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バス転落事故 多くの若者が夢奪われる1月16日 21時17分
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15日、長野県軽井沢町で起きたバス事故では、死亡した乗客12人のすべてが大学生でした。事故は、将来への夢と希望を膨らませていた多くの若者の命を一瞬にして奪い去りました。
阿部真理絵さん
さいたま市大宮区の阿部真理絵さん(22)は早稲田大学国際教養学部の4年生で、死亡した同じゼミの2人の友人など、合わせて6人でスキー場に向かっていたということです。知人によりますと、阿部さんはイギリスの大学への留学経験もあり、造船に関わる仕事がしたいとして、この春からは大手重工メーカーへの就職が決まっていたということです。
父親の知和さん(56)は「娘の遺体は家に戻ってきましたが、普通にベッドで寝ているように感じられ、まだ亡くなったことが信じられません。明るい頑張り屋で友達の多い子でした。将来は、交通インフラの分野で、世界に日本の技術を広めたいと話していて、就職先も決まったところでした」と話しました。
父親の知和さん(56)は「娘の遺体は家に戻ってきましたが、普通にベッドで寝ているように感じられ、まだ亡くなったことが信じられません。明るい頑張り屋で友達の多い子でした。将来は、交通インフラの分野で、世界に日本の技術を広めたいと話していて、就職先も決まったところでした」と話しました。
小室結さん
阿部さんと同じゼミに在籍する川崎市宮前区の小室結さん(21)は、早稲田大学国際教養学部の4年生でした。明るい性格で友達が多く、就職活動の際には悩んでいる友達の相談に乗ったり、アドバイスしたりするなど、気遣いも忘れない優しさがあったということです。
まちづくりに携わりたいとこの春からは大手不動産会社への就職が決まっていました。小室さんの母親は「娘は何事にも前向きに一生懸命に頑張り、いつも友達に囲まれて楽しそうでした。将来の夢は海外で活躍できるような仕事をすることだと日頃から言っていました。いろいろ旅行していましたが、空の上から世界中を眺めたかったのかなと思っています。娘が22年間の人生を精いっぱい頑張り、やり残したことはないと信じていて、誇りに思っています」と話していました。
まちづくりに携わりたいとこの春からは大手不動産会社への就職が決まっていました。小室さんの母親は「娘は何事にも前向きに一生懸命に頑張り、いつも友達に囲まれて楽しそうでした。将来の夢は海外で活躍できるような仕事をすることだと日頃から言っていました。いろいろ旅行していましたが、空の上から世界中を眺めたかったのかなと思っています。娘が22年間の人生を精いっぱい頑張り、やり残したことはないと信じていて、誇りに思っています」と話していました。
田端勇登さん
同じ早稲田大学国際教養学部4年生の田端勇登さんは(22)将来、国際的な仕事をしたいと海外に留学して英語や企業経営を学び、この春から「日本政策投資銀行」に就職することが決まっていたということです。
義理の兄は「勇登くんは優しく、絵に描いたような好青年でした。忙しくてなかなかゆっくり話す機会がなかったのですが、最近、引っ越しを手伝いに来てくれてとても楽しく話ができ、仲よくなれたところでした。今は気持ちの整理がつきません」と話していました。
義理の兄は「勇登くんは優しく、絵に描いたような好青年でした。忙しくてなかなかゆっくり話す機会がなかったのですが、最近、引っ越しを手伝いに来てくれてとても楽しく話ができ、仲よくなれたところでした。今は気持ちの整理がつきません」と話していました。
池田衣里さん
東京・多摩市の池田衣里さん(19)は東海大学体育学部の1年生で、高校のテニス部で一緒だった同じ大学に通う友人と参加していたということです。中学時代はテニス部の部長を務め将来は教員や旅行業界など人と接する仕事がしたいと話していたということです。
中学時代のテニス部の顧問の江崎雅治さんは、「笑顔を絶やさない子で、勉強も部活もすべてにおいてパーフェクトな生徒でした。ことしの年賀状には『大学楽しいです。毎日とても楽しいです』と書かれていました。将来は教員や旅行業界など人と接する仕事がしたいと聞いていたので、突然の事故は信じられず本当にショックです」と話していました。
中学時代のテニス部の顧問の江崎雅治さんは、「笑顔を絶やさない子で、勉強も部活もすべてにおいてパーフェクトな生徒でした。ことしの年賀状には『大学楽しいです。毎日とても楽しいです』と書かれていました。将来は教員や旅行業界など人と接する仕事がしたいと聞いていたので、突然の事故は信じられず本当にショックです」と話していました。
林晃孝さん
法政大学の3年生で林晃孝さんは(22)学校の教師になることが夢だったといいます。林さんの高校の同級生で親友の男性は、「友だちが集まればその中で楽しくなさそうにしている人に声をかける、思いやりのある人だった。学校の教師になることが夢だと話していて、『子どもが生まれたらお前の学校に入れるからな』と約束していた。なぜ亡くならなくてはならなかったのか気持ちの整理がつかない」と話していました。
西原季輝さん
