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プロ野球選手には…中日・小笠原2軍監督「練習をやり尽くすしかない」

プロ野球選手には…中日・小笠原2軍監督「練習をやり尽くすしかない」

秋季キャンプで特別臨時コーチの土井氏(右)と談笑する中日2軍監督・小笠原=中日ドラゴンズ屋内練習場(撮影・森本幸一)

秋季キャンプで特別臨時コーチの土井氏(右)と談笑する中日2軍監督・小笠原=中日ドラゴンズ屋内練習場(撮影・森本幸一)【拡大】

「高校通算30本」という後押し 〈千葉市出身。野球一家に生まれて、小学2年から野球を始めた〉

 プロ野球選手への憧れというより、3歳上の兄が地元のリトルリーグで野球をしていて、野球好きの父がコーチのような存在でした。当時はグラウンドをうろちょろしていただけですが、わが家では野球が家族のコミュニケーションでした。

 当時から硬式球を使っていたので、体に当たると、とにかく痛くて…。「楽しかった」という思い出はあまりないです。でも、うまくできることがあると、「できないことができた」というか、一瞬の喜びを子供ながらにも感じる。もう一回やりたいと思って繰り返す。当時はプロ野球選手になれるとは思っていませんし、ぼんやりとした夢のようでした。

 〈甲子園を目指して暁星国際高(千葉)に進学。しかし、春夏とも願いはかなわず、県大会でも本塁打はゼロだった〉

 高校の五島卓道監督が、私が在籍した千葉西リトルシニアの1つ下の選手を見に来たんです。自分が目当てではなかったようですけど、「スポーツ推薦」の話をいただきました。中学時代からショートを手始めに、サードからセカンドに回り、キャッチャーもやりました。ライバルが多く、守備位置が次々と変わっていきました。当時は体つきもガリガリで、力がなく「フェン直」(フェンス直撃)が精いっぱいでした。

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