2016年1月9日00時39分
官庁エコノミストとして終戦直後から経済政策の立案にかかわり、経済企画庁(現内閣府)長官や大和総研理事長などを務めた宮崎勇(みやざき・いさむ)さんが3日、心不全で死去した。92歳だった。葬儀は近親者で営んだ。喪主はおい洋(ひろし)さん。
47年に経済安定本部(のちの経済企画庁)に入った。池田内閣の「国民所得倍増計画」など歴代政権の経済政策にかかわり、79~81年に事務次官を務めた。82年に大和証券経済研究所(現大和総研)の初代理事長に就き、輸出主導から内需主導型経済への転換を求めた「前川リポート」の策定に携わった。95~96年に村山内閣で経企庁長官を務めた。
経済成長や市場原理を重んじつつ、高度成長期の公害などのひずみや、バブル期の景気の過熱などに警鐘を鳴らした。著書に「軍縮の経済学」などがあり、平和問題への関心も強かった。
経企庁の後輩で、共著もある法政大の小峰隆夫教授は「リベラルな考え方を持ち、国民生活や福祉への目配りがあった。穏やかで人間味のある人だった」と惜しんだ。
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