千葉県市川市の西原季輝さん(21)は、大学関係者によりますと、法政大学キャリアデザイン学部の3年生で、同じゼミの学生9人とツアーに参加していたということです。西原さんのフェイスブックには、スノーボードのウエアとみられる服を着ている写真が掲載されています。また、見かけたら話しかけてほしいなどとするメッセージを友人とやり取りしていて、学生生活を楽しもうとしていた様子がうかがえます。
花岡磨由さん
花岡磨由さんは、法政大学キャリアデザイン学部の4年生で同じゼミの学生9人と今回のツアーに参加していました。
花岡さんと一緒にツアーに参加し、軽いけがをした男子学生は、「花岡さんはいつも笑顔で、明るい元気な女性でした」と話していました。また、花岡さんが家族と一緒に暮らしていたマンションの住民で60代の男性は「出かけるときにはあいさつをするすてきな女性でした。これからの将来がある人が犠牲になったことに憤りを感じます」と話していました。また、娘が花岡さんと同級生だという女性は「明るく、優しく、しっかりした子で、就職が決まったとも聞いていました。娘は非常にショックを受けています」と話していました。
花岡さんと一緒にツアーに参加し、軽いけがをした男子学生は、「花岡さんはいつも笑顔で、明るい元気な女性でした」と話していました。また、花岡さんが家族と一緒に暮らしていたマンションの住民で60代の男性は「出かけるときにはあいさつをするすてきな女性でした。これからの将来がある人が犠牲になったことに憤りを感じます」と話していました。また、娘が花岡さんと同級生だという女性は「明るく、優しく、しっかりした子で、就職が決まったとも聞いていました。娘は非常にショックを受けています」と話していました。
山田萌さん
沖縄県出身の山田萌さんは(19)広島国際大学の1年生で、キャンパス内にある寮で生活しながら医療機器を専門に扱う技術などを学んでいたということです。広島国際大学の加賀谷有行学生部長は「山田さんは、『人の役に立ちたい』と臨床工学技士を目指していました。まだまだ楽しい学生生活が送れたと思うと悲しい気持ちでいっぱいです」と話していました。
西堀響さん
千葉市美浜区の西堀響さん(19)は東京外国語大学言語文化学部の1年生で、所属する大学のアメリカンフットボール部の友人3人と、スノーボードをするため斑尾高原に向かうバスツアーに参加していました。
大学の友人によりますと、西堀さんは、大学に入学してからアメリカンフットボールを始めたということですが、実家から大学までおよそ2時間かけて通学し、早朝からの練習に参加していたということです。友人の1人は、「この間まで元気な姿を見ていたので、突然のことで驚いているし、悲しいです」と話していました。
大学の友人によりますと、西堀さんは、大学に入学してからアメリカンフットボールを始めたということですが、実家から大学までおよそ2時間かけて通学し、早朝からの練習に参加していたということです。友人の1人は、「この間まで元気な姿を見ていたので、突然のことで驚いているし、悲しいです」と話していました。
田原寛さん
東京・八王子市の田原寛さん(19)は首都大学東京の2年生で、大学などによりますと、同じ社会福祉学教室に在籍する男子学生4人とバスに乗っていたということです。
高校時代の3年間、田原さんの担任をした教諭によりますと、高校では、サッカー部に所属し、クラブ活動と勉強の両立にも熱心だったということです。教諭は、「突然のことで、信じられず、うそであってほしいという思いです。ことし成人式を迎えて、大阪に戻ってきた時には、一緒にお酒を飲みたいと思っていましたが、本当に残念です」と話していました。
高校時代の3年間、田原さんの担任をした教諭によりますと、高校では、サッカー部に所属し、クラブ活動と勉強の両立にも熱心だったということです。教諭は、「突然のことで、信じられず、うそであってほしいという思いです。ことし成人式を迎えて、大阪に戻ってきた時には、一緒にお酒を飲みたいと思っていましたが、本当に残念です」と話していました。
小嶋亮太さん
東京・小金井市の小嶋亮太さん(19)は東京農工大学の1年生でした。大学のラグビー部の友人4人でツアーに参加していたと言います。
卒業した埼玉県内の高校で、ラグビー部の顧問として小嶋さんを指導していた男性教諭は、「小嶋くんは、ラグビーの練習や勉強にコツコツと真面目に取り組む生徒でした。けがをしても決して痛いと弱音を吐かず休まずに練習に出てきました。ラグビーをやっている元気な姿しか思い浮かばずとてもショックです」と話していました。
卒業した埼玉県内の高校で、ラグビー部の顧問として小嶋さんを指導していた男性教諭は、「小嶋くんは、ラグビーの練習や勉強にコツコツと真面目に取り組む生徒でした。けがをしても決して痛いと弱音を吐かず休まずに練習に出てきました。ラグビーをやっている元気な姿しか思い浮かばずとてもショックです」と話していました。
大谷陸人さん
東京・杉並区の大谷陸人さん(19)は東京農工大学の1年生で、小嶋亮太さんと同じラグビー部でした。
ラグビー部の先輩で4年生の男子学生は「1年生ながら攻守の要となる重要なポジションを任されるなど、チームに欠かせない存在でした。明るく朗らかな性格で、将来、チームの柱になってくれると期待していたので、部員は皆、ショックを受けています。今でも信じられない」と話していました。
ラグビー部の先輩で4年生の男子学生は「1年生ながら攻守の要となる重要なポジションを任されるなど、チームに欠かせない存在でした。明るく朗らかな性格で、将来、チームの柱になってくれると期待していたので、部員は皆、ショックを受けています。今でも信じられない」と話していました。