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ジャニーズ事務所派閥騒動とはなんなのか SMAPファンの立場から
2016年1月、ジャーニーズファンのみならず広く世間を震撼させた人気アイドルグループSMAPの独立騒動。現在もまだ先の見えないこの出来事について、生粋の「ジャニオタ」であるトモコさんが緊急寄稿です。
そもそもSMAPは事務所からはみだしていた。
光GENJIという偉大なアイドルのあとに売り出され、1991/9/9発売のデビューシングルである『Can't Stop!! -LOVING-』はオリコン2位だった。そして音楽番組が次々と終わる時代だった。TBS系列の「ザ・ベストテン」は1989年に終わり、日本テレビ系列の「歌のトップテン」とフジテレビ系列の「夜のヒットスタジオ」は1990年に終了した。その中でのデビュー、そしてオリコン2位という結果はジャニーズ事務所のアイドルとしては、落ちこぼれだった。その中で彼らが掴んだレギュラー番組は1992年スタートの「夢がMORIMORI」。バラエティ番組だ。ここで彼らは体当たりのコントなどに挑戦する。そしてようやくオリコン1位を取ることができたのは1994年発売の『Hey Hey おおきに毎度あり』(通算12枚目のシングル)だった。ここまでデビューから2年半かかっている。そして「SMAP×SMAP」の放映開始が1996年だ。
事務所からはみ出していたSMAPが一番始めに事務所のプロジェクトからおおっぴらに疎外されたのは「J-FRIENDS」だ。1997年末に結成されたこのユニットは阪神淡路大震災のチャリティ活動として、ジャニーズ事務所の関西出身者がいるグループTOKIO、V6、KinKi Kidsによって結成された。震災からおよそ3年も経ってからの結成で、1997年末、東京ドームでカウントダウンコンサートが開催された(1996年はV6によるカウントダウンコンサートでこちらにもチャリティは銘打たれていた)。そしてこれが現在のジャニーズカウントダウンコンサートの原形となり、1998年からはフジテレビ系列で放映が開始された。その結果、2015年までSMAPは(2013年に香取慎吾が番組宣伝で出演したのを除いて)一切、カウントダウンコンサートには出演していない。
しかし、しかしである。
SMAP側から見れば、確かにその時間帯SMAPは紅白歌合戦に出演している。しかしTOKIOも同じように出演した上でカウントダウンコンサートに出演している。
さらに1998年にこのカウントダウンコンサートが放映される以前の1995年から1997年の3年間、フジテレビ系列で年越し番組を担当していたのはSMAPだ。1997年のカウントダウン番組では紅白出演後、司会の中居正広以外のメンバーはすでにフジテレビに到着しており、中居正広のみバイクでギリギリ到着し、出演という形だった。
あくまでこれは憶測だ。憶測だが、事務所をあげてのチャリティにSMAPは出演できなかった。
確かに関西出身者はいない。だがこの関西出身者がいないというのは、SMAPを疎外するための言い訳に使われたようにしか思えなかったのだ。だってチャリティだ。チャリティになぜ参加させてもらえないのか、なにが問題なのか。
しかしこれは今にして思えばの憶測だ。当時はどうしてJ-FRIENDSに参加させてもらえないの? なんで仲間はずれなの? 紅白があるからじゃない? でも去年まではカウントダウンしてたよね? という程度だった。この頃からすでに派閥はあったのかもしれない。
一方で中居正広は音楽番組を持っていた。1996年から2010年まで続いた「うたばん」に後輩たちが出演するのは楽しみでもあった。2011年の東日本大震災支援プロジェクトでは「Marching J」として他の事務所のメンバーとの共演を見せた。
しかし「うたばん」後、2011年放映開始の「カミスン!」では嵐との出演はなかった。理由としては裏番組に嵐の櫻井翔がニュースキャスターとして出演している「NEWS23」があったからとも言われるが、とにかくこの時期から「ミュージックステーション」など一部の音楽番組を除いて共演がなくなった。同様に中居正広が司会をする大型歌番組に嵐の姿はなく、櫻井翔が司会をする大型歌番組にSMAPの姿がなくなった。しかし、共演の際には仲睦まじげな様子を見せていたこともまた事実だ。
