2015年2月のある日、僕は動けなくなってしまった。
体内にある、絶望と憎悪と虚脱感を、混ぜ合わせて作られた、巨大な沼。自分の体内にあるすべての領域が、その沼になっていることに気付いた。もうその沼以外、何も残っていなかった。
僕はそのまま、自分の中に出来た、その巨大な沼の中に、引きずりこまれて行き、それからは死体のように、布団の上から、動けなくなってしまった。 布団から見える世界だけが、僕のすべてになった。
次第に、自分が生きていると、思えなくなっていった。
僕はもう死んでいて、肉体だけが、抜け殻のように、この世にあるだけだった。
布団から天井を見上げながら、自分が死ぬのを、ただ僕は待っていた。
なのに僕は、いつまでも死なないまま、そのままの状態で、毎日は過ぎ、日付は自動的に更新されて行き、ただそこにぶっ倒れた状態で、二週間が経った。
ほとんど何も飲まない。ほとんど何も食わない。トイレに行く回数も恐ろしく少ない。
もう死んでいるのと同じなのに、もう生きていたくないと、全身で意思表示しているのにも関わらず、また今日は始まり、そして終わる。
それは、僕の意思に関係なく、どこまでも続いていく。
もうここで終わらせてくれ。
目を閉じる。
静寂。
しばらくそうしているが、何も終わらない。
終わってくれ。
終わらせてくれ。
頼む。
それなのにも関わらず、何も変わらず、ただただ静寂。
僕はもう、自分で自分を殺すことでしか、僕が救われる方法はないんだと思った。
僕は、遺書を書こうと思い至った。
紙とペンを取り出して、もう全部がどうでもいいと、そこに書いた。何もかも全部が、クソみたいだったと書いた。だから、こんな世界から消えれることは、何より幸せなことだと書いた。
あの人は、売れている芸人で、僕の恩人だった。僕が東京に居た頃、あの人は、師のようにあらゆることを、教えて下さった。たくさん美味しいご飯をご馳走して頂いたり、服や靴を買って頂いたり、旅行に連れて行って頂いた。
なにより、自分の笑いのすべてを、ぶつけさせて下さる、唯一の人だった。あの人と笑いを作っている間、僕の脳みそは常に、歓喜していた。そして、何より、今まで出会った人間の中で、一番優しい人だった。お笑いをもっと、好きにさせてくれる人だった。心から、お笑いを愛している人だった。
毎日テレビをつけると、あの人に会うことができる。僕はそのことを、心からうれしく思っている。あの人は誰よりも正しく、そして徹底的に、笑いに狂っていた。そしてちゃんと、売れている。 その事実は、いつしか、僕がお笑いを続けていくことにおいての、一筋の希望のようなものになっていた。
それがあったからこそ、これまで笑いを、続けることができたのかもしれない。 あの人に迷惑をかけたくないから、あの人のことは、絶対に書かないつもりだった。だけど、僕のお笑い人生は、あの人抜きに語ることはできない。僕はあの人によって、発見して頂き、生かされ、笑いを続けさせて頂いている。
そんな人とずっと一緒に、笑いを創ってこれたのは、本当に幸せなことだった。
僕が売れなかったことを、死ぬほど悔しかったと、あの人は言ってくれた。
その時に僕は、こんなに凄い人に、そこまで自分を評価して頂けていること自体が、売れることよりも、どんなことよりも、価値があることのように思えた。
それでも、僕は売れたかった。
一瞬で消えても良いから、一瞬だけでも売れて、恩を返させて欲しかった。いろいろとお世話になっておきながら、あの人にも、後輩などにも恩を返せずに、散って行くなんて、ただのもらい逃げになってしまう。
だが、どうだ? 僕は、それをちゃんと、下に返したか? 何一つ返してはいない。 24歳で、単独ライブの作家。 それは異例のスピード出世だったように思う。 どこに行っても、一番後輩は僕だった。 どこに行っても、一番若いのは僕だった。 上から、受け取るばかりだった。
やめる時は、今まで上から教えて頂いたことを、今まで上から奢ってもらった金額を、今まで上から受け取った全てを、全部、下に返してからやめなければ、不良債権になる。
でも、もう無理みたいだ。
僕はお笑い界の不良債権になったんだ。
最も感謝していることは、笑いの世界に「人間」を育てて頂いたことにある。
笑いの世界に入る以前の僕の社会的な処世術のレベルは、その辺にいる野生動物とほぼ互角だった。今もしも、自分にあんな後輩が居たらと思うと、ゾッとするような、滅茶苦茶な人間だった。
何とか野生動物から、人間の形に近づけて頂いたのだ。
けれど、僕はあの人に、何も返せなかった。もらったバトンを、次に繋ぐことも、果たせなかった。
僕は自分を、0点だと思った。
このまま、人生を終わらせてしまうことを、本当に申し訳なく思った。
僕は最期に、あの人に長いLINEを送った。
漫才の作家を辞めることを伝え、今までのお礼と、夢を叶えて下さったこと、人生を救って下さったことを感謝し、それから、何一つ恩返し出来なかったことを謝罪した。
死に場所として、一番最初に頭に浮かんだのは、なんばグランド花月の前の、この場所だった。
ずっと笑いに狂った人生だったから、最後は笑いの聖地で、死にたいと思った。
