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201511

特集:フランク・ゲーリーを再考する──ポスト・モダン? ポスト・ポスト・モダン?

フランク・ゲーリーという多様体
──われわれはその空間になにを見ているのか

浅子佳英(建築家、インテリアデザイナー)+門脇耕三(建築家、明治大学専任講師)


スター・アーキテクトとしてのキャラクターが強調されてきた世界的建築家のつくりだす空間は、現代においていかなる意味を持つのか。21_21 DESIGN SIGHTにて開催中の「建築家フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」(2015年10月16日-2016年2月7日)を巡りながら、建築家の浅子佳英氏と門脇耕三氏に語っていただきました。

アイデアとテクノロジー

浅子佳英氏(左)、門脇耕三氏(右)、21_21 DESIGN SIGHTにて

浅子佳英──まずは21_21 DESIGN SIGHT企画展「建築家フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」の感想からお話したいと思います。全体としてとてもよくまとまった展示だったと感じました。最終模型だけを置くのではなく、検討段階のスタディ模型が多く展示されており、どのようなプロセスで設計を進めているかが非常によくわかるので、建築分野の人間が見てもおもしろいし、創作の過程をめぐる話は一般の人が見ても楽しい展覧会でしたね。

門脇耕三──ええ、今回の展覧会では「アイデア」がキーワードになっていて、ゲーリーのアイデアがデヴェロップされていく様子が明快に示されていました。展覧会ディレクターである田根剛(DGT.)さんの役割も大きかったように思います。模型でのスタディと実施設計で援用される最新テクノロジーが並列に示されたことで、建築家の仕事とはなにか、最新の建築技術はどうなっているのかがよく伝わる展示でした。

浅子──今回の展示では3Dモデルを設計事務所と施工会社がデータ上で共有しながら進める手法「マスターモデル」が紹介されていましたが、ペンディングになってしまった国立競技場の設計でも、ザハ・ハディドは3Dデータで施工業者とのやり取りを試みたそうです。しかし日本側は、技術的、人的な環境が整っていないため、受け取ることもできなかったといいます。そうしたまだ日本では一般化していないテクノロジーの紹介としても優れていました。

門脇──BIM(Building Information Modeling)についても触れられていて、BIM自体の紹介は教科書的なものではありましたが、建築を学んだ人間にとっても最新の状況が一通りわかる内容でしたし、ゲーリーのアイデアを実現する強力なツールとして語られることで、説得力を増していました。僕自身、最近は部材どうしの取り合いが複雑な設計をしているので、3DCADやBIMの必要性をひしひしと感じています(笑)。

浅子──これまでのゲーリーの一般的な理解である、天才的で才能に溢れた人としてではなく、アイデアを実現するためのひたむきな姿勢や、そのために必要とされる新しいテクノロジーを着実に見せていた。

門脇──しかしテクノロジーだけの紹介であれば、ゲーリーという特徴的な建築家を引っ張り出さなくても、日本の組織設計やゼネコンでも同じような展示がありえたはずです。

浅子──その点に関しては「アイデア」というコンセプトが効いていて、ゲーリーの個人的な魅力も同時に示されていたことが大きな違いではないでしょうか。「ゲーリー・ルーム」と名付けられた展示室では、ガラスの塊やしわくちゃの紙切れなど、模型かどうか判別できないものが展示され、それらから建築が着想される様がよくわかるようになっています。あの部屋は藤本壮介さんの「未来の未来」展(ギャラリー間、2015)にも通じているかもしれません。また、事務所内のゲーリーの個室に飾られているホッケーのユニフォームやヨットの写真なども今回展示されていました。こうしたアイデアの源泉が最新技術と同時に示されることが重要だと感じます。おそらくゼネコンの展示では、個人的な着想を示すことは難しいでしょう。

「建築家フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」(21_21 DESIGN SIGHT)
「ゲーリー・ルーム」

