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並ぶこと1時間(それでもおそらく最短)、3600円の名古屋名物のひつまぶしは想像の右斜め上をいく体験だった
「生半可な気持ちで行く場所ではない」
あるサイトにはそう書いてあった。名古屋のひつまぶしの名店のひとつといわれるあつた蓬莱軒のことである。 思えば人生のろのろと大きな決定をせず流されるままなんの覚悟もなく生きてきた。「生半可な気持ちで来るなかれ」などという状況にぶちあたるようなことは積極的に回避してきたのだ。 しかし、名店でひつまぶしを食べるにはそのような態度を改めねばならぬようである。 この記事はとくべつ企画「当たり前の旅」シリーズのうちの1本です。 > 個人サイト まばたきをする体 Twitter @eatmorecakes ということを、行きの新幹線で知った今回の記事は「当たり前の旅」という企画の1本である。
当たり前。ならば10時頃に名古屋についてまずは名古屋城でもぶらぶらし、お昼になったら矢場町の松坂屋に入っているひつまぶしの名店に行きあとはういろうでもお土産に買って帰ろうかななどと思って新幹線に乗ったのだ。 完全に丸腰であった。 丸腰すぎて「東海道新幹線の指定席券を甘く見て」「5分後の号以降2時間後まで完売」「あわてて券売機を操作し5分後のを買う」「飛び乗ったら間違った新幹線」「あわてて飛び降りる」という東海道新幹線あるあるをすべて堪能して一瞬もう帰りたかった
「生半可な気持ちで行く場所ではない」という情報は新幹線の座席に腰を落ち着けてしばらく、店の基本情報をスマホで調べるなかでやっと知った。
・あつた蓬莱軒の松坂屋店(デパートの松坂屋に入っている店舗)は11時オープン
・松坂屋がオープンする10時から行列ができはじめる ・10時半には60人が列をなすことも ・行列ができてしまえば最後、2時間半〜3時間待ちは当たり前 ・人気は平日休日おかまいなし ・いわゆる「ひつまぶし」は3600円 ※古賀調べ。行列についての実際の状況は日々いろいろあると思われます 衝撃の内容である。「まじか」という言葉を日ごろ軽率に使いすぎていることを悔いた。10年くらいとっておいて封印をやぶり今こそ使うべき言葉だったのだ。
まじか〜。 あわてて乗継検索する。乗っている新幹線で名古屋に到着すると松坂屋の最寄り駅である矢場町には10時ぴったりに着くと出た。まじか!(2秒で再度封印とかれました) 寄り道はできない。とにかく着いたらすぐに松坂屋に向かおう。今おもえば他の店にいくらでも切り替えられたはずだが、そんな機転はこのとき利かなかった。 名古屋到着! 地下街の喫茶店がさすがの魅力だがいまは急がねば
松坂屋!南館! ここだ!
10時オープンからのひつまぶし待機ちょうど10時すぎごろに松坂屋へ到着。めざす店は10Fであるが入り口からエレベーターからやけに混んでいる。
こ、これはまさか全員あつた蓬莱軒へ……?! 自分が向かう場所へみんなも行くのではという焦りあるあるに襲われる。幸いにも?エレベーターの乗客の概ねは「歌川国芳展」が行われているフロアで降りていった。 びびらせやがって……。歌川国芳ほどの人物になると没後時を越えまるで関係のない私のような一般市民をあせらせる力があるんだな(これいま感じ入ることだろうか)。 そしてこちらが名店、あつた蓬莱軒 松坂屋店(写真は食べてから撮った)(なぜなら食べる前は並ぶのに手一杯だったから)(興奮のため水平などめちゃめちゃですがこのまま載せるぞ)
10Fに到着すると担当の方が早くも行列を整理しているのですぐに分かった。行列ができているのはこの店だけである。
さすが並ぶ店だけあって行列というシステムが洗練されている。係りの方が一人ひとり案内してくれて混乱は一切ない。説明しづらいのだがフロア中心まで使って座席が確保してあり、5〜60人は座って待てるようになっていた。 長時間待つのが完全に前提なのだこの店は。 こんなかんじでうまいことフロアにめいっぱい待機用のイスがならべられている
ひつまぶしを思う朝、名古屋で私はというと並んだ10:07の時点で7番目のお客であった。勢いだけで来てしまったがおもいのほかスムーズに並べて拍子抜けするとともに気づく。そうか私これから開店の11時まで待つのか。
現在10時。まだ立派に朝である。朝から1時間、心のすべてをそこそこ重めのランチである「ひつまぶし」に統一して名古屋の地にたたずむ。これが、これが「当たり前の旅」なのか。 いや、ひつまぶしにあつた蓬莱軒を選んだ時点でもしかしたら「当たり前」からはずれてしまったのかもしれない。これ、ちょっと独特すぎるだろう。 じっとひつまぶしのことを考える。あごの下でだるだるしているのはマスクです