難波に向かうまでの道のり。自転車に乗る僕の横を、高速で横切る街の景色。 この景色を見るのも、もうこれで最後だと思うと、意外にも寂しいという感情になった。
◆
「なあ」と僕はトカゲに言った。
「オレ、半年前にここで死のうとしてん」と僕はその時の話をした。
「ウソつくなや」とトカゲは言った。
「いや、マジやで? でも、やめてん。こんな所で人が死んだら、今後、劇場に来るお客さんが、笑いにくくなるやん? ここに来た時に、それに気付いてしまってん。オレ、笑いの邪魔だけは、したくなかってん」
「どうせ最初から、死ぬ気なんかなかったんやろ?」とトカゲは言って、笑った。
「まあ、そう思うなら、そう思ってくれてええわ。別にお前に、どう思われてもええし」
僕はトカゲに、こんなこと、話さなければ良かったと思った。 トカゲは金持ちになり、僕は相変わらず、絶望的に貧乏だった。
世の中には、勝ち組や負け組という言葉がある。 商店街で買った300円のシャツに、人からタダでもらったズボン、無精髭を生やした全財産0円の童貞と、高そうな時計に、全身をブランド物で身を固めたイケイケの男。 誰がどう見ても、その結果は歴然だった。
だけど、人生の本当の勝ち負けが、そんなで決まったらほんとおもろない。
「帰るわ」
僕はトカゲに言うや否や、目の前の車道に、飛び出して、車が行き交う道路に向かって、走り出した。
モーゼが海を割ったみたいに、往来する車を、何台も急停止させながら、道路を横切る。
大量のクラクションが鳴らされ、様々な罵声が、僕に向かって放たれる。
道路のあっち側から、トカゲが何か、叫んでいるのが聞こえた。
どうでも良かった。 僕らはもう、違うジャンルの人間だ。 そんな人間の言葉なんか、僕にとっては、何の意味もない。
今のは、本気で死んでもいいと、この世界を見限った人間だけが出来る芸当だ、覚えておけ。
◆
なんばグランド花月の前で、自殺を思い留まった後、ケータイを見ると、あの人からの返信が来ていた。
そこには、僕が今まで、人生で、人から言われた言葉の中で、一番うれしい言葉が書いてあり、その言葉は、あまりにも優し過ぎて、愛があった。僕のような0点の人間にはもったいないくらい、僕の全部を、包み込んでくれるような言葉だった。心に大きな沼が広がり、廃人同然の僕だったが、涙腺が静かに振動して、目から涙が滲んで、そして一筋の涙が、頰をつたい、地面にポタッと落下して、消えた。
僕はその時に、お笑いに狂ったこの人生が、間違っていなかったと思えた。
もう一度、時間を巻き戻せて、人生をやり直せるとしても、僕は同じように、笑いに狂って生きるだろうと思った。
売れないことが分かっていても、貧乏な生活がずっと続くことも、童貞のまま27歳になることも、大量に味わうことになる、死にたくなるくらいの絶望も、とめどない挫折も、ぶつけられる憎悪も、向けられる嫌悪も、敵対と軽蔑と無視と嘲笑、そのすべてが、やむことなく体に、衝突し続けることが分かっていても、裏でやってきた血を吐くような努力は、徹底的に報われず、寝る以外のすべての時間を笑いに費やしても、何もかも足蹴にされ、時には蹴散らされ、時には半殺しにされ、人間扱いされず、それでも、耐える、信じる、努力は必ず報われる、神様は僕を見てくれている、それだけを頼りに、必死で笑いに狂うも、その言葉には裏切られ、神様など 存在しないと、完膚なきまでに思い知らされ、遂には血便が出て病院送りになり、病床でネタ帳にかじりつく、その執念すら、白い目で見られ、どれだけ書いても、売れなくて、どれだけ笑わせても、何も動かなくて、どれだけ血と汗と涙を流しても、何も変わらなくて、何もかも全部、無価値だったんだと知った時、自分の心の中に、巨大な沼が出来ていることに気付き、病んでいることに気付き、体が動かなくなり、生きる希望を失い、自殺志願者になり、それでも、最後のお笑いとの繋がりにしがみつき、ひたすら笑いに狂い続けるも、社会からは「死ね」と言われ続けるような、現実を永遠と突きつけられ続け、履歴書に書けることでしか、人を評価出来ないこの社会においては、すべてなんの価値もない努力でしかなく、他人から言わせれば、人生丸ごとが時間の空費でしかなく、世間からのゴミ扱いは、きっと死ぬまで、永遠に続く、そんなクソみたいな、生き地獄のような、人生になるということも、全部分かった上で、僕はもう一度、時間を巻き戻せて、人生をやり直せるとしても、これまでの人生と同じように、笑いに狂って生きようと思った。
あの人の言葉は、僕にそう思わせるくらい、笑い声を起こすために、全力疾走して生きた、僕のこの人生を、誇りに思わせてくれるような言葉だった。
2014年12月、コールセンターのオフィスで、 「自分を恥じろ!」 と、上司は僕に言った。
だけど僕は、この人生を、心から誇りに思っている。
新作漫才の執筆依頼が来るたびに、僕の体内から、勝手に飛び出したカイブツが、目の前に現れる。
「作るか?」
カイブツは、ブレイキング・バッドのウォルター・ホワイトのように、いつも僕にそう言うのだった。
次回へつづく