Centering upon Fushidansekkyo
補足説明

節談説教と芸能

高座は真剣勝負だと言う説教師は、説教者魂とも言うべきプライドと強い信念を持って、一語一句を大切にした。その一語一句が「救済」の役割を演ずるからである。決して変わることのない宗教的真理の核心を確りと掴みながら、民衆のために語る。それは、説教師の個性、さらにそこから発する話法の相違によっても、種々様々な表現を取り得る。しかし、どのような表現が民衆の心に最もぴったりといくのであろうか。それぞれの時代に即することは勿論、人々が望む条件の全てを満たすべく、説教師達は様々な創意工夫を試み続けた。そして、苦悩に満ちた人間社会の底辺に生きる庶民のエネルギーの発露となる、多くの枝葉を生じさせるに至ったのである。

中世の浄土教興隆後、説教の芸能化の流れの中から、説教の変形とみられる芸能と説教師の変形である芸能者(あるいは音芸者)とが生まれてきた。前者には平曲、修羅物語、説教浄瑠璃(説教節)等があり、後者は琵琶法師、絵解き法師、物語僧、熊野比丘尼等である。民衆は大いに喜んでこれらを迎え、大道芸や民間演芸として盛んな流行をみせてゆく。説教浄瑠璃その他の仏教に発した芸能と寺院、法席で行われる説教とは、紙一重のものが実に多い。しかし、高座では、節談説教が主導権を握り、絶大なる人気を博していた。つまり、日本人に最も適した話し方をあらゆる角度から研究し、その方法を樹立してきた説教が、日本の話芸の伝統において厳然たる主流であったのである。

日本の大衆芸能と言われるものの中で、殊に浄瑠璃、講談、落語、浪曲は、その発生や発達史において、節談説教と極めて強い絆で結ばれている。説教に端を発した浄瑠璃の流行や説教の改作とも言える親鸞に関する浄瑠璃の上演と多数の浄瑠璃本の刊行(『しんらんき』六段 [1624 ~ 1644] )は、それを窺い知るためのほんの一事である。

節談説教から派生して遂に特異な芸態を確立した民間芸能が、平曲、説教浄瑠璃(説教節)であるように、浄瑠璃、浪花節から現代の演歌に至る日本人の節の素が、節談説教の中にあるのである。節談説教系の流れが、一つのはっきりとした色分けとして、浪花節の中に残っていると言えるだけではなく、節談説教の節まわしと全く同一の箇所が、浄瑠璃、浪曲において随所にみられる 。遡ればそれは声明、読経の名調子(節)となり、また、浪曲師木村松太郎氏が、「浪花節は、あくまで自分がお客様からお金をいただいて、お客に聞いてもらう、生きた演芸として成長発達して来ましたものですから、[中略]あっちもこっちもととりっこしたり、いつのまにかうまく結び合ったりしながら生きております」と述べているように、仏教に発した芸能を考える上で、節談説教だけをその源として事足りるのではない。しかし、「声明、お経の節を説教に加味し、地の部分がいつしか節になり、節の部分がいつしか地になって、見事なフィーリングを効かせながら聴衆の感情に強く訴えていく節談説教の手法」こそが、浄瑠璃、浪曲といった日本の音曲語りに極めて大きな影響を与えたのである。そして、幾多の説教師達の創意工夫と長い歴史の中で培われたその節まわしには、日本人の心に訴える言い知れぬ力が秘められているのである。昭和四十二年に没した浪花節の吉田大和丞(奈良丸)氏は、生前によく、「儂らの先祖は澄憲さん [安居院流] や」と語っていたという。

講談、落語は、近世に入り急激な発展をみせ、寄席芸能として繁栄したが、節談説教の方法から生まれた、あるいは、説教師がそれらの芸と形を創したと言える民間芸能である。寄席で上演するに当たり、高座に端坐し、講釈師は張り扇を、噺家は扇子を用いながら、様々な所作と身振り手振りで話して聴かせる形は、説教師が高座で中啓を用いて話した説教形式を踏襲するものである。前座修業の方法も、説教師の随行制度による修業と同じものである。また、講談の祖とされる赤松法印の先祖に、明秀光雲(1403 - 1487)という浄土教の優れた説教者があり、落語の祖とされる安楽庵策伝が浄土宗の僧であり、安居院の聖覚に発する「説教念仏義」系の説教師であったことも、大変に興味深い。

