ぼくはゆるふわ系女子が好きだ。
そんなわけで今日は
ゆるふわ系女子について語っていこうと思う。
1. 容姿
ゆるふわ系女子といっても人それぞれいろいろなイメージがあるとおもうので、ここで統一しておこうと思う。
まずゆるふわな女子は少しゆるめのデニムパンツを履いている。淡い水色のやつだ。そしてそれを足首ちょい上あたりまでロールアップしていてニューバランスかナイキのスニーカーを履いている。ちなみにベルトは茶系の細いやつだ。ここまでは文句なしに満場一致だとおもう。
上は冬ならニット 夏はストライプのシャツで、首からはオリンパスの一眼レフをぶら下げている。えんじのマフラーをしていて頭にはニット帽。もしくはバンダナのようなハチマキのようなあのお洒落なやつを巻いている。そして髪型はボブかお団子であり、必ずどこかしらパーマをかけたり巻いたりしている。あと、この髪型はなんというのか分からないが、こんな感じなら最高だ。好きだ。
化粧はなぜかチークが濃いめで「いつでも初恋ドキドキ状態」である。眉は平行か下がり気味。どうやら日本経済の景気を反映しているらしい。得てして垂れ目であることが多い。好きだ。
2. 生活
ゆるふわ女子は朝起きてまず小さなあくびをする。鼻の穴の広がらないやつだ。かわいいやつだ。そして寝ぼけまなこで時計を見る。少し寝ぐせがついている。気持ちよさそうに伸びをしてからカーテンを開ける。天気の良いことを確認してニコッと微笑む。天使だ。顔を洗って歯を磨く。歯を磨きながら窓際の小さなサボテンを観察する。順調に育っているようだ。そしてコーヒーを淹れる。いい香りが漂ってくる。好きだ。
先ほどの服装に着替えを済ませてから木製のテーブルにランチョンマットを敷きお皿を並べる。朝ごはんはフレンチトーストかグラノーラだ。あるいはベーグル。ヒーリングミュージックをかけながらゆっくりと食べる。そろそろ出かけるということで白色のトートバックを肩にかける。いい感じの英語がゆるい字体で書いてあるシンプルなトートバックだ。だいたいが「Take it easy」などと書いてある。必需品のだて眼鏡をそれに入れて出かける。好きだ。
日中はほがらかに過ごし、帰宅する。
ごはんを食べお風呂に入り、寝る準備をする。もこもこのルームウェアを着る。そしてホットミルクかココアを飲んでからふとんに入る。ベッド付近にあるスタンドライトを点けて本を読む。ゆるふわ系女子はこの時間が大好きなのだ。むずかしい本は苦手なので星の王子様とかを読む。かわいい。そして寝落ちするように眠りにつき、また朝に戻る。
3. 趣味
まず、ゆるふわ系女子はインスタが好きだ。インスタを好きだと言っておけばお洒落だとおもっている。ディスってはない。日常を切り取ってはその写真を上手い具合に加工する。この技術は一級品だ。そしてだいたいの場合少し白みがかった淡い加工を入れる。ふわふわとしたお洒落な写真になる。それをインスタにアップする。
部屋の壁にはウールのヒモが掛かっている。そこにクリップが付いていて写真がぶら下がっている。ゆるふわ系女子は壁にウールのヒモを掛けがちだ。
たまに三角フラッグ族もいる。
運動会をモチーフにしているのだろうか?
ディスってはない。
そしてゆるふわ系女子の好きな芸能人は
ほとんどの場合、青柳文子だ。
可愛い。非常に可愛い。アイテムが似合う。かわいい。Tシャツにマキシ丈のスカート、白いスニーカーが似合いそうだ。かわいい。ゆるふわ系女子は青柳文子に夢中だ。好きだ。
4. キングオブ
不動のキングオブゆるふわがいる。臼田あさ美だ。
彼女を初めて見たとき、世界が止まったような感覚に陥った。どタイプってやつだ。生きているとたまにこうゆうことがある。端麗な容姿、子供のような笑顔、ぽってりとした唇、ゆるカジな服装。彼女のブログ「あいまいもこ」は毎日見ていたものだ。文章のバランスがよく、コトバ選びが秀逸だった。
当時は27歳の彼女だったが、もう31歳である。しかし衰えないゆるふわさ。なんといっても彼女の魅力はあの「脱力感」である。すべてを受け入れるかのような、はたまた諦めているのか手放しているのかわからないが、世の中の複雑なモノゴトを達観したような感じがあった。それでいてフジファブリックが好きというギャップの持ち主。なにがギャップなのかは分からない。ゆるふわでありながら夜明けのBEATを聴いているのだ。ふしだらな夜も良いのだ。
栗毛のプードルを小脇に抱えている。
この世で栗毛のプードルを小脇に抱える姿が似合うのはおそらく彼女だけだ。なかなか栗毛のプードルは小脇に抱えられない。
もう分かっただろう。ゆるふわになろうとしている女子は多いが、このように自然体でいるにも関わらずゆるふわオーラを出せる彼女は「化け物ゆるふわ」であるのだ。天性のものだ。好きだ。
5. まとめ
まとめかたが分からない。自分でいうのもなんだが、
結構意味のわからない記事を書いた。結局のところ、ゆるふわ女子の生態は暴けぬままだ。
ただ一つわかったことがある。
ゆるふわ女子は根っからゆるふわなんじゃなくて、
ゆるふわで居ようとしているということだ。
本来は朝ごはんにお茶漬けをかきこんでるかもしれないし鼻の穴の広がるあくびもするだろう。マリメッコなんかよりGUで満足かもしれないしマキシマムザホルモンなんかも聴くだろう。夜は晩酌をしながら泥のように寝ているかもしれない。しかしそれを表に出さずゆるふわで居ようとする姿に健気さのようなものを感じる。美しいとすら思う。好きだ。
もうすでに声に出した人もいるかもしれないが、今回の記事は「いやいや偏見がすごいな」というツッコミをもらうために書いた。ゆるふわとはもっとフラフラした存在で、そんなに断定的なものではない。
ぼくはこれからもゆるふわを敬愛しゆるふわに夢を見る。ゆるふわは世界を救うとおもう。ディスってはない。そもそもゆるふわってなんだ。
それではゆるふわな良い一日を。