カルチャーを自分のものにするイケてる奴ら
最初に断っておくと、新作映画『ギャラクシー街道』はどういった立ち位置の作品なのか、という方面には向かわない。向かわないどころか、向かってたまるか、という心地でいる。なぜなのか。中2の時、友人の山川君が「やっぱり、なんだかんだでビートルズに戻るよな」と言った。自分の嗜好で音楽を聴き始めてまだ数年のはずだが、彼は一通りの音楽を咀嚼したかのように、ビートルズに戻る、と言い、時には、ビートルズに行き着く、という言い方もした。山川君には矢田君という友人がいて、彼はなにかと「カート・コバーンがロックの歴史を閉じた」とカートの自殺を悔やみ、「アメリカではカート・コバーンじゃなくて、発音的にカート・コヴェインだからね」という話を繰り返した。彼らのその話が、大嫌いだった。
「ベタな存在」「伝説的な作品」に対して素直にアプローチできる人間になるかどうかは、思春期に浴びたいくつかの雑談が鍵を握っているのではないか、と思うことがある。今、こちらが、メタルやプログレが好きで、時折その音楽について執筆しているのも、色々と端折れば、山川君や矢田君との会話に行き着くのではないか。彼らが「やっぱり○○だよね」と提出してきたものに乗っかりたくないという心根が、自分の趣味を加速させたはずなのである。『アメト——ク!』の人気企画「中学の時イケてないグループに属していた芸人」での議題には漏れなく賛同するのだが、「イケてる奴らは、あらゆるポップカルチャーを自分のものにする」という点から生じる苦しみについての考察も重ねて欲しい。
「逆に高畑勲でしょう」
自分が中3の時に公開されたのが映画『タイタニック』だが、この映画を未だに観ていないのは、当時のイケてる奴らが絶賛していたことに起因している。どうやらとっても感動するらしく、とっても観に行きたかったのだが、どうしても行けなかった。彼らが「宮崎駿作品だけじゃなく、高畑勲作品までおさえてこそジブリ好き」と言い始めるタイミングと、こちらが「いやいやジブリは逆に高畑勲でしょう」と言い始めるタイミングが重なってしまい、唐突に「逆に」と申し出たこちらと、両方をおさえているあちらとでは、クラスにおけるマイナーとメジャーの差異もあり、後者の意見が市民権を得ることになるのだった。
三谷幸喜が『古畑任三郎』シリーズをヒットさせ、続けて『王様のレストラン』『竜馬におまかせ!』などのドラマを手掛け、『ラヂオの時間』で初の映画監督を務めた時期も、イケてる奴らがあらゆる流行りものを自分のものとして捕獲するように語っていた時期に該当する。彼らは守備範囲を広げるのが手早く、三谷幸喜作品についても同様に捕獲した。当時、夕方から再放送していた『あぶない刑事』だけは、部活や恋に忙しい彼らに届かず、部活にも恋にも忙しくなかった私は、このドラマをこよなく愛することになる。専有できた、という自覚があったのだ。
不慣れという状態に慣れている人なのか
作品の宣伝の時にだけテレビに頻出する三谷幸喜は、その都度おどおどしている。面白いことをやってやろうとする取組みがそれなりに外れたりもするのだが、今では、当たるか外れるかが決まる前から、「天才だから仕方がない」という表情を周囲が用意してくる。あの配慮が気に食わない。
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