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Jan 13, 2016
ゲームキューブ。取っ手。

ゲームキューブというゲーム機には背面に取っ手がついていた。
https://www.nintendo.co.jp/ngc/color/index.html

私はこのゲームキューブというハードと、このハードで遊べるゲームたちと、あの取っ手が大好きだった。

ゲームキューブ発表・発売前後の記事たち。
http://ascii.jp/elem/000/000/326/326085/
http://game.watch.impress.co.jp/docs/20010929/mako04.htm
http://www.famitsu.com/game/extra/special/2000/nintendo/naga_hari1.html

岩田任天堂信者として教祖のお言葉は全て真実として捉え、懸命に解釈しなければならない。
ゲームキューブが頻繁に持ち運びをするシーンを想定しているとすれば、つまりふさわしい場所に気軽に移動させて欲しいということなのだろう。
リビングから自室に、自室から友達の家に。生活の邪魔にならないように居場所を変える。
これはリビングに居場所を作ろうとしたwiiとは異なるアプローチで家庭と関わろうとしたのだと解釈することも可能かもしれない。
物理的サイズが小さくなり、サブモニターを搭載することでテレビ画面をあまり占有しないようにしたwiiUの前身として捉えることは可能かどうか。

実はケーブルの保護目的だという話もある。
https://twitter.com/sarasiru/status/686868712368914433

半強制的に背面にスペースを作るためにあるということだろうか。
これが事実だとして、そういう役割も持っている、という話だろう。


まあ、既に最後にソフトが発売されて10年近くが経過するハードについて、その意図を深読みするのにはあんまり興味が無い。
大事なのは、ゲームキューブの取っ手は持ち心地がサイコーだということだ。

あの取っ手を本来の用途でしっかりと使ったことのある人はあまりいないのではないかと思う。
ゲームキューブ発売当時は高校生だった。高校生ともなると一旦ゲームから離れてしまう人も多く、またゲームキューブはハード戦争に敗北していたので、周囲にはあまりゲームキューブを持っている友達はいなかった。
そのため、友達の家にゲームキューブを持っていくというケースが割とあった。その時に活躍するのがあの取っ手である。

率直に言って、ゲームキューブの運び心地はサイコーだった。
紫の立方体の適度な重み。楽しさそのものを片手に持って歩く幸福感。(結局ケーブル類やコントローラーも持たないといけないのでカバンは必須だったのだが)
それにゲームキューブはとても頑丈だった。あの頑丈さがサイコーの持ち運び心地の下地となっていたのは疑いようもない。


先日、最近のゲーム機にはリセットボタンが無い、という話が少し話題になった。
http://mubou.seesaa.net/article/432460939.html

記事中で、ファミコン以降のゲーム機についてリセットボタンの有無リストがある。
リストを拝借して取っ手の有無リストを作ってみよう。

ファミリーコンピュータ(1983年):取っ手なし
セガ・マークⅢ(1985年):取っ手なし
セガ・マスターシステム(1987年):取っ手なし
PCエンジン(1987年):取っ手なし
メガドライブ(1988年):取っ手なし
スーパーファミコン(1990年):取っ手なし
セガサターン(1994年):取っ手なし
プレイステーション(1994年):取っ手なし
ニンテンドー64(1996年):取っ手なし
ドリームキャスト(1998年):取っ手なし
プレイステーション2(2000年):取っ手なし
ゲームキューブ(2001年):取っ手あり!!!! スゴイ!!!!!!
Xbox(2002年):取っ手なし
XBOX360(2005年):取っ手なし
Wii(2006年):取っ手なし
プレイステーション3(2006年):取っ手なし
WiiU(2012年):取っ手なし
プレイステーション4(2014年):取っ手なし

こうしてリストにしてみることでゲームキューブの圧倒的な素晴らしさが一目瞭然になった。
なにしろ古今東西あらゆる据え置きゲーム機は、10年以上前のゲームキューブに持ち運び心地という点で並ぶことすら出来ていないのだ。
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