門脇──まさにそうですね。ゲーリーというひとりの人格から生まれたアイデアが、時に私的なストーリーをまといながらも集団でデヴェロップされていく、現代の「正しい」建築家像を見た気がします。ゲーリー自身、自分はインスピレーション型の人間であり、アイデアがひらめくときには「神が降りてくる」のだと語りますが、そのひらめきを元に、綿密なフィジビリティ・スタディ★1を繰り返し、アイデアを「建築化」していく段階にこそ、建築家の仕事の真髄があるのだと改めて感じました。

浅子──写真だけを見ると形態のインパクトが強いので信じがたいかもしれませんが、実際にゲーリーの設計した建物を見に行くと、きわめて機能的につくられていることが実感できます。今回展示されていたスタディの様子はすごくオーソドックスで積み木のようなヴォリューム模型から設計を始めていましたが、機能をうまくゾーニングし、そこへやりたいアイデアを盛り込んでいることがよりわかります。ああいった、より複雑な設計を行なう方法は日本でもすでに一般化していますよね。

門脇──日本の若い設計者からすれば、ゲーリーが採っている手法は当たり前のやり方のようにも思えることでしょう。しかし、僕たちが大きく影響された妹島和世さんや藤本壮介さんなども、ゲーリーから影響を受けているはずですから、日本の建築メディアで彼らの設計手法が紹介されることで、ゲーリー的な手法が間接的に一般化していったとも考えられます。大量の模型を見比べながら案をデヴェロップさせていく方法ばかりではなく、設計や施工段階でさまざまなシミュレーションを行なうことも、日本のアトリエ事務所でだんだんと試みられるようになってきています。

浅子──とはいえ、条件に対する答え方は似ているようで異なっていて、例えば妹島さんは自らの建築の形態を所与の条件・プログラムに対して答えた結果であると説明します。そして、妹島さんの建築は問題に対してあまりに誠実な答えを追求したが故に、結果的にエキセントリックな形態が出てくるところがおもしろいわけですが、ゲーリーは条件に従った結果の形だという説明はしません。むしろ、最終的につくりだされる形態はゲーリー個人のアイデアに基づいていることが今回の展覧会でも示されている。

門脇──ゲーリーは、自らの魚に対するフェティシズムがダイレクトに建築へつながっていく様をオープンに語りますが、日本の建築家が個人的な偏愛を語るようなことは最近あまりないですね。

浅子──そのとおりですね。にもかかわらずそこを語るのがゲーリーらしいというか(笑)。補足的にお話ししておくなら、ゲーリーがよく持ちだす魚のモチーフは、ポストモダニズムに対する批判的な姿勢を示したものです。他の建築家が歴史の引用元としてギリシャやローマを持ちだすのなら、自分はさらに遡って人類の古い祖先である魚をモチーフにすると。そうした皮肉っぽさ、アンチ・ヒーローの姿勢は現在も変わらない気がします。

門脇──自分が好きなものを純粋に好きだという姿勢は、ひとりの人間としての建築家であることを表明するもので、その意味でゲーリーは古典的な建築家なのかもしれませんね。
展覧会の話に戻りますが、会場構成もとてもよかったですね。あまり広い展示室ではありませんが、展示物どうしの間合いの取り方がうまくて、落ちついてじっくりと見られる構成になっていました。ゲーリーの初期スタディ模型をほうふつとさせる、箱を積みあげた展示台によって鑑賞者の体の動きと目線が誘導され、模型の一つひとつは小さくとも、ゲーリー建築のダイナミックさも伝わってきます。さすが建築家による会場構成だなと思いました。

浅子──《ゲーリー自邸》(1979)や《ウォルト・ディズニー・コンサートホール》(2003)など実作の写真も充実していましたし、外壁や素材の写真だけのコーナーなどリサーチも入念に行なわれていて、時間をかけて展示を準備していたのがよく伝わってきました。最後に用意された展示「ゲーリーのシークレット」では、ゲーリーが手がけた「フッシュランプ」(1986)の模型やスケッチと彼自身が撮影した工場の写真が展示されていて、何にインスピレーションを受けているか、さらに深く理解できる構成も秀逸でした。
その意味では先日まで東京都現代美術館で行なわれていたオスカー・ニーマイヤー展とは好対照でしたね。SANAAの会場構成によるニーマイヤー展はいいか悪いかは置いておくとしても、あくまでSANAAから見たニーマイヤーという展示になっていましたから。

