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コラム

くも膜下出血に襲われたKEIKOさん、その病状と夫・小室哲哉さんの献身

2011年10月、突然「くも膜下出血」に襲われ緊急搬送された音楽ユニット・globeのボーカル、KEIKOさん。あれから約4年… 夫・小室哲哉さんの献身的なサポートもあってゆっくりと、着実に回復されているようですが、その道のりは決して平坦なものではなかったことは想像に難くありません。ここでは治療ノートに寄せられた体験談を交えながら、くも膜下出血の発症やリハビリ、そして最近のKEIKOさんの容態についてご紹介します。

掲載日:2016年01月21日

くも膜下出血に襲われたKEIKOさん、その病状と夫・小室哲哉さんの献身

ヒット曲を連発、一躍トップアーティストとなったglobe


1995年にデビューした、小室哲哉さん率いる音楽ユニット・globe


FEEL LIKE DANCEDEPATURESCan't Stop Fallin' in Love」など立て続けにヒット曲を生み出し、1997年に行われた大阪、福岡、名古屋、東京の4大ドームツアーも大盛況…と、当時の空前のJ-POPブームもあいまって、globeは瞬く間に日本を代表するアーティストの座にのぼりつめました。


そのglobeで、小室哲哉さんに数千人の候補者の中からボーカリストに抜擢されたKEIKOさんは、天を突くような圧倒的なハイトーンボイスで人々を魅了します。そして、2002年にはKEIKOさんと小室さんは結婚を発表。同年11月22日に東京・新高輪プリンスホテルで盛大な披露宴を行うなど、公私ともに充実した時間を過ごされていました(2006年に、小室さんが詐欺事件で逮捕されるというショッキングな出来事もありましたが…)。




愛する夫との幸福な日々が突如暗転…


2011年の10月24日、結婚10周年を目前に控えたふたりの幸福な日々は、まるで世界中のブレーカーがいっせいに落ちてしまったように、真っ暗な闇に包まれてしまいます。いつもどおり自宅で過ごしていたKEIKOさんが、突然、倒れたのです。


小室さんがそばにいたことが幸いし、KEIKOさんはすぐに病院へ緊急搬送され、そのまま手術を受けることに。約6時間にも及ぶオペは成功し、KEIKOさんは一命は取りとめることができたのです。


くも膜下出血の発症については、治療ノートにもたくさんの経験談が寄せられています。その一部をご紹介します。


【50代女性のご家族からの体験談

もともと血圧が高く頭痛があったのですが、突然激しい頭痛が起きて、意識をなくして倒れたので病院に搬送され、くも膜下出血とわかりました。(中略)手術が成功して、しばらくは意識が回復しなかったのですが、やがて意識が戻りました。


【50代男性の体験談】

会社に到着した朝、突然意識が遠くなり、再び意識が戻ったのが3週間先で何も覚えていません。その間、救急車に運ばれたのは職場に近い赤十字病院で「ステージ4です。至急親族の方をお呼び下さい」と妻に依頼し、結果として「旦那さんの症状からもう駄目か一生植物状態になる可能性があります。気管切開も覚悟に入れてください」という厳しい発言をされたそうです。


【50代女性のご家族からの体験談】

母が夕食の後、いつものように風呂場に向かい、浴室で倒れた。入浴前の洗体中に猛烈な頭痛に襲われて急に意識を喪失したとのこと。救急搬送され、くも膜下出血であると診断を受ける。(中略)開頭クリッピング術中に右目に栄養を与える血管の損傷をしてしまったため、右目を失明した。現在も視力は戻らず、障害者手帳申請や公的機関の利用をした。




ふたりで取り組んだ懸命なリハビリ、献身的な看病


2015年末に出演されたテレビ番組で、小室さんはこんなふうに当時を回想されています。


「元気だったKEIKOが急にくも膜下出血になってしまって。たまたま僕が(自宅に)いて、搬送が早かったので、手術まで1時間くらいでできたのでよかったんだけれども、その後2週間くらいは脳梗塞になってしまったりだとかいろんな可能性があったりするので、(お医者さんから)どうなるかわからないとは言われていて…」


生死のボーダーラインをさまようKEIKOさんを看病しながら、作曲の締め切りにも追われていた小室さんは、最愛の妻のそばにいることを最優先にしながら曲作りにも着手されるのです。


「僕は(看病で)病院を出られなくて。非常に病院が協力的で、SOHOみたいなところがあってひとつ部屋をあけてくれて。そこで詩と曲を書いて。すぐそこに彼女がいるっていうことは大きかったですね。そばにいてあげられたから作れたと思います」