講釈師田辺南洲氏は、「講談で一番大事なことは、語るとはいわず読む、と申します。語るというと、意味が違ってまいりまして、『語ってはいけない、読め』といわれます。つまり、本を前におきまして、文章を皆さんに、聞いてもらったわけです。読んで、解説をして、正に講釈をしたわけです。そういう伝統を引いていますから、決して語るとは言いません。読みます」と述べている。このことからみれば、講談は、主として純粋な経典講釈の流れの中から生まれたように思われる。しかしながら、「六道説教」、「六趣説教」と古くから呼ばれたものの中で、修羅場説教、すなわち、「逼り弁」と称して節談説教者の得意とする表現法の一つであったこの激しい口調の説教が、講談最大の売り物「修羅場読み」として、今日も講談に残っているのである。太平記読みから講談への話芸として洗練されゆく過程において、節談説教が強い影響を与えたであろうことは、容易に考えられる。また、『親鸞聖人御一代記』等、説教と同じ話材を扱った講談があることや僧侶(説教師)から講釈師へ還俗して名を馳せた者達の存在は、説教と講談の係わりを考える上で無視出来ないことである。延いては説教と話芸の密接な繋がりとなるが、この傾向は現代にも続き、講釈師悟道軒円玉氏は、真宗大谷派の説教者祖父江省念師に師事して、節談説教を学び自己の講談に導入し、法然と親鸞の伝記を講演していたという。

安楽庵策伝(1554 - 1642)は「落とし噺」を説教の高座で実演し、その数々の話材を集録した『醒睡笑』八巻を後世に残した。この本に収められた咄は、策伝の説教師としての生活から生まれたものであり、あくまでも説教の話材であるが、当時の庶民層の生活意識を反映し、笑話で充満している。この『醒睡笑』から取材した咄は、「平林」、「無筆の犬」、「てれすこ」を代表として、現代落語にも数多く継承されており、説教から落語への系譜の一端を確認することが出来るであろう。また、今日に残る古典落語の中から「仏教」を取り除けば、あとは寥々たるものとなるように、明らかに説教に取材したもの、あるいは、説教そのものが落語になったと思われるものの枚挙にいとまがない。特に上方落語には浄土教系のものが目立っている。「人情噺」は節談説教で行われてきた感動的な話法から生まれた「長ばなし」であり、「怪談噺」は譬喩因縁談の変形と言えるものである。節談説教は、日本の話芸の成立に極めて強い影響を与えたのであるが、殊に落語に及ぼしたその影響には著しいものがあったと言えよう。

節談説教は、その長い歴史と伝統の中で幾多の説教師達が、厳しい修業と共に、その一語一句を繰り返し繰り返して練り上げてきたものである。そこに優れた話芸が生み出された要因がある。しかしながら、如何に話術としてすばらしくとも、民衆の心がついてこなければ、軈て消え去るものとなる。中世から近世を経て明治・大正・昭和初期に至る迄、節談説教が日本の話芸の主流を占めてきたということは、説教師達が、民衆のために語るという姿勢を守り続け、その鋭敏な感覚を以て、それぞれの時代における庶民の感性と情操、そして、生活意識に直結した説教を展開してきたからである。説教師の卓絶した話術も然る事ながら、ここに、説教者と聴衆が自ずから一体となってゆく一つの素因がある。節談説教は完全に民衆のものであった。また、説教師達は、庶民の娯楽的要求にも最大限応えるべく努めてきた。しかし、それは全くの大衆への迎合ではなく、厳然たる伝統の上に立ち、揺るぎない説教者魂を固持し、決して説教の本質を崩しはしなかったのである。これらの事項は、先に述べた日本の大衆芸能にとっても、第一義的な課題であろう。

註記:藝能から更に芸術となっていったものもあるが、芸術となってしまうと、藝能とは言えない。藝能は我々の「生活」に即しているが、芸術は我々の実際の「生活」から遊離しているからである。

(修士論文「交感の宗教性 - 節談説教について」の註記の註番号(35)の記述から。修論本文ないし修論の註記において、出典については全て明記してあるので、それを参照されたし。)  About Me