「建築家フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」会場風景

ゲーリーが撮影した工場の写真(「建築家フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」より)

門脇──逆に言うとあの展覧会からはDGT.が何者なのかは見えてきませんが、大先輩の建築家の展覧会場を構成するにあたっての誠実さを感じました。《自邸》の模型はDGT.で制作したそうですが、添景の木もきちんとゲーリー風になっていましたね。
展示ではコスト面についても言及されていましたが、あれは少し綺麗にまとめすぎかなと(笑)。専門家向けの展覧会であれば、もう少し踏み込んだ、生々しいものになったのかもしれませんが。

浅子──実際はあれほどうまくはまとまらないでしょうね(笑)。それなら見積書や設計料も展示して欲しい所です。とはいえ、コストを抑えて設計しているのは事実だとも言われています。《ビルバオ・グッゲンハイム美術館》(1997)も、通常の美術館と比べても低いコストでできているそうです。確かに外壁に使用しているチタンパネルは高価ですがその他は安普請といいますか、内壁はLGS(Light Gauge Studの略で軽量の下地用鋼材)にプラスターボードを貼っているだけで、それほどコストをかけていないことがわかります。最初期からコストコントロールに関しては一貫した姿勢で取り組んでいる気がしています。『GA JAPAN』(No. 136、2015年9-10月号、A.D.A EDITA Tokyo)で出ていましたが、《ルイ・ヴィトン財団》(2014)の総工費が約170億円、同時期に設計されているジャン・ヌーヴェルの《パリ・フィルハーモニー》(2016完成予定)は約550億円なんだそうです。あれだけの規模・デザイン・完成度の建築が200億円以内に納まっているとすれば驚異的です。

門脇──安価な材料を用いて仕上げをしないからといって、見積もりが安くなるわけではありません。例えば天井を貼らずにコストを抑えようとしても、下地や配線に気を遣う必要が出てくるので、工務店は高く見積もります。下地や配線が表しになると、その部分を適当に納めることができなくなるので、結局は工事の手間が余計にかかりますし、工務店が施工図を描く手間も増えるからです。その点ゲーリーの場合は、コンピューター・テクノロジーを援用して、配線も含めたデザインをゲーリー・パートナーズで主体的にコントロールできるので、コストを低く抑えることができるのでしょう。そこがゲーリーの手法の肝だと理解はできても、日本の建築家がなかなか真似できていないところですね。そしてゲーリーの手法は、ある意味ではアメリカ的なつくり方に対応するために発展したものだと取ることもできます。アメリカでは工事職種ごとのユニオン(労働組合)がしっかりしていて力が強く、異なる職種の職人どうしの調整が行なわれないため、無駄な工事やネゴシエーションが多いと聞きます。それをまとめ上げるツールと力が必要なんですよね。

浅子──ある意味、ゲーリー・パートナーズ内で施工図を書いているということなんでしょうかね。アメリカは職人の技術があまり高くなく、英語を話せない移民も多い。ニューヨークの一流ブランドのブティックを見て回ったときもディテールの精度の低さが目立ちました。そうしたなかで、通常のやり方をしていてはゲーリー建築に見られる精度を出していくのはたしかに大変でしょうね。

