読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「すみません、ただのオンナに戻ります」。

「ただのオンナで幸せになれるわけがない。愛されるはずがない」と良い子に徹した結果。ついに何かがプツンと切れ、オンナ人生再出発。

自分を生きる、オンナを生きたいから。ただいま「良いと思われること」「周りに合わせる人生」を断捨離中。

昨日のお買い物で気持ちのザワつきをたくさん経験して、
予期せず過去のいろんなことを思い出しました。

今日はそんな、ただのオンナのただの過去を書こうと思います。

過去の私。

私、今までの人生でかなり、物を持たない贅沢をしない、
メイクもオシャレもベーシックが基本の、文字通りシンプルな生き方をしてきました。

それははてなの皆さんのように素敵な想いを込めて、
シンプルの中の素晴らしさを見出してそのようにしていたんじゃなくて、
「お金を使ってはいけない」「贅沢をしてはいけない」というネガティブな想いからだったと思います。

「贅沢は人間をダメにする」
「世の中で苦しんでいる人たちがゴマンといるのに、そんなことしていいの?」
って思っていました><;

良いことかどうか、素晴らしいことをしてるかどうかを、私の価値なんだと思い込んでた

だから発展途上国や地域の支援をする仕事に素晴らしさを感じてそこを選んだし、
ものすごく一所懸命働いていました。
そしてそこは、同じようにお金や贅沢や、
それを作った社会を否定する人たちが多かったので、
私にとって居心地の良い場所だったと思います。
何より、自分のことをさておいて「発展途上国支援・地域支援」とかって、
がんばってるだけですごく外側から評価される仕事です。

「すごいね」「えらいね」って言ってもらえる。
そのことで、自分に対して価値を感じられる。

それがたぶん、当時の私に対しては一番大きな価値だったんだと思います。

ネガティブな想いの映す人生は、やっぱりネガティブしか生まない。

でも、いくら社会的に良いことでも、自分が外に向けている否定は
自分に対する否定としてそのまま返ってくるんですよね。

・なんでそんなことができないの!?
(=私はこんなにがんばって出来るようになったのに)
・やる気あるの!?
(=やる気があるなら、もっともっと努力できるはずだし努力すべきだ)

↑我ながら、当時の自分は本当に怖かったと思います。。。

人を社会をジャッジしているので、
自分に対しても、努力をしない結果を出せない世間的に良いことをしていないとOKが出せない。
「ちゃんと」してないと自分の価値が感じられない。
だからどんどん苦しくなる
(というか、苦しいことにさえ自覚がないので、身体が先におかしくなりました)
だけど、「周りは素晴らしいと評価してくれる」から、
止めてくれないし自分で止まれるわけもない。
抜け出せない蟻地獄の中にいるみたいだったかもしれません。

根本の原因は、ココロ。そしてココロを作ってるのは、育った環境と家族と知る。

それで震災があり、いよいよ自分のココロがパンク寸前になった時に、
私のこのネガティブさんのもっともっと奥の根本は、
「自分が幸せになってはいけない」
という、自分を大切にできない、自己否定の想いがあるからなんだと気付きます。

更にその原因が、育った環境や両親との関係にあるとわかっていき、
今度はココロのことを学びはじめて行きました。

そうしていくうちに、両親に愛されてないと思っていた気持ち消えて、
一番の課題だった姉のことが大好きになれて、
姉と仲良くなれたら姉の男友達を紹介されて、
ずっと恋愛をこじらせてばかりの私が、
こじらせの元凶としていた姉のおかげで彼ができました。

それが今の旦那さんです^^

そしてその後も仕事の面でゴタゴタがあり、
会社員を辞めざるを得なくなったことは以前の記事で書いたとおりですが、
その時点ですでに学んでいた団体からカウンセリングやコンサルティングの資格を取っていたので、
今度はそこに属しつつ個人事業主として人のココロを癒す側に回ったんですね。
(いわゆるエージェントみたいなやつです)
そしたら、これがすごく短期間でお客さんがついてきた。
なのでこの時点で私、
「やっと自分の人生を生きれるようになったんだ!!」
と、思っていました。
が、しかし。

周りに合わせて、人の顔色を伺って生きる人生はもういらない!!
嫌なこと要らないことを引き算して、自分が嬉しいことを足し算する人生へ。

ざっくり割愛しますがほんの数ヶ月で色々なお客さんとの濃い出逢いがあり、
良いこともたくさんあったけどその分、
「依存」とか「お金」とかについて、いろんな側面を見せてもらうことができました。