ちなみにその時に制作されていたのが、AAAに提供した「SAILING」という名曲です。


早期治療と献身的な看病のおかげで最悪の事態は免れたとはいえ、KEIKOさんには記憶障害など重い後遺症が残ることに。しかし、懸命なリハビリと投薬治療を続けられ倒れてから約1ヵ月後の2011年12月11日には、KEIKOさんは自身のツイッターを更新されます。


たくさんの、励ましありがとう。とにかく、おくすりいっぱいです。。。がんばります。


思うように動かない手で長い時間をかけて入力したそのメッセージには(40分ほどかかったそうです)、日本中のファンからあたたかい反響が巻き起こりました。くも膜下出血の後遺症とリハビリについては、以下のような体験談も寄せられています。


【40代男性のご家族からの体験談】

(手術の後)右手が全く動かず、歩くこともできない状態でした。言葉も今までのようにハッキリと話せず、物忘れなども酷かった。(中略)現在は右手をしっかり治し、車の運転を目標にリハビリを行っております。


【50代女性のご家族からの体験談】

手術後、リハビリを行い、体力の低下、頭のもやもやと表現しているが、そのような症状があるぐらいで身体機能に後遺症はでていない。(中略)次第に回復しリハビリ病院に転院しリハビリを2ヵ月行いほぼ動けるまで回復し、家庭に帰りリハビリを継続している。


【60代女性のご家族からの体験談】

左側に完全マヒが残り、嚥下もままならないので自宅介護は困難なため、療養型病床で入院加療継続中です。(中略)手術自体の後遺症ではなく、開頭手術のストレスの後遺症らしきものとして、皮膚ヘルペスが発症しました。体力低下中のため、顔面など広範囲で水膨れができました。




globeデビュー20周年、音楽活動への復帰に向けて



2015年はglobeの結成20周年のアニバーサリーイヤーでした。


8月5日にはその20周年を記念した2枚組アルバム『Remode 1』をリリース。直後の8月9日(シングル「FEEL LIKE DANCE」でデビューしてからちょうど20年!)に新宿ステーションスク­エアで行われた記念イベントでは、集まった大勢のファンにとっておきのサプライズ・プレゼントが…。そう、イベントには出席できなかったKEIKOさんご本人からメッセージが届けられたのです。


みなさん、大変ごぶさたしています。私の歌を待ってくれている­人にはありがとうと心から思います」という直筆コメントが新宿ア­ルタの大型ビジョンに映し出され、スピーカーからKEIKOさんのちょっとたどたどしい、でも力強い肉声が流れると、現場は沸き立つような歓喜と歓声に包まれたのでした(その模様は以下のリンクからご覧いただけます)。


■ globeのKEIKO、4年ぶりに肉声披露

https://www.youtube.com/watch?v=e7VUO5F6v3c


音楽活動への復帰も待たれますが、体調は良くても脳の完治はありません。本人が音楽に興味を持つまではまだまだ兆しがありません。残念ながら、優しく待つだけです。」と小室さん(2014年4月のツイートより)。しかし、2015年2月には2人カラオケに行ってきます。とおふたりでカラオケに行かれたこともツイートされていました。


今は、ただ願うばかりです。KEIKOさんの順調なご回復と、そう遠くない未来に、またあの高らかな歌声が世界に響きわたる日が巡ってくることを―

 


【くも膜下出血と闘病中の方へのアドバイス

脳の手術というのは怖い感じがしますが、今は技術もかなり進歩していますし、くも膜下出血でもそれほど重症でなければ、かなり回復できる場合もあるので、しっかり手術をしてもらうようにするといいと思います。後のリハビリが大変ですが、根気よくやることですね。(50代女性のご家族より)


くも膜下出血は脳が器質的な損傷を受けるため、多かれ少なかれ日常生活において高次能機能障害が出ます。目に見えない部分の障害なため、周囲の理解は必要不可欠になります周りの方に助けてもらいながら生活をしてほしいと思います。(50代女性のご家族より)


我慢強い方だと、予兆である頭痛や目眩などで発症が分かりにくいケースが多いようです。日ごろのそうした予兆にいち早く気付いて、いざ倒れた時に素早く対応ができることが望まれます後遺症を残さないためには、発症から72時間以内の処置が必要とのこと、くれぐれも初期の処置が大切です。(60代女性のご家族より) 



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治療ノート編集部
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