時代の潮流とゲーリー評価の変遷

浅子──ゲーリーの経歴を振り返ってみると、評価のピークが3つあるように思います。70年代の終り、40歳後半になってから設計した《自邸》、これがひとつめのピークで爆発的な人気を得ます。ふたつめのピークは、90年代終わりの《ビルバオ・グッゲンハイム美術館》。そして3つめが現在ですね。80~90年代の約20年間はあまり評価されていない。例えば双眼鏡をモチーフにした《チャット/デイ・メインストリート》(1991)は、あまりにポストモダン的だと揶揄されました。 ゲーリー不遇の時期に評価された建築家としてレム・コールハースがいます。コールハースは、設定されたプログラムそのものを問題にしリプログラミングしながら設計する建築家で、90年代から実作が増えていく。一方ゲーリーはプログラムを受け入れながら、新しいものを生みだすタイプです。今振り返ると90年代にはそれが保守的に見え、評価されなかった一因ではないかと考えています。しかしこの姿勢は実は初期から一貫していて、その源流はゲーリーが一時期師事していたビクター・グルーエンにあるのではないか。グルーエンはショッピングモールの生みの親と言われる人物で、ショッピングモールの設計と研究を行ない、それを都市計画にまで拡張しようとした人物です。言ってみれば、彼は商業主義を受け入れた上で、それを都市にまで応用していった。それがゲーリーにも引き継がれていると考えるとわかりやすい。
《ノバルティス・キャンパス・ゲーリー棟》(2009)はショッピングモールの典型的な構成である三層ガレリア式で、真ん中が吹き抜けになっていて周囲に諸室が並ぶ構成です。同じく《ビルバオ・グッゲンハイム美術館》も吹き抜けを中心として展示室が周りを囲んでいる。この構成はゲーリーがよく使う方法ですが、動線が簡潔で効率がよく、ダイナミックな見せ場と機能的な使い勝手の良さを両立させることができる。今あるものは受け入れながら、新しさを追求する姿勢にはとても共感します。

門脇──そうした事務所で修行した建築家なので、社会的な要求や性能にきちんと応えるトレーニングを積んでいるんですよね。その一方で《自邸》では、また別のおもしろい取り組みをしている。《自邸》は想像するに、工事の前には詳細な図面をあまり描いていないのではないでしょうか。もちろん一般図★2程度はあったにしても、職人を呼んで、あるいは自分で手を動かしながら、現場で一つひとつスタディするように設計を進めた痕跡があります。
僕自身《つつじヶ丘の家》(2015、長坂常/スキーマ建築計画+明治大学構法計画研究室)で似た方法を採ったのでよくわかるのですが、自邸の場合は自らが事業主体ですから、工事のスケジュール管理も自分でやろうと思えばできてしまう。そうすると、工事を途中で一旦止めて、悩むことができる。実際の空間で小さなエレメントレヴェルのコンポジションを現場で検討し、実物大でスタディした結果を設計に反映できるんです。こうした経験が模型を重視するスタディ方法やBIMを用いた設計手法にも反映されているように思えますが、設計と実際の空間との解像度の高い応答関係もゲーリー建築のもうひとつの魅力でしょう。

《ゲーリー自邸》模型(「建築家フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」より)

浅子──効率的なつくり方と現場主義的なつくり方、どちらか一方に長けた設計事務所はいくつか思い浮かびますが、両立させているのがゲーリーのすごいところですね。

門脇──そうしたゲーリー自身の姿勢は一貫していると思うのですが、浅子さんがおっしゃるように、世間の評価が時代によって違っているのが興味深い。《自邸》が完成した当時は現代美術の文脈から評価されたようですが、現在はバラバラなものがバラバラなまま共存しているという点で、OOO(Object-Oriented Ontology、オブジェクト指向存在論)やSR(Speculative Realism、思弁的実在論)といった現代思想の文脈からの評価が可能になっている。以前、哲学者の千葉雅也さんとOOO的建築論について語り合いましたが(『「シェア」の思想/または愛と制度と空間の関係』、LIXIL出版、2015)、そこでも《自邸》を最初の手がかりとして議論が展開しました。

浅子──今だとその方向で語るのが現代的なんでしょうね。ゲーリーは現代美術とのコラボレーションも行なっていて、今となっては評価が微妙な《チャット/デイ・メインストリート》には、彫刻家クレス・オルデンバーグとコーシャ・ヴァン・ブリュッゲンの協働によるバカでかい双眼鏡の彫刻がついています。看板でもなく、といって機能から導かれたものでもない妙な存在が建物にくっついている。おもしろいといえばおもしろいのですが......。

