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good room,good life

北海道在住主婦の、子育て・料理・インテリア・ハンドメイド・ファッション・旅行・野菜ソムリエ活動などなど。日々のいろいろ。です。

オーガニック系勉強会に参加したら、人類が消滅するかもと思った話。

先日、オーガニック系の食品や日用品を取り扱うメーカーの勉強会に参加しました。

合成洗剤の怖さや、遺伝子組換え食品のもたらす影響について教えてもらい、「なるほど~」と勉強になることがたくさん。

メモしまくって帰ってきました。

 

参加して大満足なのですが、少しひっかかった点が。

そこの参加者は口をそろえて

「○○(メーカー名)の商品は最高です!」

「○○の商品は何を買ってもハズレがありません!」

「以前は△△(他メーカー)を使っていましたが今はきっぱり決別し、もう○○一筋です!」

 

と言うのです。

 

私はそこの商品を使ってみて、確かに安心安全だけど、使い勝手が悪かったりするものもあるし、味も「無添加の割には良い」レベルで、もろ手を挙げて全肯定する気にはなれないというのが正直な感想です。

 

これと似た光景をどこかで見たことがありました。

次男くんの幼稚園です。

幼稚園の父兄の間でよく、

「●●(幼稚園名)は最高だよね!」

「●●に入れなかったら私も子どもの人生も変わっていたかもしれない!」

「●●ほど良い幼稚園はそう無いと思う!」

と耳にすることがあります。

 

我が家は転勤が多いので、次男くんの幼稚園は私にとって3園目です。

どの幼稚園も、良いところもあれば悪いところもあって、比較してみて絶対的に今の幼稚園が良いと思ったことはありません。

 

排他的な人たち

メーカーの勉強会でも幼稚園でも私が感じたヘンな気持ちの原因は、周囲の「信者感」によるものだとわかりました。

世の中に絶対は無いはずなのに、絶対と信じきっている。

信じているのは全くかまわないし、良いものをまわりに勧めてくれるのはありがたいことです。

でもそれをまわりに吹聴して暗に他を排除したり、暗に排他的になるならともかく悪口になることも。

 

「添加物の入っているソーセージを子どもにあげるって、勉強不足すぎるよね」

「こないだ入学説明会に行ったら、うちの幼稚園の子はちゃんと座ってお話が聞けてたけど、××幼稚園の子は全然座れてなかったよ」

などなど。

 

くぁーー! 

他の人がどうであろうとあなたに関係ないじゃないかー!

 

みんな同じなはず、という思い込み

世の中、自分と違うことだらけです。

世界に出てみたら自分の常識が通らないことばっかり。

でも同じような顔をして同じような年齢で、子どもも同じような顔と年齢だったら、どうしたって隣の奥さんも自分と同じ考えをしているに違いないと思うのでしょう。

そんな隣の奥さんが、自分とは違うとわかったとたん、攻撃…。

 

添加物いっぱいの安いソーセージだってごちそうの人がいるし、

子どもが座ってお話が聞けないことだって、子どもらしくてかわいいと思えている人がいるのです。

 

排他性は争いをうむ。排他性は本能?

同じような考え方をしている人と群れて他の人の悪口に花を咲かせている人の考え方は、(飛躍しますが)イスラム国やタリバン独裁国家のそれと本質的に変わらないんじゃないかと思います。

自分(たち)の考えこそが正しくて、他とは相容れない。

これが、戦争や殺人などあらゆる悲しい出来事の根源だと思います。

人間も動物なので、排他的になり群れているかぎり安全を感じるのかもしれませんが、その群れだって必ずしも安全ではないはずです。

 

世界史の教科書をめくると、どのページにも戦争の記述ばかり。

受験の時、私はいったいいくつの戦争名を暗記したのでしょうか。

人類の歴史が戦いの歴史であり、戦いによる人の死が、ある一定の人口抑制装置であると仮定した場合、

73億人にまで増えてしまった人類は、そろそろ周りを攻撃しなければいけないのかもしれません。

淘汰に次ぐ淘汰で、人類は滅びてしまうかも…。こわいよー。

 

さかなクンがこんなことを言っていました。


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「魚は、海にいるときはイジメは無いけれど、水槽に入れたとたんイジメが起きる。」

(詳しい内容はこちらいじめられている君へ:いじめ防止ネットワーク

さかなクンのすばらしいお話が載ってます。)

密度が上がると、密度を下げようとするのが本能ということでしょうか。

満員電車の居心地の悪さを想像すれば、何となく理解できる気がします。

 

他者との違いを受け入れたい

でもずんの飯尾が、アメトークの「波風立たせたくない芸人」でこんなようなことを言っていました。

「自分に嫌なことがあった時、そのときの自分を空高くから俯瞰してみる。

そうすると、嫌なことがちっぽけに見える。」

 

そう、俯瞰してみれば自分に起きていることはちっぽけ。隣の人が自分と違うことなんてちっぽけなことなのです。

世の中には隣の人を攻撃することよりももっと大事なことがあるのです。

そんな暇があったら、世の中で困っている人のために汗を流したらいいし、目の前の仕事に全力投球したらいいのです。

 

 

具体的にどう受け入れるか

とはいえ、私も自分の常識が通じなかったときにはムッとします。

その昔、アパートの上の階の住人の足音がうるさすぎて、静かにしてほしいと丁重にお願いしに行ったら逆ギレされたことがあり、さすがにカチンときました。

でも、他の人が自分と違う考えをしていて、「いやだな」と思いそうになってしまったらすかさず、以下のことをやるようにしています。

 

第一段階

いやだな、と思う直前で、ありのままの事実を受け止める。主観で判断しない。

合言葉は、目を丸くして「へー」または「ふーん」

 

第二段階

飯尾方式で俯瞰して、受け入れる。

合言葉は「そういう人もいるんだー」

 

第三段階

気持ちを切り替えて、目の前の子育てと家事に改めて心血をそそぐ。世の中のためになることに参加する。

それでも気持ちが切り替えられない時の自己暗示例:

「あの人、たぶんロシア人なんだろうな」

ロシア人でも何人でも良いのですが、とにかく文化が異なり常識が違うということを自分に強く意識させるためにこう暗示します。

 

将来のある子どもがいる親としては、人類を消滅させるわけにはいかないので、子どもたちにも口を酸っぱくして、「違いを受け入れる」ことを伝えていきたいと思ったのでした。