「昭和八九年頃に、学者方が、節をつけて説教をやるっちゅうことは、どうもその、エー尊い教えを芸人紛いのような話をする、けしからん、こういうことを言いでぇた」と、節談説教音声映像資料の A2-1 ファイルにおいて、祖父江省念師は、「節のついた説教」に対する宗学の学者達の否定的な見解について、言及している。

節談説教をめぐって 記述資料だけではなく、音声映像として記録した資料もご覧になれます。

Go To 節談説教音声映像資料 日本語のメインページ

Audio Video Material A2-1, A2-2, A2-3, A1, A3-3, S1, S2 and S3 :
祖父江省念師

A2-1: 節(抑揚)について (.mov, .rm, .aif, .mp3)
A2-2: 八歳でした初めてのお説教について (.mov, .rm, .aif, .mp3)
A2-3: 「儂から佛様をとってまったら何も残らん」 (.mov, .rm, .aif, .mp3)
A1: 人々を導く「説教師」になると、はっきりと決意された時のお気持ち (.mov, .rm, .aif, .mp3)
A3-3: 美声、話術、そして、節まわしについて (.mov, .rm, .aif, .mp3)
S1: 節談説教『親鸞聖人伝』から - 雪の中の石枕 (.mov, .rm, .aif, .mp3)
S2: 節談説教『親鸞聖人伝』から - 我が子善鸞に面会許さず (.mov, .rm, .aif, .mp3)
S3: 節談説教『親鸞聖人伝』から - 山伏弁圓 変わりはてたる我が心かな (.mov, .rm, .aif, .mp3)
U: 補足音声資料 U「受け念仏」の例 - 「受け念仏」の例として、30秒弱の非常に短い音声資料 (.aif, .mp3)

比較ではなく対比として、以下のことをつけ加えて述べる。
一方、ゴスペル伝道においては、「ゴスペル・ソングは、曲のついた説教だ。そこには、感情と教え、そして、表現の美と輝きがなくてはならない」(1)とする East Trigg Baptist Church の牧師であったW・ハーバート・ブルースター神学博士(1897ー1973)をはじめとし、「曲のついた説教」に対する神学の学者達の肯定的な見解がみられる。

(1) アンソニー・ヘイルバット/中河伸俊・三木草子・山田裕康 共訳 『ゴスペル・サウンド』、株式会社ブルースインターアクションズ、1993年。Heilbut, Anthony, The Gospel Sound : Good News and Bad Times (New York:Limelight Edition, 1992).
しかし、それよりも以前の post-Emancipation black America の文化的熟成前には、輪になって歌い踊ることおよび拍手と足踏みを嫌悪し、それらを「トウモロコシ畑の小歌」である、「ブッシュ・ミーティング」である(a)とする The African Methodist Episcopal Church のダニエル・アレクサンダー・ペイネ主教(1811-1893)のあらゆる非ヨーロッパ(非ユーロ・アメリカン)的礼拝要素に対する、言い換えれば、あらゆる民俗的要素に対する、強い否定的な見解がみられる。
(a) Harris, Michael W., The Rise of Gospel Blues (New York : Oxford University Press, 1992).

www.hdever.com 上の資料の多くは、節談説教の「節」とゴスペル伝道の「調」という説教における音と音楽性を強調するものです。しかしながら、私は、単に、節のついた説教がよい、曲のついた説教がよいと言いたいのではありません。頭で聞くのではなく心で聞くことができる説教、つまり、教えとことばを「感じる」ということ、教えとことばの「体験」が重要なのではないかということを、問いたいのです。

www.hdever.com's Home Go To Site Map in English Go To Site Map in Japanese 上がる

Other Pages on www.hdever.com: お知らせ | News in English | Rennyo Viewed in Fushidansekkyo, The Art of Kokan in English | 拙稿 節談説教に見る蓮如, 交感の芸能性 | A very small Library | Fushidansekkyo Written Material 節談説教記述資料 | Fushidansekkyo Audio Video Material in English | 節談説教音声映像資料 | 修士論文 交感の宗教性 - 節談説教について | The Religion of Kokan: On Fushidansekkyo in English | 修論の註と参考文献リスト | Notes and Bibliography in English | A Break Room with Jazz Music | A Break Room with Photos and Haiku | Good Websites to Visit | Good Weblogs to Read | Glossary of Frequent Japanese Words and Names in English


Valid HTML 4.01! Valid CSS!

www.hdever.com

Copyright © 2005 Hitomi Dever, All Rights Reserved.