アラフォーを祝って。
今週のお題「行ってみたい時代」
先日、Twitterで繋がっている小学校時代からの友人から「中学の同窓会やるって連絡回ってきてるけど、なんか来てる?」というDMがあった。
自分は、中学生までは地元の学校に通い、高校は地域でそれなりに有名な進学校に入った。その高校は、自宅から電車で1時間以上かかる町にあり、一緒に進学した友達はみんな電車(正確に言うとあれはディーゼルだから電車じゃないんだけど)で通学していた。
自分はどうしたかというと、ちょうどその頃に母がそれまで働いていた保険会社を辞めて、フリーになっていたこともあって、祖父と祖母を地元に残して、高校のある町へと引っ越しをした。
中学までの友達とは、そこで一度断絶された形になった。なにしろ、縁もゆかりもない町に引っ越してしまったのだ。共に進学してきた地元の友だちは、学校が終わったら1時間に1本しか来ない電車でそそくさと帰らなければならない。つまり、自分は一緒に遊ぶ友達もイチから作らなければならなくなった。
それでも、高校1年生の時に一緒のクラスになった連中は、なんだか濃い人(要はオタクです。)が多く、友達を作るのに不自由はしなかった。そのうちの何人かは、今でも付き合いがある。
結局、なんだかんだで楽しい高校生活をおくり、自分は大学に進学するために群馬に移り住むことになった。
新しい出会いと更なる断絶。
よく、世の中では「最終学歴で友達だった人たちが、結局は最後まで付き合う友だちになる」なんて言われる。
言いたいことはわからないでもない。しかも、自分が大学生だった時代は、ちょうど携帯電話が普通の人でも買える値段と大きさになって、本当の意味で「携帯」出来るようになった時代と重なっている。
それまでは、連絡手段といえば手紙か家への電話だった。正直いって、この二つはそんなに低いハードルではない。手紙は余程の事がない限り書かないだろうし、実家に電話するのにも、あまりにも期間があいてしまうと「なんかの詐欺なんじゃないか?」的な疑いを持たれたりするものだ。
そういう意味では、電話をかければ確実にその個人が出るとわかっている携帯電話は、個々の繋がりを強固にするための最高のツールだった。その普及の波の第一波が、自分の大学生時代にやってきたのである。
大学を卒業しても、その頃の友達とは定期的に連絡を取り合っている。それもこれも携帯電話が普及し、気軽に連絡を取れるようになったからだ。
一方その頃、母が新しく土地を買い、地元に残っていた祖父と祖母も母の住む町へと引っ越しをする事になった。地元の実家が、国の道路拡張工事の計画地域に引っかかって、立ち退きを余儀なくされたのが最終的な決断をうながした。
実家は、今ではただの瓦礫と化している。土地は誰も買おうともしないような不便な場所にあるので、まだ母の名義で所有しているが、もう地元との繋がりはその固定資産税程度しか無くなった。
繋がりを望まない自分。
別の町へと引っ越しをし、しかも迷惑電話などがかかってこないように、ウチの電話番号は電話帳には載せないようにしている。つまり、もう地元との繋がりは何もなく、自分がどこへ行ったのか、どうやって連絡を取ればいいのかもわからない状態になっている。
卒業アルバムに載っている電話番号も住所も今はもう無い。中学校卒業時点での情報では、自分の事は絶対に探し当てることは出来ない。だから、自分のところには中学以前の同窓会の連絡などは一度たりとも回ってきたことは無かった。
だが、うっかり一時期Facebookをやっていた時期に、ふとしたことから前述のTwitterで今も繋がっている同級生からフレンド申請が来た。そして、ちょっと検索してみると何人も同級生がFacebookをやっている事が分かった。
自分は、何故か怖くなってFacebookを止めた。
今では中学以前の友達とはもう別の世界に生きている。正直に言えば、その頃の繋がりが蘇ることに対して、何故か言い知れぬ不安を感じたのだ。地元を捨て、誰も知らない土地へと行くことによって、自由を得た気になっていた。それなのに、なにか過去の亡霊に捕まったような気がして、次の瞬間にはFacebookを退会していた。
自分は、もともとコミュニケーションを自分から積極的に取るタイプではない。やたら社交的な人のテンションにもついていけない。だから、飲み会とかは基本的に嫌いだし、群れをなすのも嫌いだ。
なんだろう、コミュ障なんだろうか。
とにかく、昔の知り合いとあっさり繋がってしまうFacebookやLINEなどのツールが恐ろしく感じて、一切使っていない。何か、過去の自分を突き付けられるような気がして怖いのだ。
Twitterで今でも繋がっている中学以前の友達は、例のFacebookでフレンド申請をしてきた一人だけだ。本当はそれすらも避けたかったのだが、今となっては仕方ないし、価値観においてそれ程差がないので、いまでもフォローはしている。
中学校の同窓会は、LINEで出欠の確認をしているそうだ。今では住所を知らなくても、友達の友達程度の距離ならあっという間に繋がることが出来る。自分は、何故かそれが怖い。嫌な思いをしたわけでもないのだが、自分の今の生活に過去が割り込んでくるのが嫌なのだ。
理由を説明しろと言われても、なかなか難しい。自分でも本当の理由はよくわからないからだ。ただ、自分の心が過去との断絶を望んでいる。わかるのはそれだけ。
もし、行ってみたい時代があるとすれば、それは自分が中学生だった頃だ。「あの頃はあんなに楽しかったんだぜ」と自分に言い聞かせ、心に忍び寄る言い知れぬ不安を拭い去りたい。
そして、過去との繋がりを理由もなしに恐れる自分とは決別したい。
だが、それは到底かなわぬ願いだ。
だから、中学の同窓会には出られない。