その上で2011年のKis-My-Ft2デビュー後、彼らがSMAPの番組に多数出演し、SMAP班とされた。音楽番組の出演に関しても彼らはSMAPに準じており、派閥問題と言われるものが若いファンたちの目にも触れ、話題になることが増えた。同時にそれが今回の騒動を大きくし、逆に派閥間の対立を強めてしまったようにも思う。
とはいえ、本来派閥とは単純に事務所内の担当制度だったのではないか。通常の会社の事業部制といったところか。それがいつどこで道を誤ったのか。
ジャニーズ事務所はジャニー喜多川が社長を務めるが、その実権は姉であるメリー喜多川が握っていると言われている。プロデューサーである弟と、その経理を担当する姉だ。そのメリー喜多川は今年89歳、そしてジャニー喜多川は84歳だ。年齢を考えればそれぞれの健康問題については噂するまでもない。後継者問題の表面化がその派閥問題となったというのは火をみるより明らかだ。そして、ただのお家騒動が巨大芸能事務所だっただけの話で、所属タレントたちが巻き込まれた。
昨年の週刊文春に掲載されたメリー喜多川の記事は途中でSMAPの女性マネージャー(今回の報道で名前が出ていないが飯島三智)を呼び出し叱責するという、会社内のトラブルを雑誌記事にするというにわかには信じがたいものだった。その中でメリー喜多川はSMAPを「踊れない子たち」と称している。
SMAPが「踊れない子たち」なのかどうか、その真偽はここでは問わない。しかし、光GENJIなき後に事務所を支えたのは誰なのか、SMAPは事務所――いやアイドルという枠組みにとらわれず、後輩たちにバラエティという道を開いた。それはとりもなおさず、SMAPの、そして飯島三智の功績ではないのか。
昨日(1/14)の毎日新聞の記事によると、SMAPの市場規模は200億円ともいう。(http://mainichi.jp/articles/20160114/k00/00m/040/118000c)その中でいったいこの騒動をどう収束させるつもりなのか。今回の事件は、後輩グループにも影響を及ぼすことだろう。
ここから個人の話をしよう。先日も帝国劇場でジャニー喜多川氏を見かけた。同じように昨年飯島管轄と言われる後輩グループの舞台で飯島三智氏を見かけた。
私にとって、そして古くからのSMAPファンにとって飯島三智はミッチー、あるいはミチ姉だ。SMAPメンバーがなにかしでかしたときに叱ってくれる、そして泣いてくれる、なんならデビュー直後に綻びたトレーナー衣装をつくろってくれた事務員あがりのマネージャーだ。
憶測ばかりの報道の中、飯島さんは今回脱退の4人に事務所に戻れと言い、それに4人が反発したという記事もあった。それは少年時代から苦楽をともにした彼らが大人になったということなのだろう。もうひとつ、木村拓哉が裏切ったという話もあった。けれど、そんなの仕方ないのだ。センセーショナルにマスコミは妻の存在をかき立てるが、そうではない。彼にのみ家族がある。こどもたちがいる。彼にはSMAPの他に守らねばならないものがある。それはもう仕方のないことというより当たり前のことだ。そしてそれはSMAPにとってアキレス腱だ。それは今までもこれからもずっとそうだ。
これからどうなるのかまだわからない。今までもSMAPにはたくさんのトラブルがあった。あのときと同じように私たちは待つことしかできない。彼らが選んだ道があの頃の未来だというなら、待つしかないのだ。
文=トモコ
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トモコ:ジャニオタ
「ユリイカ 2015年4月臨時増刊号 総特集◎2・5次元 -2次元から立ちあがる新たなエンターテインメント」に「ジャニーズという2.5次元」執筆
16.01.16更新 |
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