プロレスのじかんBACK NUMBER

プロレス話が嫌いなプロレスラーの話。
長州力は、いつか“消える”──。

 
1982年10月22日に行われた長州力vs.藤波辰爾戦。後に伝説となったノーコンテストの一戦は、「無効試合がぴったりの始まりかたでした」(原悦生)。

1982年10月22日に行われた長州力vs.藤波辰爾戦。後に伝説となったノーコンテストの一戦は、「無効試合がぴったりの始まりかたでした」(原悦生)。

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Essei Hara

 尾山台のファミレス。その日、長州力は姿を現わしたときからすでに不機嫌だった。

「今日は何をやるんだ? こんなのさ、何度も何度もしつこく言うけど、俺のことなんて昔の記事を拾って勝手に書いてくれりゃいいんだから。なんでわざわざこうして話をしに出てこなきゃいけないのか……。もう、パパパッとやってくれよ」

 この日はプロレスの話題について触れる予定だった。そもそも、それが長州の機嫌が悪かった理由だ。

 長州はプロレスについて語ることを誰よりも嫌う。おまえら、やったこともないくせにプロレスの何がわかる? 長年、そのスタンスで生きてきた。プロレスマスコミという人種を毛嫌いしている。

「べつに殊更に嫌いじゃないけど……もう、プロレスの話とかしたくねえんだ。まあ嫌いというよりはイヤってことですよ」

 けっして嫌いではない、ただ、イヤなのだそうだ。そうして、この日もプロレスについての質問はNGとなった。長州のマネージャーに向かって(話が違うじゃないですか)と目配せをしようとするも、後の祭り。マネージャーはそういうときは決まって、ガラケーを片手に視線を下にやり、事態に気づかないフリをする。

本当に聞きたいことは、そこじゃないのですが……。

 最近観た映画の話、政治不信、UFOを信じる信じないの話……。本当に聞きたいことはそんなことじゃない――白々しい空気がずっと続いていく。

「おい、もうそろそろいいだろ? 俺、最初にパパパッとやってくれって言わなかったか?」

――あ、ではそろそろこのへんで……。

「えっ! こんな短い取材のためだけにここまで俺を呼び出したのか!?」

 どうしたらよかったのだろうか。

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