本日も自虐ネタ。
何だろう、自分の事晒すエントリ書かないとアクセスが伸びないというか、元々それしか期待されてないような気がする。
消耗するんだよね、自虐は。
ネタが全くないときは仕方ないけど、本当はあまり書きたくないというのが本音である。
でも、前にこう書いたから責任取らなきゃ。
自分が漫画家を志した理由で、最も決定的だったのは、週刊プレイボーイの読者サービスで、職業適性診断テストみたいな物をやっていて、それで「漫画家」が最適となったからだ。
質問に答えて集英社に送ると、適職とアドバイスが返ってきて、ほぼ天職であり、庶民的な作家になるだろうという答えだった。
なかなかお笑いでしょ。
ヌードグラビアなんかが載ってる、ずりネタ雑誌の人生相談、真に受けちゃうみたいな、馬鹿だったわけで。
時期は高1だったか高2だったか、はっきり覚えてないけど、「天職」みたいな書き方だったから、舞い上がっちゃって。
今の若い子はネットがあるから、物事の裏表とか、全部分かってるんだろうけど、当時は情報といえば、本・雑誌・ラジオ*1くらいだったから、思い込みの激しい人間は、どうしても判断が偏ってしまうものだった。
それが決定的だったわけだけど、それ以前に理由があって、進学校だったが、1年で既に落ちこぼれで、現国・生物・美術以外は、ほぼ全滅だったのも理由のひとつだった。
進学校というものは、優秀な者は、大体、進研ゼミやZ会、公文なんかで、既に中3で高1の内容終えていて、そういう情報にも疎かった自分なんかは、当落ぎりぎりで入学出来たに過ぎず、ついていけないのも当然だった。
そういう情報も、結局後で知る事になるのだけれど。
でも、美術系に行くにしても、グラフィック・デザイナーや教師など、堅実な道は幾らでもあるわけで、そっちに行かなかったのは、やはり当時漫画にハマっていたからという話になる。
中3でペンを初めて持ち、高1で雑誌投稿も体験していた。
だが自分の漫画体験は、普通より遅く、雑誌や単行本を読むようになったのは中2以降である。 それ以前は、親が教育上良くないものとして、禁じられていたからだ。
ところが、やや歳の離れた妹には親は甘く、「りぼん」や「なかよし」を買い与えていたので、なし崩し的に自分が漫画を買っても文句を言わなくなった。
当時は「ベルサイユのばら」がはやり、NHKの文化番組で度々「池田理代子」や「里中満智子」が登場した為、お堅い両親も漫画の文化的価値を認めるに至ったらしい。
とにかく、漫画をまともに読み始めたのは中2以降だ。
これでは、中2病ではないかw
人並み以上にハマったのはそこに原因がある気がしてならない。
異常といえば、男なのに最初が少女漫画というのも、普通ではなかった。最初にハマったのが「りぼん」の作家だった「弓月光」だ。彼が男性作家だと知って、少女漫画を読む事に全く抵抗がなくなった。
また社会的にも、「花の24年組」と呼ばれる少女漫画家が大活躍した時期であり、男子中高生が少女漫画を読んでいても、不思議と思われることはなかった。
「弓月光」の次にハマったのは「里中満智子」だ。彼女はNHKの文化番組に度々顔を出していたおかげで、親の受けがよく高校受験前だというのに、とがめられる事はなく蔵書が増えた。NHK様様である。
高校に入ると間もなく、校庭裏のすぐ近所に、漫画と絵本ばかりのマニアックな本屋が開店した。放課後は、そこと、中学時代から通っていた書店が、やはり学校の近所にあって入り浸りになる。
当時は今のように単行本にビニールが被っている事はなく、読み放題だった。
こうして、頭の中は漫画だけに染まっていった。
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*1:新聞・テレビは当時も眉唾という意識はあった