パリは燃えているか(オープニング・テーマ) - YouTube
※再生しながら読むと盛り上がります(嘘)
きっかけは白虎隊。
それは、1980年台後半の事だった。
我が家に奇跡の装置がやってきた。電波とともにやってきて、自分の目で見ておかなかければ二度と見ることの叶わないテレビ番組を、磁気テープに記録していつでも好きな時に見ることの出来る機械…そう、ビデオデッキである。
それまで我が家ではなかなかビデオデッキを買ってもらえなかった。自分は欲しくて欲しくて仕方なかったのだが、その熱意を母親や祖父にぶつけても「あんな高いもの(当時15万円くらいした)を買う訳にはいかない」と、子供的には納得しかねる理由で突っぱねられていた。
風向きを変えたのは、日本テレビの制作した「年末時代劇スペシャル」だった。
今ではあのシリーズはもう制作されなくなってしまったが、1980年台には年末最強コンテンツだった紅白歌合戦の対抗番組として、日本テレビが12月30日と大晦日に時代劇を放送していた。そのテーマに、自分の住んでいる地方のエピソードが選ばれたのだ。「白虎隊」である。
ドラマ「白虎隊」は、当時約60%の視聴率を誇っていた紅白の裏で、27%を超える視聴率を獲得した。で、その白虎隊のドラマを録画することを念頭に置いて、我が家でもビデオデッキの購入が決まったのだ。
過ぎたはずの時間を残せるという奇跡。
最初にウチに届いたビデオデッキは三菱製だった。細かい型番は覚えていない。ネットで検索してもそれっぽい画像は出てくるが、決定的に「これだ!」といえるのは出てこなかった。
時代的には、上記のマドンナがCMしていた頃の物だと思うのだが、ファンタスとかなんとかいうシリーズだろうか。
そのビデオデッキには、「カウンターゼロストップ」という機能が付いていた。これは何かというと、ビデオの再生時に再生時間がカウントされていくのだが、「カウンターゼロストップ」のボタンを押すと、再生開始したところまで自動的に巻き戻ってストップしてくれる機能だ。再生開始地点は「カウンターリセット」ボタンを押すことによって任意に指定できる。つまり、テープを取り出す前に「カウンターゼロストップ」をやっておけば、次にテープを入れた時にお気に入りのシーンから再生ができるのだ。
今ではHDDレコーダーによるランダムアクセスが当たり前だが、シーケンシャルアクセスしか出来なかったビデオテープには、こういうちょっとした機能が重要だった。正直他の人はどうだか知らないが、自分はこの機能をとても重宝したのだ。
なにしろ、レンタルビデオなど無かった時代である。ウチの町には映画館もない。なので、映画なんかを見ようと思ったらTVで放送されるのを待たねばならない。だが、TVの映画は本編が始まる前に解説なんかが入ってたりしていた(あれはあれで味があったけどね)ので、すぐ本編を見たい自分にとって、この「任意の位置から再生できる」という機能は非常にありがたかった。
そんなこんなで、小学生時代の自分には、ビデオデッキは魔法の箱に思えた。家族で誰もこういう機械を得意とする人間がいなかったので、自分は率先して色々な使い方を覚えていった。標準録画、3倍録画、予約録画…
こうして、我が家のビデオデッキは自分だけの独占所有物となっていった。
ビデオ?いいえ、ミデオです。
小学校高学年の時に買った三菱のビデオデッキは、バブル時代の産物だからなのか、やたらめったら丈夫で、結局高校を卒業するまで一度も壊れること無く稼働し続けた。
だが、大学に進学する際に郷里を離れることとなり、一人暮らしの為に家電製品は全て新しい物を取り揃えることにした。いわば、親からの贈り物のようなものであった。
当然ビデオデッキも新しい物を買うことになったのだが、その時に自分の目に止まったのが、パナソニックの出していた「ミデオ」だった。
このミデオ、要は「ミニビデオ」の略なんだと思うが、とにかく本当にコンパクトで、これを買った理由はもう殆どそれだけだった。値段は確かまけてもらって80000円くらいだった。
世界初の19ミクロンヘッド搭載…とか言われていたが、当時の自分には何のことやらサッパリだった。要は「こまけえこたあいいんだよ。3倍録画モードでも綺麗に録画できるんだよ!」という事らしい。そういや3倍で録ってもくっきりしていた記憶がある。
Gコードにも対応しており、録画予約がとても簡単になった。
Gコードというのは、当時新聞などの番組表に記載されていた最大8桁までの数字の事で、その数字を入力するだけで番組の録画予約が完了するという、大変ありがたい機能である。電子番組表が当たり前の現代においては「何それ?」的な機能ではあるが、とても重宝した。現在、新聞を取っていないからわからないが、今でも生き残っているんだろうか?
