火薬と鋼

2015-12-09

金谷武洋『日本語に主語はいらない』の問題とリンク

金谷武洋『日本語に主語はいらない』(講談社、2002)が出版されてもうだいぶ経つが、いまだにこの本の問題点は知られていない。事実誤認や抜け落ちた視点、実証を伴わない主張などかなり危うい本なのだ。

先月、図書館総合展の同業者との会話でよりによって専門的知識が世間一般に伝わっていないという話題で同書を肯定的に紹介した人がいて驚いたことがあった。金谷武洋の本はむしろ言語に関する学術研究に基づかないのに一般に広まってしまった本であり、その同業者の批判対象と同じ括りに入るものだ。その場は時間の都合もあって私から過去のいくつかの批判を紹介するに留まった。

この手の話題は何度も遭遇する機会がありそうなので、金谷武洋本を批判した方々の過去の記事にリンクしておく。


『日本語に主語はいらない』については以前dlitさんが指摘しており、そのまとめもある。

金谷武洋『日本語に主語はいらない』批判記事一覧 - 思索の海

また同書の文法教育史の記述の問題についてはramensanstさんが指摘している。

『日本語に主語はいらない』の文法教育史的記述を批判する - ramensanstの屋台

『日本語に主語はいらない』の文法教育史的記述を批判する(2) - ramensanstの屋台

金谷氏のほかの本にも同様の問題があり、killhiguchiさんが『英語にも主語はなかった』批判の記事を書いている。

『英語にも主語はなかった』批判(その1)

『英語にも主語はなかった』批判(その2)「第3章英語を遡る」

『英語にも主語はなかった』批判(その3)「第2章 アメリカよ、どこへ行く」

ばらこ(rosechild)さんも『英語にも主語はなかった』批判の記事を書いている。

それはピジンでもクレオールでもない - ばらこの日記

クレオールで何が悪い(前回の補足) - ばらこの日記

俺以外みんなバカ批判『英語にも主語はなかった』読書感想文 - ばらこの日記

学術研究や教育史など多くの面でおかしな本だが、言語についてのある種の分かりやすさ、俗流文化論的な話題との親和性から、金谷氏の本は色々なところで言及される。今後も思いもよらないところで遭遇するかもしれない。


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