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2015-11-04

図書館にある本を自分で買うとのは「贅沢」「強欲」という市民的美徳の話

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こんにちわ、ブログではごぶさたです。

まだPCが本格的に修理できず、この記事も含めて代用手段での執筆ゆえ、やはり勝手が違って執筆量が減って今います。

まあそれでブログやすみ中は、のんべんだらりとしておりましたが、ちょとだけ蔵書整理をしたりしました。後者は多少成果があり、いろいろお伝えできるかもしれません。

しかしそんな期間中、ちょっと残念だったのは、少し以前も書いたけど、「読書週間」と「文化の日(この日は手塚治虫誕生日ゴジラ公開記念日でもある)」に関連した記事がかけなかったことです。

こんな話とか。

本が売れぬのは図書館のせい? 新刊貸し出し「待った」:朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/ASHBW64R4HBWUCVL01B.html

同種の内容は個人ブログでも偶然?同時期にかかれていて、けっこうブクマがついて賛否両論でした。

さらにもとを辿れば作家樋口毅宏氏の以前の問題提起にいきつく

民宿雪国」から始まる図書館論議 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/92796

図書館で新刊本の貸し出し制限妥当か - Togetterまとめ http://togetter.com/li/105723


そんな中で、当方の子供時代のおもいでばなしを。

あれはホームズ本だったか星新一だったか、それとも手塚治虫だったか…自分が繰り返し借りていた本を、やはり手元に置いておきたいとおこづかいで購入したのですよ。

それを知ったのだろうか、嬉しさで家族に自慢したのか。

もうかなり前に亡くなった祖母は、働いていた時期も長かった。特に高等教育を受けたとかでもないが、まあ普通に勤労、質素、礼儀、謙譲、正直などを重んじる、「折り目正しい庶民」であったろうと、家族の贔屓目とかを抜きにして思える。

以前の記事でいえば、「ブッチャー自伝」のブッチャーの両親みたいな感じだった。

でだ、その祖母に怒られたんである。

実にその理屈シンプル

・同じものは図書館で借りれば読めるではないか

・なら、それをお金を出して購入するのは「贅沢」であり、自分のものにしたいという私利私欲、強欲、貪欲である。

・まっとうな人はそういう物欲を我慢し、清貧(という言葉は使わなかったが)に生きるべきであり、そのために図書館はあるのである。

図書館にない本もできるかぎり要望したり、古本屋にないか探すべきである。そしてどうにもないときにこそ新刊書店で購入するのがブルジョア(という言葉はでなかったが)ならざる庶民の、お天道様にはじない、まっとうなやり方、ウェイ・オブ・ライフ(という言葉以下略)である

と。

当時の私にはこれに反論するロジックレトリックもなく「はあ」と思うばかりだったし、そもそも成人したあとこの教えを守っているかというと守ってないのだが(笑)、でも幼少期の教育とは本当におそろしいもので、読みたかった本を新刊で買うときに道徳的なひけめを、古書店図書館で手にしたときに道徳的な優位性を、ほんの瞬間的に、0.01%ぐらい感じることがない、とはいえない。

そもそも、祖母のこの主張に思想的に反駁するには、図書館で借りた青少年向け経済学の本で、奢侈や虚栄などの個人の悪徳社会全体の活性化につながる「蜂の寓話」やケインズ理論などを学ばねばならぬことでありましたが、そのときには祖母はこの世の人ではありませんでした。

しかし、この昭和を(たぶん)まっとうに、大過なく生きた庶民の美意識と倫理は、まとがっていたのだろうか?


皆さんも、ちょっとお考えありたい。

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