ただ、このミデオには一つの、そして致命的な弱点があった。本体サイズが小さすぎるために、内部に熱がこもりやすく、部品も壊れやすかったのだ。
2時間超の映画を再生してテープを取り出すと「熱!」と感じるほどテープが熱い。そのうちに、巻き戻し中にテープが絡まるという現象が頻発し始めて、2年ちょっとで使い物にならなくなった。リールを支えているバネの強さにプラスチックが負けてしまい、部品が折れてしまっていたのだ。
当時のレンタルビデオは、見終わったら最初まで巻き戻して返すのがマナーだった。だが、再生終了後の熱々の状態では、下手に巻き戻すと絡まってしまう恐れがあった。あの頃ビデオソフトというものは映画1本15000円とかする非常に高価なもので、それを弁償しろと言われたら、学生の自分としてはたまったものではない。いや、でも何か保険があった気がする。忘れたけど。
そういう意味では、見た目と(3倍モードの)画質は気に入っていただけに、残念な機種だったといえる。後継機種も1機種だけ出て、その後音沙汰がなかった所を見ると、パナソニック的にも失敗だったと思っているのかもしれない。
ヤマダ電機本店で買ってきたソニー製のビデオ。
さすがにテープが絡まってしまうのではお話しにならないので、当時群馬に住んでいたという事もあって、どうせならヤマダ電機の本店に行ってみようと思いたち、前橋まで足を伸ばしてみた。
正直言って、これがあの大企業の本店なのかというくらいしょぼいお店だった。
当時、ヤマダはコジマ電気、ケーズデンキと合わせて「北関東YKK」とか言われて、前橋でも激しい価格競争を繰り広げていた。
そんな中、買ってきたのはソニーの「SLV-FX11」というものだった。たしか、2万円台で買えてしまった記憶がある。
このSLV-FX11のいいところは、本体に「クリックシャトル」と呼ばれるものが付いており、自由度の高い再生が出来たことだ。
これは非常に直感的でわかりやすい機能だった。
だが、操作するときは普通本体ではなく、離れた位置からリモコンを操作するものである。このSLV-FX11はその点でも優れていた。当時のビデオでは珍しく、リモコンにジョイスティックが付いていたのである。
このジョイスティック周りは下記のようなボタン配置になっていた。
使い方としては、上記の図のように片手で持って、ジョイスティックを任意の方向に倒して使うのだが、これが慣れると非常に使いやすい。いちいちリモコンを見なくても、ジョイスティックを倒すだけで各種操作が出来るので、本当に使いやすかった。
当時のソニーのビデオの高級機種には、このSLV-FX11本体に付いているクリックシャトルがリモコンに付いていて、そっちの方が使いやすかったらしいのだが、残念ながら貧乏学生だったので手が出なかった。一度は使ってみたかった気がする。
結局、このSLV-FX11は就職してからも使い続け、地元に帰ってきて数年後の2002年に東芝の「RD-X2」を買うまで現役稼働し続けた。
そして、録画機はHDD・DVDレコーダーの時代に突入していく。
今では、電子番組表で録画予約をし、たとえばスポーツ中継で番組開始時間が延長されたとしても、自動で追従してくれるし、そもそもキーワード録画で興味のあるものを勝手に録画しておいてくれたり、むしろ放送されている全番組を録画しておいてくれるレコーダーも珍しいものではなくなった。
録画開始時刻と終了時刻を手打ちし、さらには野球の延長の事も考えて数十分(時には最大延長が1時間を超える時もあった)余計に録画しておく…などという昭和的な苦労は、現在では遠い過去のものとなった。
もはや進化の頂点を極めたと言っても良い録画機。
これ以上はもうコモディティ化が進み、三菱やパイオニアのように淘汰されていくメーカーと、パナソニックやソニーのように生き残っていくメーカーに二分されていくだろう。いや、いずれは彼らでさえも別の勢力に駆逐されてしまうのかもしれない。
まるでそれは、今後の人類における進化の縮図を表しているかのようではないか。(大げさ)