門脇──90年代は建物に付属する存在が具象的だったのでポストモダン的だと揶揄されたわけですが、「バラバラなものが同居する」という観点から見れば、《自邸》での即物的なエレメントが具象物に置き換わっただけで、目指していたところは一緒だったと取ることもできる。

浅子──看板がそのまま建築になったような、裏側を現わすことでハリボテであることを隠そうとしない、いかにもむき出しの造形は現在も見られますね。

門脇──ゲーリーには一貫したスタンスが読み取れるものの、彼自身はあまり建築論を語りませんね。そのことも、周りがさまざまに深読みする構図を助長しているように思います。

浅子──「これは私の住まいであり、この建物は今後も手が入れられていき、そしていつまでたっても完成しない。」という書き出しではじまるゲーリー自身による自邸の説明がありますが(『GA HOUSES 6』1979年10月15日号、A. D. A. EDITA Tokyo)、これは彼の建築観をよく表わしているように思います。

門脇──しかしそれも直感に導かれたかのように語られていて、高度に理論化されていたり、過去の建築論を直接的に参照して成立しているものではない。とても示唆的で現代的なのですが、素朴なものだと受けとめることもできる。ピーター・アイゼンマンら80年代の建築家は、哲学の言葉を引きながら自らの建築論を雄弁に語ったわけですが、その後の建築家、例えばSANAAは素朴に自分の建築を語ります。設計手法だけでなく、態度もゲーリーから大きな影響を受けているのかもしれません。

浅子──近年のSANAAの建築を見ていると、ゲーリーの影響を感じます。彼らの建築からは、90年代はコールハース、後半はヘルツォーク&ド・ムーロンが加わり、さらにゼロ年代に入ってからはオスカー・ニーマイヤーの影響も色濃く見えますが、近年のプロジェクトはゲーリーの影響が強いように思えます。それは、彼らに限った話ではなく、時代のモードがそう変化してきているということでしょう。

門脇──ゲーリーは、自身のステートメントとして難解な建築論を語る巨匠というよりは、むしろひとりの人間としての建築家に見える。そこから「ものづくり」的な建築家像を感じることも可能でしょうし、同時に『ザ・シンプソンズ』にも登場してしまうような、アメリカの国民的な建築家としてのゲーリーにもつながっているように思えます。ゲーリー自身、それを楽しんでいる感じもありますね。

浅子──つい最近も海外の記者会見で中指を立てていましたが、そんなことをする建築家は他にはいませんよね(笑)。

門脇耕三氏
門脇──神話的な大建築家としてリスペクトされるというよりは、もっと生々しい人間として受けとめられている。
しかし僕たちは、そんなゲーリーに悪い意味で騙されているところがあって、ゲーリーの作品を理論的に語ることをあまりしてきませんでした。アーティストのような個人性の発露としての建築表現、あるいは実直なものづくりへの態度ばかりが語られ、彼の作品が現代社会・現代建築においてどのような意味を持ちうるのか?とは考えてこなかった。それがゲーリー建築の評価の定まらなさに表れていて、だからこそ彼の建築そのものを語る必要があるんだろうと思います。

浅子──妹島和世さん自身は素朴に建築を語りますが、他者によって方法論化されていますよね。藤村龍至さんの「超線形設計プロセス論」にしても、大量に模型をつくってログを残すやり方は、妹島さんへのアンサーであり、またアンチテーゼでもあると思います。

門脇──妹島さんの作品は同時代の建築評論家がしっかりと批評しましたし、後に続く建築家や学生も、さまざまに独自の解釈を試みた。そういう回路があったので、日本で多くのフォロワーや発展形を生んだところがあるのではないでしょうか。




201511 フランク・ゲーリーを再考する──ポスト・モダン? ポスト・ポスト・モダン?


"I Have an Idea"──新しい建築の言語を探すために
フランク・ゲーリーという多様体
──われわれはその空間になにを見ているのか

フランク・ゲーリー、纏う建築
「必要」と「象徴」の一体性
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