人間という人間が来ているひつまぶしに思いをはせつつあたりをみまわそう。超有名店ということでつまりここは観光向けの店なのだろうと思っていたが隣のおばあさん(82歳だと教えてくれた)に話しかけてみるとすぐ近所から来たという。さらにその隣の方(こちらはなんと87歳のおばあさん)も「私も大須からですよ」とのこと。観光地でありながら地元の人が来る店でもあるのか。
私のすぐ前は4人の若い男性グループ、さらに行列の先には若い女性2人組が。子連れの家族も、おじさんの1人客もいる。 バンドなんかだと客層からだいたいの音楽性みたいなものが分かったりするだろう。しかしひつまぶしは客層がとりとめなさすぎて見えるものが一切ない。 あまりにも老若男女である。全員きているのだ。人間全員が。 そして開店の11時に。1人客の私は大きないけばな(?)をコの字に囲む中央のカウンターに通された。意外にいろいろあるメニュー
ひつまぶしの例の食べ方もいまいちどおさらいだ
1人で11時から3600円の昼ごはんを食べる人々さて、1人客としてカウンターに通され驚いたのは同じく1人で来ているひとの多さだ。
いいか、この店のひつまぶしは3600円なのである。 1人で3600円の昼ごはんを11時から食べるのだこの人たち(私含む)は。贅沢だと思うのだが、どういう種類の贅沢かと聞かれるとだまる。なんだか分からない体験である。 カウンターではすでにひつまぶしを食べはじめている女性がビール大瓶いっていた。このごに及んでビールまで。感心を高ぶらせているとこの方、ゆっくり食べながらもう1本追加でビールを頼んでいた。 自由という言葉だけじゃ語りきれない自由度の高さである。なんだ、ここ。 そしてこれが私のひつまぶし。1時間待ったにもかかわらず「こ、心の準備がまだ!」という気持ちで身構えまくった
ビール大瓶2本の女性に目をみはったが、畳みかけて二度見したのがこちらも1人客の若いお姉さんだ。このお姉さん、お姉さんがだよ? ひつまぶしと一緒にコーラを頼んだのだ。
ひつまぶしが運ばれる前にコーラは瓶でやってきた。グラスにとぷとぷと移しうまそうに飲むお姉さん。 3600円のひつまぶしの前にコーラで喉を潤す。ちょっと大丈夫か祝祭性、高めすぎだろう。 さては……変態か?! ほめ言葉のつもりであったが「変態」というのはいくらなんでも失礼か。感じたのは静かながらはじけまくる謳歌である。 1人で1時間(以上)並んで3600円払って食べる高級料理にコーラをつける。完全に趣味人の仕事である。変態というよりは天才なのかもしれない。 目の前には食べ途中のひつまぶしの残りを前に目を閉じじっとしている女性がいた。祈りだ。ひつまぶしが神様だ。 周囲に圧倒されながらも冷静を装い食べる。最初はそのまま。う、う、うまいよね…
「うまいにきまっている」の先にあるもの私もおずおずと、きざんだうなぎの蒲焼を白いご飯と一緒に食べた。
失礼を承知でじゃれついていわせていただけるなら、ばかにしてんのかというメニューである。「うまいにきまってる」というジャンルの料理があるがその最たるところがこのひつまぶしだろう。 そうだ私はこの分かりきったうまさのその先に何があるのか見てみたくて今日やってきたのだ。 次に薬味をそえて。そしてこの日、私はわさびに開眼した。今では冷奴もおでんもわさびで食べている
一つ思ったのは、これはパーティーなんだなということだ。
ひつまぶしが、ちょっとホールのケーキのように思われたのだ(まるい器に入ってやってきたうなぎご飯を、しゃもじで四等分にする儀式がある)。 ここでは誰もがひつまぶしというホールのケーキに入刃する。 そしてホール1個をまるごと全部食べるのだ。薬味を入れ、お茶漬けにし、味を変えて最後まで笑顔で食べきる。 1人暮らしでやってみたいことといえばホールケーキの1個食いとはよく言うが、それをうなぎでやるのがひつまぶしという見方は一つあってもいいと思う。要するにあらかじめ分かっていた以上に最高なのだ。 パーティーである。だからビールもコーラも飲んでいい。 お茶漬けで。だし汁がまたおいしくてそれだけでも飲んだ。
つらいが笑うという時間そうして食べ始めたらもう食べきってしまうのが惜しく寂しく恐ろしくなっていた。
先ほども書いたがひつまぶしというのはまず四等分にして四分の一ずつ食べるよう推奨されている。徐々に減るという様子が他の食べ物以上に如実に迫ってくる。 幸せが、しかし終わるのをかみしめる。つらすぎるがうまいので顔はニヤニヤだ。なんだろうこのアンビバレンツは。 こういうSMっぽい体験を好んでしにみんなこの店へ押し寄せているのだとしたら文明は私が思った以上に高度だ。 おわりゆく寂しさと口のなかのうまさが拮抗する
食べ終わって呆然とする様子から名古屋城とういろうレポートへとさらに続きます。
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