その結果わかったこと。(気づかせてもらったこと)

結局私は今も、「人のため、社会のため」みたいな
世の中から評価されることっていう安全枠の中でしか自分と向き合ってない。
周りから評価されること、OKとみられるラインを越えて、
何考えてるの?とか誤解をされたり批判をされるかもしれないリスクをしょってまで、
自分に正直に生きてないって思いました。

そしてその部分が特に、オンナであるところを、正直に生きてないなって思いました。

(たとえばですけど男女平等、女性の社会進出が当たり前の空気感で、
いやいや私は男性に上手く頼って楽して生きてルンルンを本気で目指します、なんて
はったかれるんじゃないかという雰囲気を勝手に感じていました。
もちろんその奥に、それが男性をも素晴らしくするという確信があったからですけども)

そしてそれが良い悪いじゃなくて、私はどうしたいの??

と思った結果、
怠け者と見られて、嫌なオンナって見られるかもしれないけど、
えらいねって、素晴らしいねってはもう言ってもらえないかもしれないけど、
私は私の好きなようにやろう!!(というかもう麻痺していて、好きが何かさえわからなくなってたのでそれを取り戻すことから始めよう)と思いました。

つまり、周りから評価されるけど自分としてはそこまでやりたくないことは引いていって
自分が好きなこと、ワクワクできることだけ足していく。
(まだまだこれでも発展途上ですが!)

そしてあまり好きじゃないけど長年の付き合いとか、どこかでメリットがあるからお付き合いしていた人間関係を引いていって、
ただ好き、良いなあと感覚で思える人を大事にする。

たぶん、人から見たらかなり小さなことでも、
一つ一つ、その基準で選択していくようにしました。

そうして今。。。。

価値ある評価されると思っていた行動を捨てるのは、今もとてもこわいです。
玉ねぎみたいに、剥いていったら最終的に私には何も残らないんじゃないかという^^;

でもその分、それを捨てても私を好きと言ってくれる人を本当に有り難く思えます。
そして弱い世の中の役に立っていない自分もOKと思えるようになっていきました。

そしてやってはいけないと思っていたけどホントは自分が好きだったこと
(やったら妬まれる、嫌われる、変な目で見られるかもと勝手に思っていたこと)
をやっていくのもこれまた最初はすごく疲れるし、
不安ときょうふでいっぱいになりました。
(大体、本当に興味が無いのか、タブーと思ってたから見ないようにしていたのかが判断できないレベルです><;)

でも同時に、その一つ一つをやっていくと、
それを好きな自分を好きと認められて、新しい自分に出逢えて、
価値ある自分かどうかに関係なく、
ただのオンナの自分を一つ一つ好きになっていっていきました。

そして、あれだけ人や社会をジャッジしていた私が、
働いているだけで私が今できないことをできる人たちややってきてる人たちなのだから、
素直にすごい!!と思えるようになってきました^^
(そうなって誰が一番ラクかと言ったら他でもない私です。否定なんて、エネルギーの無駄遣い以外の何物でもないので^^;)

今、全てそのように自分を取り戻すための体験をしているのかもしれません。

そして「それでOKだよ!」とでも言うように、
カウンセリングをしていた頃はお金にほとんどならずに長時間悩みに溢れている方のお話にお付き合いしていたのですが、
もうそれも止めよう、と仕事として関わることを捨てたら、
なぜか人が動いてお金が当時よりも自然に入ってくるような不思議なことが起きてきました。
(これは今度別に詳しく柿ます)

旦那さんもよりいきいきしてきました。
だからきっと、自分を大切にして、自分の一生にいちどの人生を大切にしたら、
全てがちゃんと成るように成るのだと今は感じています。


なんだかいつも結論はおんなじ感じのことを書いてしまっている気もするのですが、
自分の中では1つ1つ、「ああそうか。私はそうだったんだ」と
書くことで自分を知る機会をいただけていると思います。
なので読んでくださっている方がいたら、本当にいつも有難うございます!

それでは、今日もお読みいただき感謝を込めて^^


※関連記事
ただのオンナであれば成るように成る、の話。↓

santasantasan.hatenablog.com

 昨日のお買い物の話とその気付きの話↓ 

santasantasan.hatenablog.com