予定したら呼吸が分からなくなるので、予定していないふりをしていたけれど、
無意識は意識よりもずっと、うわて、だから。
眠ったり目覚めたり、
夢見たり夢忘れたり、
まあ、気がついたら、
ちゃんと、朝。
ヒキニートなくらむ、
今日、お外へ、ゆきました。
部屋のカーテン、閉めたまま、
着替えたフード、深く被って、
お外へ、ゆきました。
歩き出してすぐ、
自分の足元、
靴紐が解けているのが、見えました。
ええ、なにせ、ね、
下ばかり見て、歩きますから。
靴紐、と思いました。
解けている、と思いました。
風がとても、冷たかった。
いつの間にこれほど、せかいが、冬が、
冷たくなっていたのでしょう。
冷たい空気が痛いから、だからゆっくり、瞬きをしました。
片膝を、折りました。
地面の上、しゃがむのも、
靴紐、触れるのも、
ええ、なにせ、ね、
ヒキニートだから、いったい、いつぶりでしょうか。
中途半端に解けた靴紐を、
両手の指で引っ張ります。
もし、と思いました。
もし、靴紐の結び方が分からなくなっていたら、どうしよう、と。
解く事、すら、曖昧な記憶で、
なんだか、もたもた、してしまいます。
これがすべて解けたあとで、
靴紐の結び方が分からなくなっていたら、どうしたらいいのだろう、と思うと、
怖くなりました。
思い出せません。
自分が初めて、靴紐を結べた日、のことを。
その日の、その瞬間は、
朝だったのか、夜だったのか、
玄関だったのか、屋外だったのか、
いえ、
何才くらいだったのかも、よく分からないです。
知らない間に誰かに教わり、
知らない間に手を添えられて練習をして、
知らない間に一人で結べるようになった、の、でしょうか。
気がついたら、この靴紐、結んで生きてる。
初めて靴紐を結べた日、
でも、その瞬間には、
嬉しい、とさえ思わなかったのかもしれません。
自分はどうやら、そういう人、
現実に感覚が追いつくのが、
とても、遅い人、なのです。
幸せなことがあっても、
悲しいことがあっても、
でも瞬間には、それらの感覚には自分で気づけなくて、
だから、感情も、すぐには、
目に見えては現れないし、
自分自身でも、分からない。
自分には、
このせかい、全部が、
自分以外の人、全部が、
とても速くて、
ついてゆけない、ようです。
でも、と、
最近思います。
そのことに、今になって、ではあるけれど、
自分の感覚や感情の、現実との、時差に、
気がつくことが出来て、よかった、と。
遅れているのと、無いのとは、違う、から。
自分はその瞬間には、
笑えなくても、
涙を流せなくても、
動けなくても、
言葉に出来なくても、
でも、だからといって、
その瞬間の現実に対して、
何も感じていなかったわけじゃない、
からっぽだったわけじゃない、
そう、気がつけて、よかった、って思うのです。
無い、というのは、
とても寂しい。
自分も、周りも、
寂しいです。
回路はその都度流れていても、
肝心の出口で渋滞しているんだと思います。
それに、いっぱい、複数同時に、なのです、その渋滞とやらは。
人は単純ではないから、現実対感覚、一対一、ではないのでしょう。
もうどこから手をつけていいのか、
分からないくらいの、混雑ぶり。
自分は一つずつしか、
見られないのに、
二つも三つもいっぺんに、
回路を通って溢れてくるから、
どれか、一つ、すら、見ることが出来なくなって、
だから、きっと、
その瞬間には、自分は、
まるで空虚に見えるのです、端からは。
実際自分としても、
空虚でしかないんです、0だから、一じゃなくて。
そうこう、している間に、
いえ、どれぐらい、時間を掛けたのか、
よく、分からないですが、
靴紐、解けました。
端っこと、端っことを、両手の指で引っ張って、
あと少々なにやら、
靴紐と指をあちこちに動かして、
いつの間にか、ちゃんと、
靴紐、解けました。
でも、もしも、
靴紐の、結び方、分からなくなっていたら。
0とは、案外、怖いものです。
うまく、言えないけれど、
怖い、0は、さ。
でも、ああ、
無意識は意識よりもずっと、うわて、だから。
両手の指が、小指も使って、
靴紐を結んでゆきます。
靴紐、と思いました。
結べている、と思いました。
これで、歩ける、という現実と、
0の自分が、
冷たい空気にさらされて、
地面を、
踏み出します。
空虚で包んで、この脆弱な精神を。
夜になってから、少しずつ、
音の無い、
なに一つ動くものの無い視界、
ゆっくり自分だけの拍動で、
少しずつ、
靴紐を、解いて、ゆこう。
感覚と感情を、解いて、ゆくのです。
くらむ