるんですけど、「おもしろいね」ってとこまではいかないんですよね。
伊藤 ええ。
難波 だから細かないろいろを、自分で喜びとして蓄えてるしかなかったんです。でも伊藤さんと話すと、僕の発見したもやもやを一緒に楽しんで、それを言葉にしてくれて、さらに「なぜなんだろう?」って次のところまでいけてしまう。
伊藤 そう言ってもらえると、うれしいです。私のほうも難波さんのおかげで、一人では見つけられなかったいろんな身体の謎について、冒険ができていますから。
といいつつ私自身、身体論を専門分野にしていながら、どうしてこんなに身体に興味をもつのかっていうことが、あまりわかっていないんですけど(笑)。
難波 ええ、先生(笑)。
次回は2/4更新予定
聞き手:中島洋一 構成:中森葉月