初めまして、富士野一徳です。「オリジナル超人」「オリジナル聖衣」「オリジナルガンダム」少年時代この三つをこっそり考えたことのない男子はいない、そんな世代の中年オタク社会人です。
「オタク」が「オタクでない人々」の間で日々を送る時に生じる、様々な軋轢。私自身も嫌と言うほど味わってきたそれを、もうちょっと軽減できるんじゃないか?と、そんな風に考えています。
その問いはいつかきっと来る
仕事の打ち合わせが終わって、軽い雑談に入った時。ランチミーティングの時。上司に誘われた飲みの席。
「休みの日とか、何してるの?」
何気ない質問にじっとりと嫌な汗をかいたこと、ありませんか。私はあります。
「趣味というほどのものはないです」
つっぱねるのは感じが悪い。
「読書ですかね」
嘘ではないが、そこまで読んでるわけでもない。
「アニメとか見てます」
と正直に答えられる人はかなりの猛者だろう。しかし、その試練をくぐり抜けた先にはしばしば、
「へえー。どんなのを見てるの? お勧めとかあったら教えてよ」
という、より過酷な関門が待っている。
「そうですね今期ならやっぱり『おそ松さん』ですかね今まで男性向け日常物っていうのは山ほどありましたけど女性向け日常ジャンルって言うのがようやく開拓されてきたっていうかでもこういうのある意味男女問わず受け入れられると思うんですよあと兄弟の組み合わせがどれをとってもホントかわゆくて個人的には一松がもうねズルいっていうか」
言うまでもなくこれはまずい。ドン引きされます。
「いや、お勧めとかそういうのないんで…」
これも話題を打ち切ってしまうことになるので、決して正解ではない。
しかし、たいていの人はこっちだろう。 そして、一人になってから
(余計なこと言わなきゃよかった…)
と、苦い後悔を噛みしめたりする。相手は相手で、
(悪いこと言っちゃったな…)
なんて気分になったりして、以後なんとなく会話が気まずくなったりする。
そういう経験、ないですか。私はあります。何度も。
何を、どのように答えるか?
アニメや漫画が好きな人達……というと範囲が広すぎるので、その中でも何というか割と煮詰まっちゃってる人達のことを、ここではオタクと呼ぶことにする。
オタクの社会人というのはいる。大勢いる。私もそうだし、これを読んでくれているあなたもその一人かもしれないし、あなたの同僚がそうかもしれない。
彼ら(というか、私たち)はふつう、こうした職場での「趣味についての会話」がとことん苦手である。自分の趣味のことを、他人と語り合うのを嫌がる傾向にある。自分たちの趣味は決して理解も共感もされない、特殊なものだと思っているからだ。
それはある程度まで正しい。アニメや漫画などのオタク趣味は確かに共感されにくいものだし、されにくくて当然だ。それはそれで仕方のないことではあるのだが、しかし社会人たるもの、いつまでも
「いや、お勧めとかそういうのないんで…」
でもないだろうと思うのだ。
たとえば上記のケース、こうならどうだろう。
「今だと、『おそ松さん』ですかね。赤塚不二夫の『おそ松くん』の、主人公の六つ子が大人になって、なんと全員ニートになっちゃってるんです。ニートの六人兄弟が、毎回喧嘩したり頑張ったり冗談を言ったりしては、最後はグダグダになって終わるという、ゆるーいコントみたいなアニメですが、六人それぞれにダメなりの個性があって、面白いですよ」
どうだろうか。これなら、五人の席で喋ったら一人くらいは
「へー、面白そうじゃない。いつやってんの?」
となりそうな気がしないだろうか。
いや、実際にそうならなくてもいいのだ。別に「ふーん……(興味なさげ)」という反応が返ってきても構わない。大事なのは、「どこが好きで、何がいいのかをきちんと説明し、お勧めを聞かれれば教える」という、「趣味についての会話」として当たり前のことが、きちんとできているということ。ざっくり言えば「キョドらない」「イタイタしくない」ということである。
ちなみに後者の紹介文を書く時、注意した点はこんな感じだ。
- 「個人的に好きなところ」と「客観的に評価できるところ」をきっちり分ける。
- 固有名詞や専門用語は極力使わない。
- 全部を説明しようとしない。一番説明したい(面白い)ポイントを中心に、ほかは手短に。
何度もの失敗を経て身についたポイントだが、見ればすぐわかると思う。これは専門的内容のプレゼンの基本とだいたい一緒である。
オタクであり社会人であるということ
そう、学生だった頃ならまだしも、私たちは社会人だ。義務教育を終え、就活をクリアし、社会の成員としての役割を果たしている一人前の人間だ。これまでの人生で培い、今も日々活用しているスキル、鍛えられた精神力をもってすれば、たかがオタク精神の一つや二つ、乗りこなせないはずはない。
別に、オタク趣味自体を理解してもらう必要はない。毎日働く職場に、今更ガノタやラブライバーや提督を一人増やしたいわけじゃない。ただ、「理解されない趣味をかかえてひっそり生きる人」という立場に甘んじるのを、ちょっとやめてみようじゃないか。「オタク趣味のあるちょっと変わった人」という立ち位置の方が、多少は生きやすいこともあるだろうじゃないか。という提言である。
ただの働くオタクではなく、社会の中できちんと生きていけるオタク。「オタク社会人」は、そういう境地を目指してもいいと思う。
いや、目指してもべつに何かいいことがあるわけでもないんですけどね。
富士野一徳
中小企業勤務の40代会社員。
独身。
好きな六つ子はチョロ松。