友達といる時の自分は凄く明るいのに、別の集団では何故かその半分も自分を出せない。
ちょっと神経質な時もあれば、ズボラ過ぎて嫌になる自分もいる。
「本当の自分って一体どれ?」
そう思うことはありませんか。「分人」という考え方は5分もかからずに、その答えを探し出すかもしれません。
<目次>
自分が多重人格と感じる時
私の想像では、皆これまでに一度位は「私って多重人格?」と思った瞬間があるんじゃないかと思うんです。実際に人は皆、多重人格という本もありました。
口に出すと、ナルシストっぽいから皆んな言わないけど、ちょっとした出来事で考え方が180度変わったり、人によって不本意に態度が変わってしまうとか、そういうことは誰しもあると思うのです。それにより、少なからず悩んだりするものですよね。
「分人」とは何か?
そして最近、こちらの本を読んだ際に「分人主義」という発想があることを知りました。
「分人」とは、この著者の友人でもある、作家の平野啓一郎氏が考えた「個人」をさらに小さな単位にしたものだそうです。
この概念を持つと「ほんとうの自分って一体どれ?」という疑問への一つの答えが導かれます。
「本当の自分」はひとつじゃない
会社での分人…両親との分人、恋人との分人、友達との分人など、われわれは対人関係に応じて様々な分人を持っている。これは「ほんとうの自分」が仮面をかぶっているのでもなければ、キャラを演じているのでもない。心のどこかに唯一無二の「ほんとうの自分」がいるのではなく、あらゆる分人が「ほんとうの自分」なのだ、と平野さんは言います。そして、「その人らしさ(個性)」とは、どんな分人によって自分が構成されているか、その構成比率によって決まるのだと。…(『仕事でいちばん大切な人を好きになる力』岩瀬大輔)
これを読んで「あぁ、そうだったのか」ととても納得しました。別に偽ってるつもりもないのに色んな自分がいるのは、自分の中に色んな「分人」がいるからなんだなと腑に落ちました。
また、本の中で印象的だったのは、こんな文章です。
あの人と会っているときの自分、この人と会っているときの自分、全てが「ほんとうの自分」である。だからわれわれは新しい対人関係を気づいていくとき、「その人のことが好きか?」ではなく、「その人と一緒にいるときの自分(の分人)が好きか?」の方を真剣に考えなければならない。これは分人主義ならではの興味深い視点です。(『仕事でいちばん大切な人を好きになる力』岩瀬大輔)
なかなか深いですよね。
例えば「片付けられない分人」、「ミニマルでありたい分人」、「社交的でありたい分人」、「ひとりを楽しみたい分人」等、色んな自分をどれも理解して、認めてあげた上で、構成要素をそのとき「ありたい自分」に応じて増減させたりしていくイメージを持てば、「ほんとうの自分探し」という無限ループにハマらずに済む気がします。
もしも、片付けられなくて「私、全然ミニマリストじゃない!(泣)」と嘆いたとしても、それはまだまだ自分の構成要素に占めるパーセンテージが小さいだけで、「片付けられないこと」と「片付けたいと思っている自分」との間には決して「偽り」はないと思います。
また「ほんとうの自分なんて誰も愛してくれない!」と嘆いたとしても、「ほんとうの自分」というパッケージされた自分はいないと思えば、例えば自分を構成する「実は真面目な分人」とか「臆病者な分人」、「ツンデレな分人」といった分人を愛してくれる人がいれば十分かもしれない、そういう発想もできる気がします。
ただの解釈の仕方かもしれませんが、その解釈が心をフッと軽くする瞬間もあるので、平野氏の「私とは何か」もぜひ読んでみたいです。
「ほんとうの自分」探し ではなく、「自分のなかに確実に在る分人」を掘り下げて行きたい気持ちになりましたよ。
んちゃ!(マギーと名乗る分人より)