対等な立場とは何か。
こんにちわ。さよたま (@Sanyontama)です。
前回はおっぱい発言の真意を考察したが、今回は第一話に立ち帰る。
第一話で気になるのは主人公・三日月オーガスが火星のクリュセ地区独立運動活動家・クーデリア・藍那・バーンスタインに握手を求められ無視をした場面だ。
そこでクーデリアは「あなたたちと対等な立場になりたい」から握手を求めたと語った。しかし三日月は「それって俺らは対等じゃないってことですよね」と答えた。
この「対等じゃない」というセリフは第二話まで放送された鉄血のオルフェンズ(以下鉄オル)を現す上で重要な要素だと考える。
今回は鉄オルにおける「対等」の真意を読み取っていきたい。
少年兵と首相の娘
そもそも対等とはなんだっけ? という点から考えていきたい。言葉の意味としては以下のようになるそうだ。
二つの物事の間に上下・優劣のない・こと(さま)。同等。 「 -の立場にある」 「 -に戦う」 「 -な関係を保つ」
優劣がないことだと。
さて、鉄オルを軽く復習する必要がある。
主人公・三日月がCGSという民間軍事会社に所属する少年兵だ。現時点では、彼に親がいないことを推察できる。モビルワーカーを操縦し、参番組という非正規舞台に所属している。
CGSは少年兵を捨て駒にしか見ていない。上からの暴行は日常茶飯事。そして参番組は少年兵で成り立つ部隊。
舞台となる火星は地球の植民地状態。地球政府の圧政により貧困が蔓延し子どもが一番の被害者になっている。そのため独立運動が高まっている。
対するクーデリアは火星のクリュセ地区代表首相の一人娘であり、クリュセ地区独立活動家。父から地球政府との交渉を任され、社会問題である少年兵を知るためにCGS参番組に警護を依頼する。
以上が今回の執筆内容に必要な要素である。
如実に表れているのはその「差」だ。一方は孤児の少年兵、一方は首相の娘という対極の位置に存在している。そんな両者は火星の「貧困問題」が生み出した「少年兵」という疾患がきっかけで出会うことになる。
クーデリアは少年兵の実態を知るべくCGS参番組に警護を依頼し、そこで三日月と出会う流れだ。クーデリアは三日月に握手を求めても無視され、なぜ無視するのかと問い詰める。
クーデリアは「私はただあなたたちと対等になりたい」から握手を求めたと語るも、三日月は「手が汚れていたから」と汚れた手を見せつける。続いて「それって俺らが対等じゃないってことですよね」とまで言い放つ。
「対等」とは何なのか。
この「対等じゃないってことですよね」は深くて重い。
対等問答
三日月は「手が汚れていた」と発言している。手が汚れていたから握手が出来ないと理由をつけているわけだ。
クーデリアの身分は高い。服も身も汚れることを拒むだろうし、他人が汚してはいけない存在だ。だから三日月は握手を拒んだ。
ここでは既に価値観の相違が発生している。
三日月は相手の立場を考えて握手を拒んでいる。これは三日月がクーデリアを「対等」な存在と見ないしていないという事になる。クーデリアも「対等になりたい」と発言しているために、無自覚の内に相手の地位を低く見ていることもうかがえる。
つまり、最初から両者は相容れない立場にいるのだ。
「対等じゃないってこと」の意味には「握手をせねば対等に感じられない」その哀れさに対する呆れも含まれているように思える。
ここで握手を求めたクーデリアを見てみよう。
腰に手を当て握手を求めている。どことなく相手を見下している風には見えないだろうか?
この対等問答を見ていると、この立ち振る舞いにも意図があるように思えてしまう。
真に互いを対等だと考えるのであれば手を差し出し「出会いの記念として」などの言葉で握手を求めるのが自然なのでは?
「対等な立場」を強調する人間は立場や地位の高いことが多いように感じないだろうか?
平社員が部長に「あなたともっと対等にしてくれ!」と叫ぶことは少ない。逆に部長が平社員に「俺は対等に話し合いたいだけだ!」と叫ぶことは多い様に感じられる。
つまり「対等」を使いたがる人間は相手を対等とみなしていないのだ。
「対等」とは上下関係が存在するからこそ発生する概念なのかもしれない。
クーデリアは少年兵の実態を探るためにCGS参番組に警護を依頼した。少年兵の実態を知るためというが、そこには「憐れむ」の感情が存在しているはずだと考える。
その憐れみとは何か。「かわいそう」に思う感情だが、それは上から目線により発生する感情だと思える。
上の立場にいる人間が失敗を犯したときを想像してほしい。その光景を見て「憐れ」に思うこともあるはずだ。
上に見ていた人間をその瞬間だけは自分より下に見てしまうのだ。だから「憐れむ」との感情が発生するのではなかろうか。嫌悪する人間ならば尚更憐れんでしまうだろう。
極端な意見かも知れないが、そこには上の人間を見下せたことへの歓喜も含まれているのでは?
クーデリアにもその感情が存在しているはずだ。かわいそうな人々を救わなければとの責務に駆られている。しかし、その責務の念は相手を見下すことで発生する「憐れみ」なのだ。
そこに「対等」の概念は存在していない。なぜなら無自覚の内に見下しているからだ。
慈善事業の類いも同じだろう。富豪が貧困層を援助するのも相手を「かわいそう」と考えているからだ。高貴なるものだからやらねばならないという義務感も、根底には相手を下に見る考えが存在しているのではと個人的には考えてしまう。
「かわいそう」は相手を下に見るから発生する感情だと思えて仕方がない。そこに「対等」という考えを持ち込む隙は無いわけだ。
「対等」というものは基本的に虚構の概念なのかもしれないと、鉄オルは問いかけている。
鉄オルの行く末
この「対等」に関するやり取りは現実世界での「対等」に対しての問いかけに繋がっている。
鉄オルは極端な形ではあるが「格差」をキャラクターで表現している。一方少年兵、一方は首相の娘という強烈な格差を演出している。
この設定で既に彼らは「対等」ではない事がつかみ取るように理解できるわけだ。
この「対等」は鉄オルにおける重要なキーワードになると考えている。
バルバトスの調整時にクーデリアが手伝おうとして一蹴されたが、これも技能を持たぬものだから彼らと「対等」ではないという証でもある。
「対等」だと言っておきながら、無自覚の内に相手を見下してしまうお嬢様が、今後三日月たちとどのように「対等」な存在になって行くのか。
そして三日月たちは今後遭遇するであろう高い地位の存在にどう対応してゆき、どう成長してゆくのか。
この一言は「作品の中核」を担うテーマであると簡潔に示してきた。鉄オルは格差を描いている。そこへ真に存在するテーマは「対等」というものなのだ。
真なる対等とは何か。鉄オルはこの2話までで既に我々へと問いかけてきている。対等問答とおっぱい発言で鉄オルのテーマは明確に提示された形となった。
今期では最もハードな路線に突き進んでゆくであろうアニメから目を離すことは出来ない。
鉄オルに内臓された現実社会への問いかけを読み取り、この作品は何を問いたいのかを今後も読み解いていきたい。
第3話以降も鉄オルを読み解く記事を毎週アップしていこうと考えている。