皆、金銭的なものや性差などに対しては平等を求めるのに、どうして容姿には平等を求めないのか。
ネットで揉めるジェンダー論バトルというのは容姿が皆平等だったら、救いがあるものが多い。
しかし、そのようなことを言ってしまうとお前の顔はどうなんだよ!!とかいう話になる。
暗黙の了解なのか、みんな容姿の話をしないが容姿の闇を抱えている。
皆の容姿が平等ならジェンダー論の不毛なバトルなんかみんなしない筈だ。
服を買ったり、食事を楽しんだり、セックスしたり。
議論好きは、経済的な話や病気の話などをもっと論理的に数字に基づいて平等に優しく救いがあるように出来るはずだ。
同性愛などの問題も容姿が平等になれば、こじれている部分も案外解決してしまうと信じている。
しかし、そうではないから、皆で和太鼓叩きながら「ソレソレソレソレソレ」と和太鼓を叩いて結局みんな悲しくなって終わるのだ。
自分はどうしようもない議論を見るとリナウドに登場する「私を泣かせてください」がいつも頭の中に流れる。
容姿の問題に素直になれないのは、容姿が金以上にアンフェアなものであるのと、建前と本音の差がありすぎるからだろう。
金は分配できるが容姿は出来ない。
皆、強制的な経済格差の是正は求めるが、容姿の平等を実現するために、強制的に容姿が醜い人間と結婚させられるなどの措置を行うのは嫌がる。
どんなに立派なことを言っている人間も容姿が悪い人間には精神論で解決させようとする。
自分は親が比較的金持ちだが、容姿が酷く悪い。自分が容姿で苦労してきて、今も苦労している自信がある。