イメージダウンは避けられないとか言ってる人たち
会見を見て、こんなんじゃ謝ったうちには入らないと憤った方々も多いようだが、そもそもなぜベッキーはカメラの前でお茶の間に向けて謝らなければならないのだろう。「既婚者と特別な関係になっていたので皆さんに謝ります」「いや、そんなんじゃ足りません」って、冷静に考えるととっても奇妙なコミュニケーションだ。でも、ベッキーは清純なイメージで仕事を得てきたわけだから、という声が聞こえる。事実、今回のスクープを飛ばした『週刊文春』の記事は、冒頭7行目から「ベッキーといえば、今の芸能界では天然記念物と言っていいほどの〝スキャンダル処女〟。浮いた話は全く聞こえてこなかった」と、彼女のイメージを確定した上で詳細説明に移っている。
彼女は会見で嘘をついたが、一方の『週刊文春』には誤りがある。「浮いた話は全く聞こえてこなかった」とあるが、彼女は自伝的著書『ゆめの音色』(エムオン・エンタテインメント)で、中学生で芸能界に入った後の「浮いた話」をわざわざ自分から激白している。高校時代、好きな人ができると「“この人に言えば本人に伝わるな”って、ちょっと作戦的になったかもしれない(笑)。で、期待したとおりに伝わって、相手も気にかけてくれてて、あちらのほうから告白してくれた」とあるし、デートも「しました」と答えている。芸能活動的に問題はなかったのかとの設問に「事務所には特に何も言われてなかった」し、「べつに私が恋愛したところで、誰も悲しまないだろうと思ってた」と答えている。「スキャンダル処女」のベッキーが禁断の恋だなんてイメージダウンは避けられない、との論調が重なるが、高校時代から、男子に好きになってもらえるように戦略的に仕向けて成功していた女子って、どっちかというとスキャンダラスな存在に位置づけられていたのではないか。
「SMAPにも楽曲提供をしている実力派」
スクープ記事内で「ゲスの極み乙女。」を紹介するにあたり、「レコード会社社員」のコメントとして「SMAPにも楽曲提供をしている実力派」とあるのを見つけて、その価値尺度に(音楽業界ではなく)レコード会社の前途を危ぶむ。しかし、確かにプレスリリースの類いには未だに誰それに楽曲提供という、主活動とは関係ない情報がビックリマーク付きで記されていたりする。不倫発覚の決定打となったのが、「川谷の将来を憂うある音楽関係者」が提供したLINEのやり取りだったが、その音楽関係者とやらは「ゲスの極み乙女。」というバンドを知らせる紹介文が、彼らの活動においては確実にエトセトラの部分である「SMAPにも楽曲提供をしている実力派」であったことこそ憂うべきだろう。
「ゲスの極み乙女。」というバンド名、「私以外私じゃないの」「ロマンスがありあまる」という楽曲名、そして『両成敗』という最新アルバムのタイトル。これらの要素を、今回の不倫とひっかけて「うまいこと言う合戦」が行なわれ、茶化す行為がどこまでも続いた。しかし、どんなにうまいことを言ったとしても、マイナンバー制度のPRに「私以外私じゃないの、だからマイナンバー」と口ずさんだ甘利経済再生担当相に対して、壮大な後出しじゃんけんで「情報は漏洩する」という事実を伝えた川谷絵音本人にはかなわない。
清水克行『喧嘩両成敗の誕生』を読む
彼らの新譜が『両成敗』であることについて、「今回の騒動も新譜の宣伝かよwww」という平凡な突っ込みが溢れたが、ここはひとつ、野次る前に、両成敗の意味をじっくり考えておきたい。辞書には「当事者となった両者をともに罰すること」(大辞林)とあるから、自らつけておいたタイトルが示唆的になっちゃったよ、との突っ込みが導かれるものの、日本史における喧嘩両成敗を探究した清水克行『喧嘩両成敗の誕生』(講談社選書メチエ)まで通読すると、そう簡単に野次には使えなくなる。
喧嘩両成敗という乱暴な法規が明確な形で歴史に現れるのは大永6年(1526年)、戦国大名・今川氏親が制定した分国法だという。そこには「喧嘩におよぶ輩(ともがら)、理非を論ぜず、両方共に死罪に行ふべきなり」とある。勝手に現代文に訳してしまうと「喧嘩したヤツらは、どっちが正しいとか正しくないとか言ってねぇで、両方死ねよ」となる。なかなかゲスの極みである。しかし、著者の分析によれば、復讐行為が「個人や集団の正当な権利とすら考えられた」この時代においては、「一方を『非』として、他方を『理』とし、なおかつ双方に禍根を残さない、というのは至難の業だった」のだという。つまり、「積極的に『理非を問わない』わけではなく(中略)『理非を問えない』という」理由で、最も家臣や民衆からの支持を集めやすい喧嘩両成敗が採用されていたのではないかと指摘する。
彼の言葉を面白がっているだけでは墓穴を掘る可能性
両成敗が、罰して終わりにする意図だけを持って存在していたわけでもない、という指摘には驚いた。こう指摘されている。「『やられた分だけやり返す』という中世の人々の衡平感覚や相殺主義は、現代人にはどうにも野蛮で幼稚な発想のように思えてしまうが、反面で『やられた分』以上の『やり返し』を厳に戒める効果も明らかにもっていた」。なるほどそうか。「両成敗=双方が倒れてしまうイメージ」を持つ人が大半だろうが、そのルーツを辿ると、喧嘩両成敗って「均衡状態を強制的につくり出す効果をもっていた」のだ。
アルバム『両成敗』の冒頭を飾る曲「両成敗でいいじゃない」で川谷は、「両成敗が止まらない もう止まらない」と連呼する。“両成敗”報道が止まらないが、両成敗のルーツに照らしてみると、止まらない両成敗が作り出すのは、均衡状態ということになる。マスコミは叩きのめしている快感に酔いしれているが、実は均衡状態を作り、「『やられた分』以上の『やり返し』を厳に戒め」ていたのだ。トリッキーな言葉遣いをするミュージシャンにツバをつけて痛い目にあってしまった甘利大臣同様、彼の言葉を面白がっているだけでは墓穴を掘る可能性がある。こうなると、我々には川谷の言葉で大喜利しない勇気が必要かもしれない。さすが、レコード会社社員に「SMAPにも楽曲提供をしている実力派」と言わせただけのことはある。
(イラスト:ハセガワシオリ)
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